後編

 家具がほとんどない、人間味に欠ける殺風景な自室でジョンは目覚めた。

 思った通りというべきか。パブでの一件のせいで、あの思い出したくもない過去の夢を見てしまった。

 ジョンは冷蔵庫のミネラルウォーターで喉を潤しつつ、ため息を吐く。

 あの一件を忘れたことは一度たりともない。今のジョン・ユキムラを生み出したと言って過言ではないだろう。

 そんな復讐に生きる中で、香織の事を忘れて生きるという決断が頭をよぎった事は、一度や二度ではない。人は何かを失う生き物だ。

 しかし忘れることができない程度にジョンは義理堅く、同時に不器用な人間だった。

 歴史にIFは存在しないが、現状より遥かな結末はいくらでも想像は出来る。だが、所詮は妄想。妄想は現実にはならない。

 世界にはどんな結末がいくつ存在しようと、このジョン・ユキムラには今しかないのだ。


◇ ◇ ◇


 大牧山荘。大牧山の中腹に建つ一軒の宿泊施設だ。

 二十年ほど前は日本のかつてない登山ブームにより経営も好調だったが、現在は一ヶ月に二人訪れてくれればいい方だ。

 しかし何の因果か、ここ二年ほどの大牧山荘では人の気配で満ち満ちていた。

 ……経営者夫婦の意に沿うものかは別として。


二〇一八年一月一九日

愛知県羅宮凪市 標高二千メートル大牧山荘


 山荘前には一本の木が大牧山を見守っていた。第二次大戦中、米軍の空襲によって禿山と化した大牧山に緑を戻すため、南部の名家野々山家が始めた基金によって植えられたのである。

 もうあの惨劇を繰り返さないためという決意のもとに。

 しかし、その決意を足蹴にするかのような行為が木の下このしたで行われていた。

「痛みこそがお前を強くするのだ!」

 枝に吊り下げられているのは、大きなビニールシートを被せられた物体だ。それを五人の男女が代わる代わる殴打している。殴られるたび、物体は揺れる。

「躊躇うな! 躊躇いは彼の反省を妨げることになるのだ! それとも、お前ら全員総括の見込みなしか!」

 指導役の叱責に怯え、暴力が強まる。

 拳で殴る、足で蹴る、棒で叩く。暴力が続くと、シートから血が滴り始めた。

 この物体はロッキーよろしく巨大な冷凍肉ではなく、ましてやサンドバックでもない。

 人間だ。言うまでもないが、死体ではなく生きた人間である。

 彼らはこの暴力を総括と呼ぶ。

 強き革命戦士とは、この程度の暴力に屈しない人間でなくてはならない。即ち、この試練を乗り越えれば強い革命戦士となる。総括の最中に死ねば、それは単なる脱落分子に過ぎないということ。

 これが彼らの主張だった。

 そう、彼らは四十年前に世間を騒がせた革命戦士のやり口を続けている、七〇年代の亡霊なのだ。

 彼らの名は、日本革命連合。資本主義国家として堕落した日本を暴力によって解放し、真なる平等の世界へといざなう使命を持つ革命家だと謳っている。

 しかし色々と気付くべきなのだが、四十年前でさえ時代遅れ気味だったのに、現代でこんな思想が受け入れられるわけがない。

 なによりも性質がかなり近いうえ、時勢にも即している労働改善党LIPというライバルがいる以上、衰退の運命は免れなかった。

 かつて日本各地に基地を持ち、数百といた構成員は今や見る影もない。日本に数多く存在する犯罪組織でも最弱の規模と言って差し支えない状態である。

 彼らは歴史から学ぶことなく、再び貴重な戦力をこうして浪費しているのだ。


「よし、もういいだろう」

 まるで歴戦の兵士のように冷めた目をもって指導者である小林望夫こばやしもちおが宣言する。

 参加を強いられた男女は安堵を悟られて因縁をつけられないよう、表情を強張らせると小林の動向を伺う。

 ピクリとも動かない男に歩み寄った小林は、そっとビニールを払いのける。

 やはりと言うべきか、サンドバック状態となっていた青年は体中に青痣を浮かべ、口からはおびただしい量の血を吐いていた。喀血なのか吐血なのか、あるいはその両方か。判別もつかない惨状である。

 青年の虚ろな目を覗き込み、そっと首筋に指を当てた。

「やはり脱落分子だったか」

 その声色には罪悪感は感じられなかった。ただひたすら落胆。非は自分ではなく、これにある。そう言わんばかりに。

「よし。こいつを片付けたら今日の修練は終わりだ。革命達成のためにも、しっかり養生するように」

 小林は一方的に言い放つと、死体を吊るす縄を切断した。


 山荘の裏手、薄暗い崖の下は平地になっていた。登山ブームが少し過ぎた頃は羅宮凪大学の登山部がキャンプファイヤーに利用していたそうだが、今となっては死臭漂う墓場に過ぎない。

 自分で出したごみは、例えそれが死体であろうと、自分で始末する。そんな狂った決まりが、この羅宮凪ベースには存在する。

 総括を行った男女五人は穴を掘る。大の大人一人がすっぽり入る大きな穴だ。途中、先客の足をスコップの先端で切断してしまうアクシデントに見舞われたが、無事青年の遺体は穴の中に放り込まれて冷たい土をかぶせられた。

 まだ彼らの殺人への抵抗は強かったが、死体の扱いはもう慣れっこだった。こういった意味合いでは、日本革命連合の総括は成功を収めているとも言えるかもしれない。もっとも、その前に脱落者が続出しすぎて組織が自壊しかねないが。

「こんな事やってられるか」

 スコップを地面に突き刺すと、真田陽一さなだよういちは呟いた。羅宮凪大学に通っていたスポーツマンである。就職活動から解放されるために日本革命連合に参加したが……自分の軽はずみな決断を後悔している様子だ。

「でも、逃げたら殺される……」

 本藤奈美子ほんどうなみこの言葉通り、山荘の二階は人ではなく武器のための部屋と化している。誰かが逃げ出したと知れれば、機関銃を用いた山狩りが始まる事だろう。

 彼らも脱走者狩りを経験していたため、簡単に逃げられないことは承知済みだ。

 しかし、逃げなければ次は自分が総括の対象になるかもしれない。

 この極限状態が持続する事によって外界の価値観が崩壊し、内部で過ごす内に倫理観の欠如した立派な戦士が生まれるというわけである。

 死ぬか、狂人になるか。

 この中で一人、決断を下した者がいた。


 夜も遅く、人々が寝静まった頃。彼ら革命戦士も所詮は人間だ、寝る時には瞼を閉ざして床に就く。

 不気味なほど静かな寝室に、蠢く影があった。足音を忍ばせ、息を殺し、そっとノブを捻る。

 扉が鳴らす軋みに肝を冷やしつつ、彼は外に出た。肌寒い寒気が肌を刺すが、誰かに無抵抗で嬲り殺されるよりマシだ。

 こんな事をしているというのに、連中は見張り一人立たせない。こうなったら山の麓まで逃げ延びてやる。

 こちらには切り札もあるんだから。


 そんな決意を胸に山を降り始めた彼の背を、じっと睨んでいた男がいた。やがて、その姿が森に消えると、手元に置いたスイッチを押した。

 階下から電子音が鳴り響き、バタバタと騒ぎが起きた。この電子音はお楽しみの始まりを告げる鐘の音だ。

 口元に笑みを浮かべ、男は宣言した。

「脱落分子の脱走を確認した! 武器を持ち処刑せよ!」

 狩りが始まった。


◇ ◇ ◇


 それは、行方不明者として捜索願が出されていた大学生、向田相太むかいだそうたの親からの通報だった。

 曰く、息子を名乗る者から遺書のようなメールが来たと。

 この手の事件には腰が重いはずの警察だが、思いのほか素早く対応した。もちろん、息子の無事を願うなどといった道徳的な理由ではない。向田相太は日本革命連合の息がかかっている羅宮凪大学のサークルに所属していたためだ。

 マークされているサークルに所属する大学生の失踪。革命の真似事を繰り広げている過激派左派組織と何かあったと見るのが自然だ。

 要するに、いいとこなしの警察は手柄を上げようと必死なのだ。

 メールの内容は、遺書と言っても至極シンプルだ。

『とても後悔している。死ぬかもしれない。大牧山まで助けに来てくれ』

 長々と書き綴られ、途中で途切れていた内容をまとめるとこうなる。

 警察は罠の一種なのではと疑いはしたが、念のため大牧山で潜伏可能な場所を調査した。

 温泉街はそこかしこに監視の目がある。そこに向田がいたとすれば監視網に引っかかるはず。よって、その可能性はない。

 続いて、山の中に潜伏しているのではと推測された。人の世から離れて文字通りのキャンプを作る。

 考えられる可能性だが、どうやって向田が携帯電話の充電を行なったのかという疑問が生じてしまう。

 外部の協力者がその手段を用意しているなど、いろいろ手段はありはするが、そう考え始めるとキリがない。

 そこで、山荘を拠点にしているのではないかと仮説が挙げられた。二〇年前の登山ブームに便乗開業した山荘は少なくない。その中で今もなお生き残っているものは……極めて少ない。

 早速捜査が始まった。

 方法は大牧山に存在する山荘に予約客を装い、片っ端から電話をかけるというもの。廃業していないにも関わらず出なければ要注意だ。

 こうした捜査の末に全六ヶ所中、二ヶ所が要注意候補として挙げられた。

 一つは大牧山東側の斜面に建つ山荘ラグナ。もう一つは南側の大牧山荘だ。

 しかしこれもあっさり絞り込みが済んだ。なんと山荘ラグナのオーナーは二年前に自室で首を吊っており、サイトの更新すら行われていない状態だった。

 では、大牧山荘は。

 真相を確かめるため、愛知県警捜査一課が羅宮凪島に乗り込んだ。

 実際のところ、彼らは相手を舐めていた。六年前にイギリスで大きなテロ事件を起こしたとはいえ、あれは消滅する直前にひり出した最後っ屁のようなもの。もはや国内でテロを起こす力さえ持たない弱小だ。

 例え抵抗の意思を見せても、拳銃をちらつかせればろくな抵抗もなく投降するに違いない。

 彼らは羅宮凪島ではなく本州の警察官だ。羅宮凪島が危険な地域と知ってはいたが間違いなく、この島の異常性を甘く見ていた。


二〇一八年五月一〇日

愛知県羅宮凪市 特別警備隊詰所


 緊急召集により詰所に戻ったジョンは微動だにせず資料を眺めた。

 東京でも拠点を一つ潰したが、やはりこの島にも拠点を作っていたか。ジョンは密かにほくそ笑んだ。

「諸君、集まっているな」ベカエールが車椅子の車輪を転がしつつ現れた。「緊急事態だ」

 普段冷静な彼には珍しく、額に汗を流しながら位置についた。

「三時間前、愛知県警捜査一課が誘拐事件捜査のために大牧山の山荘、大牧山荘に踏み込んだ」

 スクリーンに殉職の印が打たれた捜査員五人の画像が映し出される。

「しかしバッジを見た途端、山荘に立てこもる容疑者が発砲。二〇名の捜査員中五名が死亡、七名が負傷した。死者はまだ現場に残され、重傷者二名が人質として囚われた。今も容疑者は時折銃撃している」

「役立たずめ」

 どこからか心ない言葉が投げつけられるが、彼ら捜査一課は格闘ならともかく、武装した集団を制圧する訓練を受けていない。

 とはいえ、同じ警察の銃器対策部隊やSITの応援要請を事前に行っておくなどの準備を怠っていたのは事実だ。

「現状は待機命令が下されている。しかし容疑者が投降しなければ遠からず突入の命令が下るだろう。その場合、我々の任務は人質の救出と容疑者の逮捕……または射殺となるだろう」

 チームスリーの隊員に緊張が走る。相手は威嚇にとどまらず、危害射撃に躊躇いがないタイプだ。しかも映像から分析するに、冷静に射撃を冷静に行える程度の技術もある。

「容疑者グループの詳細は不明だが、一枚だけ捜査員が撮影に成功した」

 続いて、デジタルカメラによる鮮明な画像が映し出される。山荘の玄関前に四人が倒れ、二階の窓には銃を持つ容疑者の姿が映っていた。

「長谷川君、きみはどう思う?」

「形状からして、スターリングSMG風の短機関銃に、オイルフィルターを取り付けたものだと思います」

「オイルフィルター? 車のエンジンに取り付けるものか」

「性能は本物に劣りますが、サプレッサー代わりには使えます。旋盤での加工技術があるなら、素人でも銃に噛ませるためのアダプターを作れるはずです」

 銃声を抑えるためのサウンド・サプレッサーとオイルフィルターの構造は極めて似通っている。流石に本業のサプレッサーに比べれば消音効果・耐久性共に劣りはするが、一度聞いて「銃声だ」とは確信できない程度に銃声を抑えることができる。

「彼らが持っている銃器は密造銃とはいえ、一丁だけではないと思います。恐らく、あそこは訓練キャンプに近いものでしょう。過去に類似例もあります」

 山荘周辺に人里はないが、銃声はかなり遠くまで響く。珍しい登山客が発砲音を耳にしないように、安価かつ入手しやすいオイルフィルター・サプレッサーを装着しているのだろう。

 とにかく、危険な銃火器で武装しているのはほぼ確実というわけだ。

「建物は三階建て、切り立った崖に立っている。しかも周囲には同じ高さの建物がない。外部からの狙撃は不可能だ。また人質として経営者夫婦が二名いると思われる。所在は不明だ。容疑者も対話を拒んでいるため、情報は少ない」

 スナイパーの援護なし、人質の位置不明。最悪、いるかどうかさえわからないありさまだ。

「突入地点は二ヶ所。崖下にある一階へ続く裏口階段と、三階は正面玄関と調理室に繋がる勝手口だ。状況によっては窓からの突入も検討するが……誰か、提案のある者は?」

 ジョンが即座に手を挙げた。

「屋根裏の強度は?」

 質問を受けたベカエールがしばし資料を睨んだ。

「情報がないな。ヤーコブ、君はどう思う?」

 ヤーコブは建築学の博士号を持ち、同時にイスラエル国家警察特殊部隊ヤマームに所属していた過去がある秀才だ。

 彼もしばしの間航空写真などの資料に目を通すと、

「日本の建築物はまだ研究途中ですが……恐らく、それなりに頑丈なつくりだと思います」

「という事だ。君の意見を聞こう」

 とはいえ、ジョンが爆薬の専門家である事実を鑑みれば、彼の提案は容易に想像出来た。

「ヘリコプターからファストロープ降下し、屋根を爆薬で破壊、突入口を作りましょう」

 もし容疑者が外の状況を把握していないのであれば、間違いなく想定出来ないだろう。成功すれば不意を突けるに違いない。

「危険です」やはりと言うべきか、そんな危険な提案を長谷川が許すはずがない。「人質への被害、または集積された弾薬類に引火する恐れは?」

 彼の言うことも間違いではない。爆薬は間違いなく危険物であり、使い方を誤れば大惨事を招く。しかし、それを回避するための偵察だ。

「自分、提案良いっすか?」佐々木鬼平が挙手する。「あの名古屋人っすけど、あいつの発明品使えるんじゃないっすか?」

 名古屋人とは、言うまでもなく阿久間博士あくまひろしのことだ。

 ベカエールは困惑する。

「何のことだ?」

「新型の超小型ドローン作ったとか言ってたと思うんすけど……それに偵察させて、穴開けるとこ決めりゃ良いんじゃないっすかねぇ」

 初耳の話だが、有効性を感じたベカエールは阿久間を呼ぶ出す事にした。

「おう、確かに作ったったわ。スーッと誰にも気づかれんように飛んで、ちーっちゃな隙間にも入り込めるでら素晴らしい発明だわ」

 自画自賛しつつ彼がデスクに置いたのは、片手で持てそうなサイズの非常に小さなドローンだった。これを実際に阿久間が動かしたところ、その静音性とスピードに一同が戦慄したほどだ。

 だがなによりも恐ろしいのは、下側にはLEDディスプレイを用いた光学迷彩を使用しているため、天井付近でじっとしていれば発見が極めて困難な事だ。

 偵察用という事で低解像度ではあるがカメラとマイクを搭載しているため、会議室の上にでも貼り付けておけば内容を丸ごと記録可能である。

 似たような機能を持つドローンは既に世に放たれていたが、これほどのものを直径十五センチ程度の大きさにまとめたものはそうそうない。

「阿久間さん、電波受信の安定性はどうでしょう?」

「よっぽど都合の悪い環境か、バッチリとした施設のECMでもあれせんとこいつは止まれせん」

 これは既に村岡装備開発が最終調整を済ませたモデルで、発売されるならこのまま売り出されることになっている。少々危険な賭けではあるが、これが正常に機能すれば作戦の大きな助けになるだろう。

 ベカエールは決断した。

「購入については……」

「あー、なら今回の作戦はお試しって事でタダのレンタルにしといたる。その代わり、こいつのおかげで成功したらバッチリ宣伝したってな」

「ご協力に感謝します。数度訓練に使いますが、それで問題なしと判断した場合は使用させていただきます」

 ベカエールという男は必要あるいは合理的だと判断すれば、躊躇いなく自分を犠牲にする人種である。このドローンの影響で作戦が失敗に終われば、彼は迷いなく責任を取って辞任の道を選ぶだろう。

「で、まだ文句あるかい?」

 アルトゥールの問いに、長谷川は短く「問題ない」とだけ返した。


◇ ◇ ◇


 待機命令が下されている間でも、ただ呆然と待っているわけではない。

 可能な限り現場の状況を再現した模型を作り、制圧する順番を決めるのだ。

 しかし今回の場合は少し特殊だった。山荘の屋根を再現した模型を並べると、ジョンは大きなシート状の指向性C四爆薬(人ほどの大きさであるため、シルエット・チャージと呼ばれる)を貼り付けた。

「離れろ」

 設置した爆薬から五メートルほど離れ、長谷川が構える盾の後ろに。指向性とはいえ、爆薬の破片は飛び散る。万が一破片で負傷するような事故をなくすためだ。

「発破! 発破! 発破!」

 三回の警告の後にジョンはスイッチを二度握りしめた。

 屋根の模型には綺麗な穴が穿たれた。屋根裏は崩壊することなく、梁にも傷一つついていない。分析が間違ってさえいなければ、現場でもこの穴から内部に飛び込むことが可能という事だ。

「爆薬はこれでいい。次は……」

 肝心なのは突入する場所だ。三階には六つの部屋があり、南側には西から調理室・食堂・寝室があり、北側には玄関に階段室と倉庫があった。

 人質や敵の銃口がなければ、どこに穴を開けるべきなのかを考えなければならない。ジョンと突入班のメンバーは机に広げられた見取り図を睨む。

「やはり広い部屋は危険だな。食堂は基本的に除外とする。異論はないな?」

 一同が頷くと、ジョンは北側の食堂と寝室にバツ印を描いた。

「俺は倉庫を推す。倉庫は小さくて、窓がないから敵の警戒が少ないだろうし、なにより階段が近い。他のチームと協力して敵の動線を断つことができる」

 アルトゥールは自信満々に言う。だがしかし、倉庫は小さいかもしれないが荷物によって移動が阻害される可能性がある。言っていることは至極正論だが、少し不安定に思えた。

「長谷川、お前はどうだ」

「僕は寝室だな。容疑者が多く潜んでいる可能性の高い食堂の隣だから、素早く多くの容疑者を逮捕できると思う。それに、やろうと思えば階段の封鎖も出来なくはない」

 寝室の扉を開けば、階段室は十メートルほど先にある。そこを見張っていれば封鎖は十分だろう。今回の場合、長谷川の意見が正しく思えた。

「ポーター、お前はどうだ」

 ジョンは最後の一人、ポーターに話を振った。すると彼はよほど聞かれたくなかったらしく、ハッとした表情でジョンを見た。

「あー、えーと……全員爆薬で吹っ飛ばしちゃだめか?」

 なるほど、実に彼らしい提案だった。ジョンはため息を吐く。

「失礼、お前に聞いた私が馬鹿だったよ」

 論外は置いておいて、やはりジョンは長谷川の意見を採る事に決めた。

「では、寝室から突入とする。寝室を制圧後、ポーターは扉から階段の封鎖。残りは壁を破壊して食堂を攻撃する。異論はあるか?」

 声は上がらない。すなわち、肯定という意味だ。

「よろしい。では……」

 演習場へ入り込んだ気配に気づき、一同がそちらへ視線を向ける。特警に所属している事務の職員だ。

 そのまま状況の訓練の状況を見守っているベカエールに語りかける。

「たった今、愛知県警SITが出動したとの報告です」

「SITが?」

 SITは警察の刑事部に設置されている特殊部隊……というよりも、特殊事件捜査係SITの名の通り、刑事部内部の中で特殊訓練を受けた刑事たちの集まりだ。

 恐らく、捜査一課の敵討ち―――正確には、尻拭いとも言う―――として動員されたのだろう。

 SITの練度は極めて高いと言える。様々な他の特殊部隊で研修を受け、任期を終えたSAT隊員も優先的に選抜されているためだ。長谷川もこの部隊に所属していた時期がある。

 しかしこれは過去の話。残念ながら現在、SATやSITの優秀な隊員は民間に流れ、今や民間企業PMCで高待遇を得るための踏み台にしかなっていないのが現状だ。SIUの精鋭たちには練度のみならず、装備さえ遠く及ばない。

「既にこちらが突入すると決まっていたはずだ」

「ええ。ですが、愛知県警の決定のようで」

 あくまで、現状は特警は警察の下部組織だ。近いうちに日本の警察は完全に民営化されるだろうが、それまでの間は警察の決定には逆らえない。

「待機命令は解かれたという事かね?」

「そうなります」

 そう言われたベカエールはしばし瞑目し、やがて口を開いた。

「全員、もう少しだけ様子を見るよう上に頼んでみる。そのまま調整を続けてくれ」

 チームに告げると、彼は事務員に押されつつ演習場を後にした。

 事態がどうなろうと、ジョンら一般隊員にとっては待つ事しかできなかった。


◇ ◇ ◇


二〇一八年五月一三日

愛知県羅宮凪市 大牧山荘


 SITの命令は容疑者の生け捕りと、人質の救出だ。装備は拳銃と、最前線に立つ隊員に防弾盾が支給されただけ。

 だが彼らにとって最大の不幸は、突入の瞬間が地上波で生中継されていた事だろう。

「えー、ただ今警察の特殊部隊と思われる隊員たちが三階の玄関や一階に続く階段に集結しました! 突入を始めるのかもしれません!」

 テレビからレポーターの叫びが入る。本来、容疑者に突入状況を知られないためにも報道統制が行われるべきなのだが、それが行われていなかった。

 もし容疑者がテレビを見ているのなら、隊員たちが向かっている場所で待ち伏せていることだろう。

 SIT隊員が防弾盾を構えつつ、玄関前へ。残り三メートルというところで、不意に銀色のパイプが中から投げ出された。

 パイプ爆弾だ。

「爆弾だ!」

 隊員たちが盾の後ろに隠れるのとほぼ同時に爆弾が炸裂。そのうち、僅かに反応が遅れた隊員が呻き声を上げた。

「負傷者一名!」

 その言葉に、あろうことかチーム全員が視線を逸らした。こういったミスには、大抵悪い事が重なる。今回の場合、玄関の窓から容疑者が飛び出してきたのだ。

 メンバーの一人が視線を正面に向けていれば即座に対応できただろうが、視線を味方に向けたせいで敵に先制を許してしまった。

 銃弾の衝撃で防弾盾が揺れる。さらに飛び出てきた容疑者の手にはパイプ爆弾が握られていた。導火線に火のついたパイプ爆弾が、今度はSIT隊員たちの真横で炸裂した。

「待ち伏せです! えー、SITの部隊が武装集団の待ち伏せを受けました! まるでタイミングを計ったように……」

 ここでやるせなくなった長谷川がテレビの電源を切った。

 ほぼ間違いなく、自分達に仕事が回ってくることだろう。


◇ ◇ ◇


二〇一八年五月一四日

愛知県羅宮凪市 大牧山荘


 午前二時、作戦は多くの人間にとって唐突に決行された。

 最初にSIUが行ったのは、上空を我が物顔で旋回する報道ヘリの排除だ。

「警告。今すぐこの空域を離れなければ、貴機が公務の執行を妨害する意図があると判断する」

 SIUヘリのパイロットが報道ヘリに対して冷酷に告げる。しかし、彼らは既にSIT突入時に全く同じ警告を受けながらも、無線機器の故障を装って無視していた。

 だが、SIUの精鋭パイロットは想像を絶する技術で報道ヘリと並走した。そして、恐ろしいほどの勢いで幅寄せした。

 とどめは、キャビンに座るチェルノフがレーザーサイトの可視光線を操縦手に向けた事だろう。流石に耐え切れなくなったのか、報道ヘリは旋回して空域を離れ始めた。

 報道の自由に反する行為ではあるが、人質や隊員の安全を考えれば致し方のない事だ。

 それだけではない。作戦が綺麗に進行しなければ、場合によっては逮捕できるはずの容疑者にも無用な被害が出る恐れもある。

 ケースバイケース。報道の自由は大切だが、時には抑えることも大切だ。

 空域の安全を確保すると、今度は地上に展開した部隊が活動を開始。サーチライトで山荘の窓を昼のように照らした。

「特警だ! 大人しく投降しなさい!」

 寝静まった容疑者もこれで目を覚ましたことだろう。不機嫌な様子の容疑者が一人、三階のベランダに姿を見せた。

「黙れ企業の犬め!」

 見るからに正気ではない容疑者が発砲。地上要員は盾や車両の陰に隠れて銃撃をしのぐ。

 この時、別働隊が密かにドローンを発進させていた。三機の小型ドローンは二階の砕かれていた窓から接近。外の喧騒がドローンが放つ僅かな駆動音を隠していたため、潜入に気付いた者は誰一人いなかった。

 二機は階段室を通ってそれぞれの階層へ移動し、カメラを巡らせる。

「人質らしき人影を発見。二階だ」

 二階を捜索している機体が備品倉庫で拘束された二人の男女と倒れたままピクリとも動かないSIT隊員を発見した。突入口のバリケードにでも利用したのか、倉庫の扉は撤去されていた。

 もしこの男女が経営者夫婦であれば、それが守るべき人質だ。

「顔を確認したい。ズームを」

 ベカエールの指示で映像が拡大され、資料の経営者夫婦と見比べる。

 かなりやつれている様子ではあるが、本人と見て間違いないだろう。

「確認した。全要員に通達。全人質を発見、二階備品倉庫だ」

 それだけ調べれば、後は行動あるのみ。

「各員、作戦用意」

 号令と共に各チームが移動の準備を始める。

 装甲車に陰に隠れていた隊員たちが頭と銃を出し、ベランダに出ていた容疑者に対して制圧射撃を行った。弾が当たった様子はないが、たまらず容疑者が内部へと引き返した。

「容疑者が退いた、行け」

 レッドチームが乗るヘリが高度を下げ、ファストロープ降下用のロープを垂らした。そこから、ジョン・ユキムラ率いるレッドチームのメンバーが次々に屋根へと降下した。

ポイントA寝室に敵影一。南の窓を見ている」

 降下して早々に寝室の真上に向かうと、用意していたシルエットチャージを設置。破片防御の為にチームは盾の後ろに隠れ、爆破。

 予定通りの穴が穿たれると、長谷川を先頭にチームは山荘に突入した。

 天井から武装した一団が屋根から落ちてくる。想像するだけでも最悪のシチュエーションだ。

 容疑者は爆発の衝撃で前のめりに倒れ、驚愕の表情と共に振り返った。しかし、その頃には長谷川が持つ盾によって殴り倒されていた。

 ジョンが素早くハンドサインで指示し、アルトゥールは予定通り扉を蹴破って廊下を見張り、ポーターは長谷川が無力化した容疑者の拘束にかかった。

 それらの指示が終わり、ジョンと長谷川が食堂に繋がる通路を作ろうとした時、二ヵ所からほぼ同時に爆発音が轟いた。これはブルーチームとイエローチームが爆薬で扉を突破したのだ。

 下手をすれば人質の命が危ない。ジョンは素早くシルエットチャージをセットすると、長谷川の後ろに身を隠した。

「行くぞ」

 敵に奇襲を悟られぬように、叫ぶことなく静かに起爆装置を握りしめた。

 ぽっかりと開かれた穴に、二人は臆することなく飛び込んだ。流石に学習したのか、数名が銃口を向けたが、防弾盾によって無情にも銃弾は弾かれた。

 だがなにより、舞い上がった粉塵が正確な照準を妨害していた。

 盾の横から顔を覗かせたジョンが正確に応戦して一人、また一人と容疑者が銃弾に倒れる。

 銃声が止む頃には、誰一人容疑者は立っていなかった。

 目に見える容疑者を排除すると、続いてカウンターの向こうに見える調理室の制圧に移る。暗く、いたるところで銃声が轟く中、五感を研ぎ澄ませて二人は前進する。

 調理室まで残り十メートル。ここで、カウンターから容疑者が一人銃だけを出して乱射し始めた。

「フラッシュバン行くぞ」

 ジョンは閃光手榴弾のピンを抜くと、カウンターに向けて投擲した。

 手榴弾は冷蔵庫の縁で跳ねかえり、床を転がって炸裂した。百万カンデラの閃光と一七〇デシベルの爆音。閉所でかつ、至近距離で炸裂すればひとたまりもない。

 視覚と聴覚の両方を奪われた容疑者は立つことすらできずにその場でうずくまった。

 その数秒後、飛び込んできたジョンによって無力化された。

「こちらバーゲストジョンポイントB食堂・調理室を制圧。容疑者八名射殺」

「こちらフレッシャアルトゥール、階段を昇って来たマヌケを二人排除した」

「ブルー・シックスだ、一階を制圧。容疑者六名逮捕」

「イエロー・シックス、障害排除。二階へ向かう」

 味方から次々に連絡が入る。残りは二階、ジョンはレッドチームを集合させてイエローチームの背後を守るために倉庫の制圧に移る。

 倉庫は食料がメインで、人が生活するには生命線とも呼べる場所だ。

 アルトゥールが扉に罠がなく、施錠もされていない事を確認すると、一気に開け放った。

 人の気配はなく、あるのは僅かな保存食ばかり。容疑者が隠れていないのは明らかだ。

「こちらバーゲスト、三階は制圧。二階の制圧に移る」

「了解。報告する、二階の容疑者が人質二名を連れて多目的室へ移動している」

 多目的室は二階の南側であり、大部分を占める部屋だ。偵察の結果、ここに武器・弾薬類が保管されていることも発覚している。

 容疑者がパイプ爆弾を所持している以上、発砲には最大級の注意を払わなければ。最悪、自分らもろとも山荘を爆破する恐れがあるからだ。

 多目的室では、既にブルーチームとイエローチームが三人の容疑者を包囲していた。

 人質の二人は体中にパイプ爆弾を括り付けられ、リーダーと思わしき男が起爆装置をこれ見よがしに掲げていた。

「獄中の同志を解放し、国外逃亡用の飛行機を用意しろ!」

 今や彼らを支援する国家や大きな組織は存在しない。国外へ高飛びしたところで、落ち目で力のない弱小テロリストを迎え入れてくれるような組織があるのか? 

 その答えは、少なくともSIUには関係のない話だった。

「武器と起爆装置を捨てろ!」

「こちらの要求を飲め!」

 互いに折れる気がないのならば、話が平行線になるのは当然だ。どちらかが、話をぶち壊しにしない限り。

「ならせめて、人質を解放して誠意を見せろ!」

「彼らはお前たち企業や国家権力から守っているのだ!」

「こいつら何言ってんだ?」断片的とはいえ、容疑者の主張を理解できたアルトゥールが鼻で笑う。「爆弾括り付けた野郎が言うセリフじゃないな」

 しかし、爆弾を爆発させるまで待ってやるわけにもいかない。

「こちらレッド・シックスジョン。ブルー、イエロー。プランB開始」

 ジョンから合図を受けたブルーとイエローが口調を変え、容疑者に呼びかけ始める。

「わかった。そちらの要求をもう一度聞かせてくれ。確認する」

 思いもよらぬ発言に、容疑者三人組が一瞬硬直する。疑いはしていたが、チャンスとも捉えたのだろう。リーダーが口を開いた。

「不当な拘留を受けている同志、遠場演二と吉永左右吉の解放。そして我々全員が入る飛行機だ。シリアまで行けるように手配しろ」

「二名の解放と、飛行機だな。他には?」

「ここから出て行け!」

 言われた通りに。ブルーとイエローが順に下がっていくと、容疑者が人質の後ろから身を乗り出し、退却するチームに銃口を向けた。

「今だ」

 盾から身を乗り出し、気が緩んだ瞬間。窓の向こうに死がゆっくりと降りてきた。

 レッドチームは三階のベランダからラペリング降下していたのだ。

 ジョンは素早く起爆装置を持つ容疑者を捉え、傍らの机に置いた瞬間を見た。

ウェポンズ・フリー発砲許可

 ジョン・アルトゥール・ポーターの三人が並び、同時に引き金を引いた。

 最初の銃撃で窓が砕けるとともに、無数の九ミリ弾が容疑者の臓器を次々に破壊していく。

 人質二人は容疑者からこぼれた体液をもろに浴びて悲鳴を上げた。

「容疑者三名無力化。作戦完了」

「早く降りよう。仕事が終わって転落死とかマジ笑えねえ」

 彼らの命綱を支えている建物の支柱は、人一人を支えるにはかなり不安があった。ポーターの言う事には一理ある。三人は早々に地面へと降り立った。


◇ ◇ ◇


 仕事もひと段落し、隊員が次々に帰路へ着いたオフィス。ジョンは珍しく終業時間が過ぎた今もそこにいた。

 耳鳴りが聞こえてきそうなオフィスにノブを捻る音が響く。

 来たか。ジョンは扉を睨んだ。

 扉を開いたのはベカエールで、資料をいくつか膝に置いていた。ジョンは駆け寄ると、彼の代わりに資料を手に取った。

「ユキムラ、それは君のものだ」

「ええ、知ってますとも」

 資料は今回の事件で射殺された犯人と、逮捕された犯人の調書だ。

 射殺された容疑者は二〇人中一四人。中にはジョンが追っていた日本革命連合の幹部、小林望夫こばやしもちおが含まれていた。あの爆弾の起爆スイッチを握っていた男らしい。

 図らずとも、ジョンは自らの手で報復を果たしたことになる。

「君の契約の内容は知らん」ベカエールが言った。「だが、何となく想像は出来る」

「非難しますか?」

「私にその権利はない。ただ、一つ言っておこう。犬死したくなければ深追いするなよ」

 言いたいことを言い終えたベカエールは廊下へ消えた。

 何を言うか。私はこのためだけに生きているというのに。

 しかし、そんな事よりも目前の資料の方が重要だ。

 果たしてこの世界のどこに残りのクズ共がいるのか。何人を無様に死体を晒してやることができるのか。ジョンの生きがいはそのぐらいしか残っていなかった。

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