ジョン・ユキムラ
前編
二〇一八年三月七日
愛知県羅宮凪市 特別警備隊南詰所
午前六時丁度、ジョン・ユキムラはSIUのオフィスに到着した。
その頃には既に長谷川ライナルトが出勤し、デスクについていた。
他に顔を出しているのはあまり親しくない隊員だ。
その長谷川はというと、ひとりパソコンを眺めて暇そうにしている。
「おはよう」手短にジョン。
「おはよう、時間通りだな」心なしか声を弾ませて長谷川は挨拶を返した。
始業時間だというのに、隊員のほとんどが顔を出していない。
実を言うとこの状態、召集が掛かっていなければ割とよく見られる光景だ。いつもなら、あと一人安寧警備の人間がいるはずだが……
「すみませーん、遅れました」
噂をすればなんとやら。そう言って足早にオフィスに駆け込んだのは
海上保安庁の
しかしふざけた態度とは裏腹に、実力はある。特に海上での狙撃技術に関してはチェルノフやチーム1のクリスですら一目置いているほどだ。
そんな“ふざけた野郎”という烙印を押されている人間ですら、今回は少し遅れたものの普段はちゃんと来るというのに、他の連中は何をやっているというのか。
せっかくだから、ジョンはどのぐらいに誰がやって来るのか観察する事にした。
五分後、チェルノフを初めとする隊員半分ほどがやって来た。これはいつも通り。始業までに現れる方が少数派なのだ。
さらに二十分後、大あくびをしながらポーターが現れた。
「おい、今何時だと思ってるんだ」
長谷川が苦言を呈すと、ポーターは視線を腕時計に落とし、ややおいてから言った。
「あれ、今五時半じゃねぇのか?」
これだからアイルランド人は。
言い訳なのか本気なのか、理解に苦しむ言葉を聞いてジョンは呆れた。
始業時間から三十分後、アルトゥール以外の隊員が到着した。彼の姿は全く見られないが、平常運転だ。
いつの間にか出勤していた……恐らく、最初からいた……ベカエールから簡単な業務連絡を受ける。以前は始業時間五分後に行なっていたが、この通りほとんどの隊員が時間を守らない。
遅れて来た隊員に厳重注意の上で再度業務連絡をしていたが、彼らは給料に響かないからとまったく改善しようとはしなかった。
結果、先に折れたのはベカエールで、三十分後に集まってきたところでまとめて行うようになった。その以降に来たのは知らん。そんな具合である。
最初の行事が終わると、隊員達は決まった順番で意気揚々とオフィスの隣に設置されたシューティングレンジへ向かった。
これは朝の射撃訓練である。一日の始まりは射撃に始まり、一日の終わりを射撃で終える。これがSIUである。
順番が進んでジョンたちの番になると、それぞれが得意とする銃器をケースから取り出し、コンクリートで覆われたレンジに立つ。
今回ジョンは久々にC8カービンを持ち出すと、弾倉一つ分を的に向けて発砲した。
このカービンライフルはアメリカ製M4カービンのカナダ版とも呼べるものだ。
差異といえば、M4のシルエットで特徴的なキャリーハンドル型リアサイトがコンパクトな小型のものと替えられている以外に目に見える変化はない。
ではなぜジョンがそんなマイナーチェンジ版をわざわざ手に入れているのかというと、イギリス軍の制式小銃はあの欠陥銃と悪名高きL85ライフル。
現在は改良が重ねられた結果まともな小銃となったが、やはりSAS出身のジョンにとってはC8カービンの方が持ち慣れていた。
この銃の欠陥を早々に見抜いたイギリス陸軍特殊部隊SASはこの小銃を蛇蝎の如く嫌い、なんとか代用品はないかと探した。
そうして最有力候補となったのは、アメリカ軍のM16ライフルだろう。数多の実戦と改良によってその性能は折り紙つき。
NATOの盟主たるアメリカと同型のライフルを使うのは様々な面でプラスになり得る。
しかし、普段植民地風情と侮っているアメリカに対して「そちらの銃を使わせてください」と頭を下げるのがよほど気に入らなかったらしく、ややこしい手段を使い限りなく近いものを入手した。
その結果がカナダ製のM16であるC7ライフルであり、ジョンが今握るのがC7のカービンモデルとなるC8である。
装備の購入自体は自費だが、C8が安価だからというわけではない。
彼のような精鋭ともなるとCQB程度の交戦距離ではレーザー照準器をはじめとする、あらゆる照準器を用いるまでもなく、感覚だけで狙った場所に当てられる技術を持っている。
この感覚を活かすため、熟練の技術を持つものは長年使用した武器を好むのだ。
小銃から弾薬を抜くと、遠目から見ても穴だらけの的を手元へ引き寄せた。
穿たれた穴は的の胸部や眉間に集中し、気まぐれに拳銃を描いた辺りに数カ所あった。
そして、的から外れた弾は一発もない。
まあまあか。
この結果を及第点と判断したジョンは、イヤーマフを置いて一歩退くと、隣は突入班でたびたび顔を合わせる長谷川・アルトゥール・チェルノフ・ポーターの四人だと気付いた。
まだこの部署に来て間もないジョンは、彼らがどの程度の技術を持つか見定めようと後ろから見守ることにした。
長谷川は珍しいことに拳銃ではなく、416自動小銃を持ってレンジに立っていた。一応、特別警備隊は警察の下部組織の扱いという事もあり、やろうと思えば自衛隊やSATで用いられてきた89式小銃を使用することも可能だ。
だが、日本人向けに設計された89式と日本人離れした長谷川の体格。彼は元から89式小銃が小さいと感じていたらしく、装備の自由が約束されると早々に416を入手していた。
もちろん、本人の
普段の性格とは裏腹に、長谷川の射撃には容赦がない。胸部を中心とした着弾痕に、手足の先端を狙った射撃が目立った。殺害を避ける射撃のつもりなのだろう。
いつの間にか姿を現していたアルトゥールはというと、相変わらずFALを使って訓練に挑んでいた。そんな彼の射撃の癖は非常にジョンと似通っている。
胸部や頭部をはじめとする急所への射撃。違いを挙げるとすれば、的の頭部には弾痕でスマイルマークが描かれているところだろう。射撃訓練でも茶目っ気を出すのは実に彼らしい。
突入班のメンバーではないが、コンビニ強盗の一件から顔を合わせることが多い、謎のロシア人チェルノフ。その経歴はベカエールでも知らないのではないかと評判だが、風の噂ではヴィンペル部隊出身と囁かれている。
この射撃場では彼が得意とする交戦距離を再現できないが、あらゆる状況に対応する訓練なのだろう。愛銃のSVUを構えて五十メートル先の標的に風穴を開けていた。
さらに十発の弾倉を空にすると、素早くホルスターのマカロフ拳銃を抜いて射撃を再開した。恐ろしい事に拳銃すらほとんどが有効弾である。
ポーター。ジョンが顔を合わせた記憶はないが、彼はよく知っているらしい。元SASらしいので知っていておかしくはないが、顔も知らない他人が自分の事を知っているというのは、なにやら気分が悪い。
彼は恐らくチームの誰よりも強い筋肉を持つ。そのため作戦の際には荷物持ちとして、様々なツールの運搬・使用を行う。
そんな彼がこの訓練に持ち込んだのはMAG機関銃だった。七・六二ミリNATO弾を発射する高性能な機関銃だが、果たして屋内での戦闘が中心となるSIUで使う機会があるのか甚だ疑問である。
ズババババババ! 猛烈な威力を持つ掃射が的を襲う。
ただでさえやかましい銃声は、機関銃のものとなるとさらに酷くなる。しかもこの閉鎖空間だ。
ジョンはMAGの姿を見ると即座に耳を塞いだが、それでも耳鳴りを感じた。
「誰だ機関銃撃つバカは!」
そんな声まで上がる始末である。
しかし大口径弾の威力は凄まじい。的は一文字に薙ぎ払われ、首から下は床に落ちていた。
単なる威力と弾数に任せた暴挙にも見えるが、ジョンは文字通り真っ二つになった的に注目した。
一直線の弾痕は、まるで刃物の切れ目のように真っ直ぐだ。
的を穴だらけにして木端微塵にするのは難しい話ではない。だが、こうも綺麗に切り落とすとなると話は別だ。狙撃とは少し違うが、高度な技術が必要となる。
やはり、仮にもSASに所属していた以上はただの馬鹿ではない。手前味噌のようなものだが、古巣を誇らずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
射撃訓練が終わるとパトロールに移る。
ジョンは長谷川と共にSUVタイプのパトカーに乗り込むと、犯罪蔓延る羅宮凪の町へ繰り出した。
今回の巡回は島の中部、大牧町だ。恐らくこの島では珍しい比較的平和な場所だろう。
事実、これといった事件もなく時間は過ぎ、時刻は八時を回った。
しかし、どこかしらで何か起きなければ気が済まないのが羅宮凪島である。
「大牧町で活動中の全車両へ。土井公園にて地元犯罪組織の激しい抗争が発生、死傷者が多数出ている模様。至急、現場に急行されたし」
「十三号車了解、急行する」
ただぶらついている時に聞こえてしまった以上、指示の拒否は出来ない。ジョンが無線機に向けて応答すると、長谷川は土井公園に向けてハンドルを切った。
ジョンは現場に転がる薬莢の一つを拾い上げ、長谷川に問いかける。
「どう思う?」
「口径七・六二ミリ、薬莢長三十九ミリ。AK-47で使われるM43ライフル弾だな」
彼がそう言うのなら、自分の見立ても正しいのだろう。
しかし恐ろしい場所だ。これが組織によるものではなく、個人の集まりが起こした者とは。
今回の事件は目撃者の証言からヤクザやマフィアによるものではなく、自警団によるものとされていた。
その理由は、リーダーと思われる人物が被る覆面だ。
死人仮面。九十年に羅宮凪島を震撼させた連続殺人鬼にして、この島で自警団が力をつける契機となった元凶。文字通り、死人の皮を被って地元のチンピラからヤクザ、果ては警察を相手にしてまで殺人を繰り返した本物の狂人である。最後はさすがに逮捕され、警察署で拘留中に病死したとされている。
あまりに衝撃的過ぎる事件の内容から、このニュースは遠い海を越えたイギリスにまで渡っていたほどだ。
最近までは衰退していたが、近年再び死人仮面の模倣犯が現れ、自警団も増加している。
そう、ただの自警団が本来違法であるはずの自動小銃を持って暴れているのだ。
銃大国のアメリカですらこんな事はめったにない。というか、まともな国ならあってはいけない事だ。
「僕の知る限り死人仮面は単独犯だったはずだから、さらにタチが悪いな」
「むしろ、単独でやっていたこと自体が異常だろうに」
元あった場所に薬莢を転がすと、ジョンは到着した鑑識に引き継ぎ処理を行うと、現場を後にした。既にジョン達の勤務時間は終了していた。彼らからしてみれば、勤務時間外まで出る事のない残業代を目当てに仕事をする義理はないのだから。
◇ ◇ ◇
詰所にパトカーを返して業務の報告を行えば、晴れて今日の業務は終了。事件の影響で午後十時とかなり遅めの終業となったが、いつ終わろうがジョンのやる事といえば、近場の小さなパブに顔を出してスタウトをぐびぐびとやるぐらいなものである。
長谷川は下戸であるためか、その辺りの付き合いは悪く寮で眠っているのだろう。
数少ない友人が酒を飲まないという事で、自然とジョンが飲みに行くという際は独り酒という事になる。
店主は中年の男性と、その娘だという二十代半ばほどの女性だけだ。近くに特殊警備隊の詰所が出来たから、店主がイギリスに住んでいた経験を活かしてパブを立ち上げたのだと言う。
結果は前述した通り。ジョンを含めた数名の常連によって、どうにか経営を維持している自転車操業である。
会話を阻害しないように小さく流れるモダンジャズを聞き流しつつ、ジョンはポテトチップスを一枚口に運んだ。店主曰く、既製品ではなく自家製だとか。
ポテトチップスはデブ大国アメリカの発明品だが、確かに世界のデブ共が手放せなくなる理由が頷けた。チップス―――今回の場合、フライドポテトとなる―――よりも手軽に食べられ、カリカリの食感と僅かな塩味は癖になる。
正直、食えればいいだろうと言わんばかりに料理が酷いパブで出されるチップスは悲惨だ。油がギトギトで食感が悪く、塩も多すぎるか少なすぎるか。
その点、このポテトチップスは素晴らしい。しっかりと油は除去され、塩加減も程よい。確かに市販品と比べれば見てくれは悪いが、それはイギリスの酷いチップスと比べれば些事に過ぎない。
ジョンが他人の事を言えた義理ではないが、イギリス人の多くは料理に無頓着すぎる。日本人の多くは料理にうるさい分―――少々過剰に思えることもあるが―――、出される料理は基本的に悪くない。ラーメンやそばなどというマナーの欠片もない料理を除けばの話ではあるが。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました」
数少ない常連の一人がパブを後にして、残る客はジョン一人となった。
「エダマメを頼む」
「はい」
枝豆。ジョンが少ない、日本に来る以前から好んでいた日本製品だ。
皮をむくのは確かに手間だが、向いた瞬間口に飛び込んでくる独特な感覚と、癖のない味。不思議とジョンは枝豆の文字を見たら注文せずにはいられなかった。
もちろん、この枝豆もこの店で作られているものだ。恐らく、娘さんが裏方の厨房で豆を茹で、冷ましてから持ってきているのだろう。その証拠に皮は冷めているが、中の豆はほんのり温かい。
それを今回も証明してやろうと枝豆を一つ手に取ったその時だ。
こんな時間だというのに、珍しく客が現れた。それも複数だ。
「いらっしゃいませ」
店主が言うと共に、ジョンも振り返った。同時に、それが客ではないと悟った。
白いパーカーに白いシャツ、あと白いジャンパー。間違いなく、羅宮凪島のカラーギャングの一つ、ホワイトスネークズのメンバーだ。
彼らは明らかに未成年の顔立ちだが、躊躇うことなくカウンターに向かってきた。
「金を出せ」
自警団といい、こいつらといい、よほど平和な時代を嫌っているらしい。
あまりよくない視線を向けられていると気付いたギャングがジョンにナイフの切っ先を向けた。
「失せろ」
現実問題、刃物に対する最高の対処はナイフを弾き飛ばしたり、奪うなどではなく、尻尾を巻いて逃げ出すことだ。銃器と違って刃物は手と同じぐらいのもので、届きさえしなければなにも問題はない。
「わかったから、そんなものを向けるな」
それに、この島の店舗ならば大抵は強盗や窃盗に備えた保険に入っているだろう。
一時的な恐怖を味わうだろうが、大人しく出すものを出せば失うものはなにもない。
そう気を落ち着かせつつ、ゆっくりと出口に向けて歩き出すと、後方で争う気配を感じた。
「やめて、やめてください!」
「うるせぇ! ここに並べ!」
パチン。店内に頰を叩くような音が響いた。
ジョンは博愛主義者ではない。人間は平等ではなく、仕事柄人権を害するような真似をしなければならないこともある。
それになにより、この世には死ななければならない人種がいる事も悟っている。彼は、そんな人種を殺すために生きていた。
そう、ジョンは博愛主義者ではない。
だが、目の前でなんの罪もない人が痛ぶられているのは見過ごせない人間だった。
もしかしたら、外で敵の仲間が見張っているかもしれない。それに途中で逃げ出されても困る。
丁寧に出入り口の扉を施錠すると、
「おい、何してんだてめぇ」
ギャングの一人が施錠する音に気付いて叫んだ。ジョンは振り返らず言う。
「私は
施錠を終えると、三人のギャングに向き直る。
「だから、私に言えるのはこれだけだ」
ジョンは常連客が残していった空のグラスを投げ付けた。正確に投擲されたグラスは真ん中に立つパーカーの眉間に命中。脳震盪を起こしたのか受け身を取りもしないで天を仰ぐように倒れた。
突然の事態に、二人はグラスの行き先を目で追ってしまった。それが運の尽きだ。
ジャンパーが気付くと、目の前にはジョンがいて、瞬きする間もなく股間を蹴り上げる。これには堪らず意識が飛んだ。
とどめにボクシング経験者のストレートが顎に炸裂し、ジャンパーはその場に崩れ落ちた。
ジョンがシャツに視線を向けると、彼はハッとしたような表情で腰に右手をやった。
少なくとも降伏の準備ではないとみたジョンは瞬時に肉薄し、右手を抑えた。
「か、勘弁してくれっ」
と言い終える前に、シャツは地面に張り倒されていた。
「
シャツの腰から奪い取った拳銃は、見たこともない不格好なシルエットをしていた。恐らく、密造村の職人が見よう見まねで設計した名もなき密造銃だろう。
かろうじて弾倉・銃口・引き金・銃把など、最低限発砲に必要な部品はわかったが、安全装置はどこにあるのか皆目見当がつかなかった。もしかしたら、元からそんなものはないのかもしれない。極めて危険な銃だ、引き金を引くまでもなく弾が出かねない。
ジョンは弾倉をどうにか引きずり出して薬室からも弾を抜くと、ポイと床に転がした。
「マネージャー、
そう言われて、店主は正気を取り戻したのか慌てて固定電話に戻った。そしてジョンは、カウンターに残したままだった残りのビールを一気に飲み干した。
恐らく、この後は警察や特警から事情聴取を受けることになるだろう。少なくとも、いい夢を見ることは出来ないだろう。
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