後編

 ドヤ街。一般的に呼ばれるそれは、主に日雇い労働者が宿泊するための安宿ドヤが集まって形成される場所だ。しかし、星見のドヤ街はそれと大きく異なる。

 星見町はかつて観光で栄えていた町だった。羅宮凪島東部沿岸に広がる珊瑚礁は、太平洋戦争を経てもなおその美しさを保っているため、一目見ようと観光客が集まった。とはいえ、珊瑚礁を観光出来る人間が裕福とは限らない。南部のリゾート街のホテルは主に富裕層向けで、一般庶民には一泊だけでもハードルが高い。

 そこで、受け皿として星見町のドヤ街が選ばれることが多かった。

 しかし時代は変わる。時は八十年代、日本が平成バブルと呼ばれるバブル経済に突入したのは、日本の中の外国と悪名高い羅宮凪島でも例外ではなかった。

 南部の平野に建つ古い住宅街はオフィスビルやリゾートホテルに変わり、中部では丘陵地帯が削られて大規模なベッドタウンが形成された。

 島中部ほとんどの土地を持つ金剛寺家も、東部の珊瑚礁を観光資源としたリゾート街を星見町に作り出さんと活動を始めた。

 企業の招致、設計事務所への依頼、工務店への連絡。それらすべてが終わり、さあ新たなリゾート街の誕生だと作業を始めた当時、一九九三年。

 既に経済は低迷を始め、泡のような経済バブル景気は弾けていた。

 結果から言うと、リゾート街計画は失敗に終わった。立ち退きが済んでいない民家や、ホテルの土台を作ったまま放置された土地はまだ良い方。酷いものは前の住民を立ち退かせて更地にした後、放置されたのだ。

 特に戦後からドヤ街だった周辺は酷く、上空から見ると、まるで整えたかのような真四角の更地が広がり、それを包むように放置された建設中の建物が並んでいた。

 一年ほど計画が放棄された時のまま放置され、九五年になるとホームレスや日雇い労働者、不法滞在外国人等が周辺に集結。建設途中の建物や土地を違法占拠して一つの町を作り始めた。

 それが、星見のドヤ街である。


◇ ◇ ◇


二〇一七年五月四日

愛知県羅宮凪市 星見町北区ドヤ街


 血痕は北に向かい、羅宮凪電鉄を横切るための地下道からドヤ街へ続いていた。出血量から見て、原崎の負傷は止血に手間取っている様子だ。

 それに原崎は怪我の影響で左足が義足だ、駆け足でもそう速くないはず。走れば充分に追い付けるだろう。

 しかし、アルトゥールの勘は否定した。ここから先、何かよくない事が起きるに違いない。根拠はないが、確信に近い何かがあった。

 彼は抱える七・六二ミリFALをいつでも発砲出来るように、親指の腹をセレクターレバーに押し当てた。

 このライフルは威力以外のこういう点で、M4カービンよりも優れている。大型のセレクターレバーは操作性に優れ、緊急事態でもミスせず切り替えやすい。

 どんなものでも、新しいから無条件に良いという事はあり得ないのだ。

 地下通路を抜けると、そこはもうドヤ街だ。廃墟のホテルには外国人ギャングをはじめとするこの町の上流層が住まい、更地の掘建て小屋では日雇い労働者やホームレス、表に出られない無法者が糊口を凌いでいた。

 ここは武装した特警隊員が長居していい空間ではない。道行く人々は所属を示す腕章を見るだけでも軽蔑の視線を送り、時には殺意を込めた目で睨んだ。

 応援は要請したが、星見町で銃絡みの事件ともなれば警察・特警共に嫌がる。

 警官なら一服して、特警隊員ならゆっくりと一杯を飲み干した後に向かうといったところか。この島の殉職者約二十パーセントがこの町で生涯を終えるのだから当然だ。

 建設途中のホテルでは、途切れた上層階がトタンや無塗装のコンクリートによって違法かつ無計画に増築され、まるで九龍城の様相を呈していた。

 地震で度々人死にが出る崩壊事故を起こしても改める気がないのだから、人の無学習は恐ろしいものだ。

 そんな人の業が詰まった町。アルトゥールの勘が当たらないわけがなかった。


 旧ホテル予定街からドヤ街に続く路地裏で、遂に原崎の背中を捉えた。

「そこを動くな!」

 カルロスが発した警告によって、太腿を押さえた原崎の足がピタリと止まった。

「原崎謙也、お前には銃刀法違反の容疑がかかっている。両手を見える位置に挙げて、ゆっくりとこちらを向け」

「傷口を抑えても?」

「構わないが、馬鹿な真似をしたら撃つ」

 傷の酷さを自覚しているのか、彼は素直に応じた。

「よし、そのままでいろ」

 これで奴に手錠を掛ければ仕事は終わりだ。

 アルトゥールがそう考えると共に、嫌な予感はさらに強くなった。

 奴を捨ててでも逃げろ。この状況は危険だ。

 勘はそう警告するが、肝心の理由がわからない。

 なら無視すべきか? しかし、勘と言っても決して単なる当てずっぽうではない。本当の勘とは、本人の中では答えを導き出しているが、それを論理的に言語化出来ないものだ。

 論理的ではないゆえに他者への説明は出来ないが、本人の中では確実に結論へと至っているはずなのである。

 意識を研ぎ澄ませ、察知できる範囲だけでなく、世界すべてを観察した。

 つまり、今の五感だけではない。記憶も働かせ、過去の五感を呼び戻すのだ。

 この現状の原因は、間違いなくあの時原崎に掛かって来た電話だ。あれさえなければ、こんな状況には陥っていないはずだ。

 あの電話の内容はケンタへ嫌疑をかけるに十分な内容。

「フレッシャ、手錠を掛けろ」

 一歩一歩、ゆっくりと原崎のもとへと歩みを進める。

 ケンタの裏切りを確信させるのに最も手っ取り早いのは、あの場に特警隊員の自分達がいることを知らせることだ。

 内通者? いいや、もっと可能性の高い存在がいるではないか。

 窓拭きホームレスだ。あれがもし剣の会の構成員であれば、見張っている特警隊員がいると報告するはず。疑われるのはケンタと言うわけだ。

 しかし、こうとも考えられる。

 ホームレスが構成員の偽装ではなく、仲間だとしたら?

 ファベーラでもよくあった事だ。ギャングたちは現地住民がまともな教育を受けられていないのをいい事に、『政府はお前たちから搾取する敵だ』『搾取からお前たちを守ってやれるのは自分たちだけだ』等と喧伝し、住民と政府との間に不和を生じさせた。

 この国でも、それが起きていたとしたら?

 心の用意が出来てさえいれば、奇襲はそれほど恐ろしいものではない。

 この結論に至ったと同時に道の先からAKを携えた男が現れても、アルトゥールは冷静に対処できた。

「武器を捨てろ!」

 襤褸らんるを身に纏った男が銃口を向けた直後、容赦なく眉間を撃ち抜く。

 これが開戦の鏑矢となった。

 銃を持った人間が二人と増えたのを見て、さすがにこれは危険だと判断したアルトゥールは、少し戻ってカルロスと共に建物の陰に身を隠した。

「なんでホームレスが武装してるんだ!」

「このまま武力革命でも起こす気なんじゃないかね!」

 原崎の姿はドヤ街の方向に消えた。アルトゥールの推測が正しければ、ドヤ街は彼の庭のようなもの。急がなければ逃げられてしまう。

「こちら十八号車、自動小銃による銃撃を受けている! 至急、増援を頼む!」

 果たして、こうする事で増援は早くなるやら遅くなるやら。他の常識通じないのが、この島の日常だ。

「待ってたら逃げられる。こうなったら俺らでなんとかするしかねぇな」

「ああ……そうだな!」

 間も無く契約が終わると喜んでいたカルロス。ここまで来たらやるしかないと、半ばヤケで叫んだ。

 銃撃の切れ目と同時にアルトゥールは進路を塞ぐ二人組を射殺した。幸いにも、向こうは素人のようなものだ。反動を抑える事も出来ないのに弾倉が空になるまで連射し、建物というよりも晴天に浮かぶ雲に対して銃撃していたというべき有様。

 至近距離でなければ掠りもしないだろう。

 無力化を確認した二人は路地を抜け、テント広場に降り立った。

「爺さん、頼むぜ」

「わかってる。君達! ここは危険だ、避難しろ!」

 日本語で叫びつつ、カービンライフルを上空に向けて発砲。これで現地住民達は異常事態に気付くはず。

 それでもなお向かってくるとすれば……

「コンタクト!」

 テント広場の先に建つ建物群の屋上を、現地住民ホームレス風の衣服を身につける中年男達が接近しているのが見えた。

 走れ、連中を相手にしている暇はない。

 地面に滴っている血痕を頼りに追跡を再開。交戦するのは最低限、行く手を阻む連中だけ。残りは誤認した敵同士で銃撃戦を繰り広げていた。

 やはり、銃だけ持った素人の集まり。ブラジルのギャングや民兵と比べればガキの遊びだ。


 原崎はドヤ街の南端から侵入し、北へ移動。中部に建設された違法ドヤに複数の仲間と共に立て籠もった。

 違法ドヤは三階建ての周辺では最大級の建築物だ。放置されていた建築資材を利用して建てられたそれは、鉄鋼とコンクリートで造られており、非常に頑丈だ。

 内部で原崎は治療を受けているのだろうか。しかし、ホームレスがまともな医療を受けていないのは、狂犬病が復活した日本では社会問題になっているほど。

 大量出血を止められる設備が、この巨大な豆腐に扉を付けたような建築物に存在するとは思えなかった。

 仲間を呼んでいるのか、それとも何も考えていないのか。どちらにせよ、増援を待っている暇はない。

 二人は止まる間も無く突入を決意した。

 アルトゥールが真っ先に内部へ突入し、カルロスが背後を警戒。そして銃撃戦で逃げ出したのか、ひと気が感じられないドヤに正面から踏み込んだ。

 受付のカウンターを漁る男。彼はアルトゥールの姿を見ると同時に、両手を挙げて叫んだ。

「あ、ワタシハヒトゴロシジャナイI am not killer! コロシテPlease kill me!」

やめてdon'tを忘れてるぞ、マヌケめ」

 二人を英語圏の人間だと思ったらしく、片言の英語だ。アルトゥールは日本語より英語の方がよくわかるのだが。

 コソ泥が慌てて逃げ出すのを見届けると、先へ進む。そこで、二人は原崎がわざわざここに逃げ込んだ理由を知った。

 積み上げられた大量の金属製の四角い箱。彼らが見慣れたアモ缶と呼ばれる弾薬箱だ。

 弾頭の口径は七・六二ミリ、薬莢長三十九ミリ。すべてAKで使うための弾だ。

「ここが奴らの武器庫か。随分と集めたものだ」

「ひでえ質だな。町工場製か?」

 ここにあるAKは見るからにガタガタで溶接も甘く、ストックはなんと短く切った松葉杖になっている。ベトナムか、あるいはフィリピンの密造村製か。もしかしたら国内の町工場で作った和製かも。

 そんな事はどっちでもいい。考察は武器マニア長谷川や鑑識に任せるべきで、自分は目前のクズをどうにかすべきだ。アルトゥールは思考を切り替えた。

「こちら十八号車、エリア4-2にて大量の武器弾薬を発見した。人員を寄越してくれ」

「CP了解。至急、部隊を向かわせます」

「これで本当にすぐ来てくれるなら楽なんだけどな」

 アルトゥールが心底呆れたような表情で口走った軽口に、カルロスは無言で頷く。無線機の先で話すオペレーターはともかく、現場はきな臭さを感じてさぞ眉をひそめているに違いない。

 血痕は階段を滴っている。なら、原崎は上に登ったと考えるのが妥当な線だ。通常、ライフル弾で大量の血を失っている人間には追っ手を罠にかけられるほど余裕はない。

 むしろ、ここまで逃げた事を褒めてやりたいほどだ。

 階段は室内戦で最も危険な場所の一つだ。不安定な足場、多すぎる死角。

 普段なら避けるべきだが、そんな暇はない。一歩一歩、慎重かつ素早く段を踏みしめ、二階へと辿り着かんとしたその時。

 金属片が転がる音と共に、黒い球体が通路から投げつけられた。

「くそっ」

 手榴弾。言わずと知れた爆圧と鉄片で人体を殺傷する兵器だ。閉所ではこの破片から逃れられる場所が少ない。炸裂すればひとたまりもない。

 しかし、アルトゥールの反射神経はズバ抜けていた。

 手榴弾が地面に転がり落ちる直前にキャッチすると、飛んで来た方向へ正確に投げ返した。

「うわっ!」

 悲鳴の直後、二人は爆発による耳鳴りに襲われた。だが、破片を食らうよりはマシ。

 やめろと叫ぶ恐怖を抑えて突撃を敢行した。

 耳鳴りが治まっていたら、この部屋の惨状はさらに凄まじく感じられただろう。

 部屋には三人の男がいた。手榴弾の破片によって全身を赤く染める者、破片によって耳を失ってうずくまる者、爆音で混乱したのかAKを持ったまま立ち尽くす者。

 彼らに共通するのは、もはや戦闘不能である点だ。

 唯一の生存者は、木製の古い机を盾にしていて無事だったようだ。破片と爆圧による手榴弾の威力は極めて脅威ではあるが、爆発の加害範囲はもちろん、破片の貫通力もそれほどではない。

 空気と言う名の装甲と柔らかい木の板。これだけで致命傷を防げる事もある。

 もっとも、彼はその後が続かなかったが。

 武装を確認したアルトゥールによって、残りの一人は床に倒れた。

 通常何かを守りたい者は、バリケードを築けばその後ろに守りたいもの隠す。つまり、この先に原崎がいるのだ。血痕もその通りだと通路の最奥、宿泊者が雑魚寝する大部屋まで滴っていた。

 大部屋には扉や仕切りの類はない。アルトゥールを先頭に踏み込むと、原崎謙也はそこにいた。

 コンクリートが打ちっ放しの床は酸化を始めた赤黒い血で染まり、その中心で原崎は年端も行かない地元の少年少女たちから治療を受けていた。

 しかし、それはとても治療とは呼べなかった。清潔とは言い難い布で傷口を圧迫する。それだけだ。それだけで助けようとしているのだ。

 たとえ今の状況を切り抜け、止血に成功したとしよう。そのあとで感染症によって死に至る可能性は極めて高いだろう。

 アルトゥールとカルロスが歩み寄ると、原崎は蒼白の表情で二人を見上げ、じっと見つめた。何かを伝えたかったのかもしれないが、もうまともに口も利けないのだろう。

「こちら十八号車、容疑者負傷。至急医療班の派遣頼む」

 カルロスが伝えると、アルトゥールはベストのポケットに入った医療キットを取り出すと、傷口の少し上をワイヤーで圧迫する。すると、原崎の視線が虚ろになり、おびただしい量の冷や汗を流していることに気付いた。

 ショック症状だ、まだ死なれては困る。足を宿の備品の布団で持ち上げ、傷口を心臓よりも高くなるようにする。あとは掛布団を掛けてやり、襤褸切れをどけて清潔なガーゼを押し当てた。

 現状出来るのはこの程度、最善は尽くした。

 原崎はハァハァと息を荒く吐くと、口から綿の塊を吐き出した。そこにはデータの画像よりも痩せたように見える精悍なあの顔があった。捲り上げられたシャツの下も、一見肥満体型に見えるように形成されたボディーアーマーを着用していた。

 彼は公安の目から逃れるために、体型を偽装していたのだ。

 だが、それが今さらどうした。アルトゥールの手は離れない。

「なぜ、助けるんだ?」

 日本語に詳しくない彼でも、原崎がなんと言ったのか理解できた。だからこそ、彼はこう返した。

「静かに、黙れ!」

 ガキに慕われてる奴を、目の前でどうこうできるか。

 彼の性質上、こんな本音が言えるわけがなかった。


 しかし、話はこのまま終わりはしない。

 止血を始めて間もなく、銃声が轟いた。

「敵の増援だ!」カルロスが叫ぶ。「手を貸してくれ!」

 こちらの増援は来ないのに、向こうの増援の方が先とは。子供達に止血を任せると、アルトゥールはカルロスのもとに走った。

 幸いにも相手は階段で釘づけにしている。遮蔽物も少ないから、あの通路を通るのはこちらに弾がある限り困難に違いない。

 ただし、こちらの弾はパトロール用の装備であり、本格的な戦闘が予想される作戦と違って最低限の数しか持ち込んでいない。

 アルトゥールは七・六二ミリ弾が二十発入る弾倉を四個持ち込んでいたが、先ほどまでの戦闘で三個使い切っていた。

 カルロスが使うM4カービンは五・五六ミリ弾が三十発入る標準的な弾倉だが、残るは一個。カービンに装填された弾倉含めて四十発程度しかない。

 当たらなくてもいい。とにかく、増援が来るまで持ちこたえなければ。

 二人は敵を確実に仕留めるように、確実に発砲した。弾が飛んでこなくても、屍の山を躊躇なく踏み越えられるのは訓練を受けた兵士か、後ろからあらゆる脅威を突きつけられた人間だけだ。

 制圧射撃は弾をばら撒くだけではない。正確に殺す弾を飛ばして恐怖を植え付けるのもまた、敵を制圧する手段の一つなのだ。

 二人で五人ほどの敵を射殺した頃、窓の外に気配を感じた。ガチャガチャと響く金属音と男達の掛け声。梯子を掛けてよじ登ろうとしているのか。

「フレッシャ、見てきてくれ!」

 走らなければ。進入路がこれ以上増えれば手が追いつかない。現状で最大の弱点はこちらの手の少なさだ。相手に数的優位を活かされればやられる。

 窓にたどり着く直前、梯子の先端がガラスを砕かれた。

 手加減してやる暇はない。セレクターを連発に切り替え、銃だけを外に出して引き金を引いた。

 ダダダと爆音が鳴り響くとともに、外で転げ落ちる気配を感じた。続けて小刻みに連射を続けて敵を制圧し、梯子を蹴倒す。

 敵だって銃を使えないわけじゃない。見えないアルトゥールを狙った銃撃が窓に殺到した。

 ここは大丈夫。そう思った直後にまた窓が割れた。もちろん敵が立て掛けた梯子によるものだ。

 妙に敵の動きがよくなった。これは向こうに指揮官と無線機が加わったな。

 適切な情報と指示を送れる人間、それを届けるための装置。この二つの要素が加われば、素人でもそれなりに仕事をこなせるようになる。

 訳もわからず同士討ちをしていたような連中が見せた連携。ホームレスを民兵に仕立て上げ、武器と無線機まで与え、あまつさえ人員を割いて攻撃を指揮する。

連中剣の会、国家転覆でも始めるつもりか?」

 アルトゥールは戦闘を続けながら呟いた。

 戦闘開始から十分ほどして、カルロスが叫んだ。

「くそっ、撃たれた!」

 丁度、窓への攻撃が弱まっていたところだ。アルトゥールはカルロスのもとへ向かう。

 どうやら壁を貫通した弾が右腕に直撃したらしい。弾が出ていったところ射出口は見当たらない。盲管銃創になっているようだ。しかも動脈を傷つけたらしく、どくどくと血を流していた。

「大丈夫か爺さん?」

「あのクソッタレめ、一週間後に引退なんだぞ。……ライフルは無理だが、ピストルならまだ撃てる。最後の弾倉だが、お前が使え」

 そう言って、カービンを差し出した。体に穴が開いた状態でのライフルはかなり堪えるものがある。アルトゥールも経験していた事だが、カルロスの場合は利き腕に加えて五十代後半の年齢の事もある。

 彼は本来、戦場に立っていられる年齢ではないのだ。

 手負いの老人に走り回れと言うのは厳しい話だ。階段の警戒を変わらず任せることを決めると、遂に向こうも本気になったらしい。向かい合った窓二つに梯子が立て掛けられた。

 どちらかに向かったら、背後から撃たれる。なら、この位置からやりあうしかない。

 カルロスに背を預け、右に左に銃口を向ける。

 まだか、まだか、来るなよ……来た、右にジャージ姿の男。FALで三発の銃弾を浴びせる。

 これでFALは弾切れ。役立たずな鉄の塊を床に転がし、M4を構え、左から登って来たジャージ男を射殺する。

 弾倉の重みからして、M4も十発あるかないかといったところか。

 次々に、死兵の如く梯子を登ろうとしてくる男達を仕留めていく。四人ほど仕留めた頃だろうか。M4も床に横たえ、ホルスターのPT92を抜く。これを使わなければならない状況は、相当狭い屋内での戦闘か、長物を持ち込めない隠密作戦か、今のようにほとんど死んだような状況ぐらいだ。

 頼むぜ、もう来ないでくれ。

 音が反響する屋内で立て続けに発砲したせいで、アルトゥールの脳内では耳鳴りが治まらなかった。頭痛もする。

 来月こそは絶対に休暇だ。絶対休んでやる。その決意を胸に、引き金を引いた。


 待ちに待ったサイレンセイレーンの音色。魅了されれば最後、二度と陸に上がることはないが、このサイレンは法の象徴。待ち望んでいた増援だ。

 さすがに本格的に警察や特警とやり合うつもりはなかったらしく、敵は散り散りに逃亡を始めた。

 やれやれ、やっと終わったか。アルトゥールは生きているか定かではない原崎を一瞥すると、ぜいぜいと息を吐くカルロスのもとに歩み寄った。

「よう爺さん、まだ生きてるか?」

「まだ死ぬつもりはない」

「なるほど、そりゃいい。さ、立ってくれ。まだ腰曲がってねえだろ?」

 カルロスを立たせると、原崎のもとへ。どうにか彼はまだ生きていた。

「よしよし、まだ死んでないな」

 意識は一応あるようで、彼はじっとアルトゥールを睨んでいた。

 なに、捕まえた人間から恨まれるのは慣れている。と余裕ではあったが、その視線には違う感情が含まれているようにも感じられた。

 とはいえ、わざわざ聞いてやるほどの義理はなく、カルロスの通訳を挟んで会話するほどの興味もない。

 それに、もうそんな暇はないぞ。どたどたと響く足音がそう告げていた。

「無事か!」

 部屋へ真っ先に飛び込んできたのは長谷川だった。それに続いて、ポーターも追いついた。

「よう日本人。自警団とやらの連中はどうだった?」

「全員逮捕した。それよりも……エスパーダカルロス、傷はどうだ?」

「大丈夫だ、気にするな。死ぬような傷じゃない」

「それはよかった。救急車は間もなく到着する」

 長谷川ライナルト。自己犠牲の精神を持ち、仲間と人命を守るために最善を尽くし、性格は実直かつ愚直。ウェット・ワーカー汚れ仕事請負人にしては、優しすぎる男。

 ひねくれ者のアルトゥールとは対極にある二人だが、少なくともアルトゥールは長谷川のその性格は高く買っている。口うるさいが、いい奴だ。出来れば死なないでほしい。

 もっとも、この仕事で真っ先に死ぬのはこんな人間ばかりなのだが。


◇ ◇ ◇


二〇一八年一二月四日

愛知県みよし市 ひばりヶ丘


 遂に得られた一カ月の休暇。アルトゥールは家族が暮らす豊田へ向かうついでに旧友を訪ねることにした。

 羅宮凪国際空港にて飛行機に乗り、名古屋の空港へ。そこから名鉄金山駅まで電車に揺られ、中央線に乗り換える。一駅乗って鶴舞で降り、地下鉄鶴舞線へ。

 一時間以上の電車もこれで終わり。三好ヶ丘駅で降りると、今度こそ徒歩の時間だ。

 そこからでも結構な距離があるが、アルトゥールは凝った体をほぐすために歩き出した。


 都心から少し離れた郊外、自然が多く残るこの地には、田畑はもちろんカントリークラブを多く目にすることが出来る。愛知県は日本有数の都市として知られているが、名古屋以外は大した事のない半分田舎。

 都市部の人口偏在、地方の人口流出。これらの日本の社会問題を縮小化したような土地なのだ。

 もっとも、これを言い出すと東京都や大阪も、日本全ての県に言える話かもしれないが。

 そんな田舎情緒溢れるひばりヶ丘に、ひっそりと建つ建物がある。

 そこは一見、林と人の背丈ほどの塀に囲われた土地に見えるが、外周をぐるっと回って正門に出ると、その正体がわかる。

 正門にはあっさりとこう書かれている。

 名古屋刑務所。

 収容定数二四二六名、愛知県有数の矯正施設である。

 低い塀はあくまで敷地を囲うものであり、本当の塀はこの先、正面の門をくぐると見えてくる。

 人の背丈では簡単には超えられそうにない巨大な壁。西側の角に二つ、南東に一つ建つ監視塔は二十四時間、内部の動きを監視している。

 逃げ出すのはなかなか大変な話だろう。しかし、彼が今から会おうとしている旧友は、むしろ塀の内側に安全性を見出していた。

 検問に立つ刑務官が相対しているのが特警隊員と知ると、非常に微妙な視線を向けられたが軽く流し、簡単な書類を書き終えると、アルトゥールは中央を強化ガラスで仕切られた部屋に案内された。

 しばし待つと、刑務官に連れられた彼が姿を見せた。

「よう」

 アルトゥールの挨拶にケンタは「よっ」と苦笑した。

「まさか会いに来てくれるとはな」

「ああ。ムショの中で売人をやってると聞いてな」

「おいおい、勘弁してくれよ。こう見えても模範囚なんだぜ。風評被害撒き散らすのはやめてくれ」

 また二人は笑い合うと、アルトゥールから口を開いた。

「その様子だと、飯の質は落ちたみたいだな」

「まずい飯だからな。ま、ルームメイトに警戒しなくていいし、銃撃戦に巻き込まれたりもしねえし……仕事してりゃ飯食って寝られる分、アニジオ・ジョビンブラジルのムショよりも万倍マシだ」

「そりゃなにより。で、刑期はどんなもんだ?」

「四年だ。弾は俺の管轄じゃなかったからな」

「その頃には四十手前だな」

「お互い様だ。……で、今さら何しに来た? いくらお前でも、俺にわざわざ会いにくるほど暇じゃねえだろ?」

 そう。アルトゥールとケンタは旧友だが、今さら会いに行くほど親しくない。間違いなく何か理由がある。ケンタはそう睨んでいた。

 ズバリ図星だった。しかしそれを言えるほどアルトゥールは素直な人間ではない。

「お前の無様な姿を拝みに来てやったのさ。どうせ、お前にお似合いなのは獄中死だからな」

「ひどいな! ちゃんと出所したら足を洗うさ。その頃にゃ、ほとぼりも冷めてるだろうからな」

「それ、前にも聞いたな」

「今回はガチ。マジだからよ」

 この会話に意味はない。何を話したところで建設的な事は何もなく、ただ無為に時間を浪費するばかり。

 しかし、人間にはこんな時間が必要だ。

 特に今のアルトゥールにとっては大切な時間なのだ。

「嫁さんと娘さんは元気か?」

「そいつは脅しか?」さすがにこの冗談は心外だったのか、ケンタの表情が曇る。「冗談だ、元気だよ」

「そりゃよかった。汚職警官様は、さぞ懐に余裕があるだろうからな」

「ほう?」

 悪口ならケンタだって負けてはいない。あの時以来、汚職と捉えられる行為はしていないアルトゥールだが、あえて真顔になってみせた。

「お、おい。冗談だよ。そんな顔すんなって」

「そうそう。お互い様だな」

 どちらも、終わる事のない贖罪の真っ最中だ。

「時間だ」刑務官が言う。「その辺で切り上げろよ」

「わかってるよ。じゃあな、お巡りさん」

「またな、売人野郎」

 ケンタが刑務官に連れられて扉の先に消えていく。彼は天涯孤独の身だったはずだ。日本で新たな家族を見つけない限り、この先ずっと独りで過ごすのだろう。

 アルトゥールはBOPE時代にケンタの経歴を調べたことがある。

 彼自身の口から彼が売人となった理由を聞いたことはないが、個人的なプロファイリングでは何となく把握していた。

 だからこそ思う。彼は哀れな人間だと。

 だがそんなケンタから見ればアルトゥールもまた、戦いから足を洗えない哀れな人間なのだろう。

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