数字の見えるようになった男
ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬)
ひとつ。夜更けのカップ麺
ずずっ、ずずずっ
口中を麺の淡白な味を覆い隠す刺激的で脂っこいスープがまとわりつく。唐辛子の成分がチリチリと日に焼ける表皮のような刺激を与える。なめらかに喉を滑り降りていく麺が胃に収まったとき体が空腹だったと勘違いを起こさせた。眠りにつく臓器はその持ち主に自らの存在をないものと思い込ませるようだ。さきほどまで輪郭を失っていた胃袋がようやっとその形を思い出したように、隙間の多さを主張する。カップ麺ではこの胃袋を満たすのにいくつあっても足りなさそうだ。
わたしはそんな空腹感を紛らわせようと、あえて長めに咀嚼することにした。熱湯でたたき起こされた麺にはまったく張りがなく、いつもなら二、三回も嚙めばその原型を容易く失ってしまう。それをあえて何度も何度も嚙み続ける。絡まったスープは麺を溶かし、気色悪い触感を生み出す触媒へと変化する。
わたしはたまらず残ったスープと共に胃の奥へと流し込む。一瞬だが口の中があらゆる食物を溶かす胃に成り代わったような気分だ。おかげで食欲が顔をひっこめた。
わたしはまだスープに浮かぶ麺もそのまま台所に流し、コンロの脇のほうにおいてあったカップ麺の蓋を捨てようと手に取った。そのときいつもなら決して目にも留めないような文字、いや数字が気になってつい動作を停止してしまった。わたしがこんな夜更けに、それも一人でカップ麺を食べたりなどしていなかったら、そんなことに気づくこともなかったと思う。いや、たとえこの一生を通してこうように一人でカップ麺を食べる夜更けを経験したとしてもこんなことあり得なかったのかもしれない。
それほどにわたしには新鮮に、そして不思議に感じられたのだ。
カップ麺の蓋に大きな赤字で記された「3,1,0」という数字に。
これは、と思考が回り始めたとき胃袋から満腹の合図とともに脳がその機能を休め始めたようで、わたしは再び快眠を得るため寝室へと足を運んだ。
あの蓋をゴミ箱へ捨てないままに。
朝、もとい始業の時間をゆうに越したあたりでわたしは目を覚ました。体にはまだ寝たり足りないとでもいうようにどんよりとした雲のような疲労感が停滞している。カーテンの隙間から漏れ出る光の量からして今日は快晴だろう。わたしの体内天気予報が曇りのち晴れとなってくれることを祈るように、わたしは台所で朝食の準備を始めることにした。わたしは決まってトーストで軽めの朝食をとることにしている。時間に余裕がある時や物足りないときなどは火を通したウィンナーやスクランブルエッグなどを作ってパンとともに腹にため込む。
昨日が遅番で今日は少し遅めの出社となるため時間には余裕がある。しかし、腹の虫は大人しいままだ。まるで誕生日を前にした子供のように。そういえば昨夜は働き疲れからか夜中にカップ麺を食べていた。わたしはそのことを思い出し、冷凍庫から凍った食パンを二枚だけ取り出すとシンクの向かいに置いたトースターへと向かう。その時、目の端で異様な面構えをこちらに向けるなにかを捉えた。見ると、昨夜のカップ麺の蓋であった。片づける前に寝てしまったのかと思いながら手にした時、あの時の疑問がふとよみがえった。
わたしは改めてその三文字に注意を払った。
310ml。
そう書いてある。つまり熱湯を310ml注げということなのだろう。果たしてその記載の必要性はどれほどあるというのか。カップの内側についた溝を思い出しながら、それを捨てるとわたしはトーストの準備に取り掛かった。昨日が遅番だったとしても、もう1時間もすれば出社の時間だ。
数字の見えるようになった男 ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬) @Stupid_my_Life
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。数字の見えるようになった男の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます