雨の日

翼蛇猫

第1話

 雨は嫌いだ。別に特別な理由が有る訳じゃない。単に不快だから嫌いなのだ。傘を差しても少しは濡れるし、そもそも傘を差すのが面倒臭い。


「......雨が降るなんて聞いてない」


 僕はあからさまに不機嫌な声で呟いた。別に誰かが悪いわけではないのだが。いや、強いて言うなら『今日は晴れる』とテレビの向こうで言っていたあの天気予報士が原因か。


「折り畳み傘なら持ってきてるけど」


 背負っていたリュックサックから黒一色の折り畳み傘を取り出して彼女が言う。彼女は僕のクラスの学級委員。訳有って、休日に二人で出掛けているのだ。


「それ僕の分も有るの?」


「無いわ」


「即答かよ」


「逆に聞くけど何故、私が貴方の分まで傘を持ってこなければならないの? 天気予報は晴れると言っていたから貴方を責めることは出来ないけれど、念のために傘の一本持ってくることくらいは出来たんじゃないの?」


 ......貴方を責めることは出来ない、と前置きをしていた割には結構責められた気がする。


「いや、うん。其処はほらさ、お前学級委員だし」


「それは貴方も同じでしょうが」


 『キッ』と鋭い目付きで彼女は俺を睨む。


「お前は自ら進んで学級委員に立候補したが、僕はクラスの男子連中に圧力を掛けられて半ば強制的に立候補させられた。この差は大きい」


「どのような理由が有ろうと最終的に引き受けたのは貴方でしょう? 自分の思い通りの役職に就けなかったから真面目にやらない、が通用するのは小学生までよ。体の大きさと精神年齢が比例していないのね」


 成る程。コイツがクラスで避けられている理由がよく分かった。獲物を狙う猛禽類のような目で睨まれながら、正論と暴言で殴られたら怖いもん。


「僕の体はそんなに大きくない。一般的な男子高校生と同程度かそれ以下だ。わたわたが小さいから僕が大きく見えるんじゃないか?」


「身体的特徴をバカにするなんて貴方、想像以上のクズだったのね。......待って。今、私のこと何て呼んだ?」


「わたわた」


「私の名前は四月一日緋彩わたぬきひいろと言うのだけど」


 出た。どう読んでも四月一日しがつついたちとしか読めない名字。


「大体あってるじゃん」


「殆ど間違ってるわ。......語呂が良いのがまたむかつくわね」


「だろ? 僕が創った最高の渾名だ。もっと褒めろ。崇めろ。讃えろ」


「どうでも良い。本当は一人で来ても良かったのだけれど、私はカメラを持っていなくて。......確かに貴方は学級委員よ。とは言え、万博記念公園についてのクラス新聞を作ろう、なんて言い出したのは私。折角の休日に付き合わせて悪かったわね。きっと何時かこの借りは返すわ」


 先程まで強気だったわたわた、もとい四月一日は声のトーンを少し落として僕に頭を下げた。大阪モノレールの本線と彩都線が唯一交わる『万博記念公園駅』。その駅のホームからエスカレーターに乗ると、大きなコンコースが広がっている。

 僕と四月一日がさっきからグダグダと話していた場所はまさに其処であった。


「了解。カメラは任してくれ......って言いたいところだが、この雨じゃカメラを使うのは無理だぞ?」


 精密機械であるカメラが壊れるのは勿論、そもそもレンズが雨で濡れて酷い写真しか撮れないと思う。


「恐らく、この雨は直に止むわ。取り敢えず公園に移動しましょう」


「僕の傘は?」


「改札を出て直ぐのところにコンビニが有るから其処で買いなさい」


 四月一日の言う通り改札を出て左に行くと、たこ焼き屋の横にコンビニが存在した。しかし、店内に入ると本来ビニール傘が売られていた筈の場所に傘は置かれていなかった。

 どうやら、突然雨が降ってきたときに考えることは皆同じらしい。


「どうすんのこれ」


「困ったわね。此処で雨が止むまで待つ? それとも走って向こうのショッピングセンターに行く? 流石に傘の一本や二本、売っているでしょう」


「あそこって百均とか入ってたっけ? 僕に高い傘を買う金なんてないぞ?」


「それじゃあ、此処で暫く雨宿りをするしかないわね」


 四月一日は深い溜め息を吐く。しかし、四月一日と二人きりで雨宿りってなんか気まずいな。四月一日は凄く活動的な学級委員だ。なので、それに付き合わされている僕は他のクラスメイトより彼女と話したり、一緒にいる機会が多い。


 そのお陰で皆から畏怖の念を抱かれている彼女との接し方や距離感は掴めてきたのだが、だからといって別に仲が良い訳ではない。楽しくお喋りしている間に雨が止んでました~、みたいなことには決してならないのだ。


「うーん、でもなあ.......」


「どうしたの?」


「いや、スマホ持ってくるの忘れたしこんな何も無いところで雨宿りするのも退屈だなと思って」


「知らないわよ。そもそも貴方がきちんと傘を持ってきていれば......」


「僕がわたわたの傘に入れば解決じゃないか?」


 四月一日がまた説教を始めようとしたので、俺はそれを遮ってそんなことを提案した。我ながら素晴らしい案だと思う。


「は?」


「獲物を狙う猛禽類の目付き止めて?」


「一体、どんな馬鹿げた案を出すかと思ったら……馬鹿なの貴方?」


「二度も馬鹿って言ったな? マザーテレサにも言われたことないのに」


「貴方は聖女を何だと思っているの?」


「知らね」


「キリスト教徒に刺されれば良いのに」


 お前はお前でキリスト教徒と僕を何だと思っているんだ。


「いやでも真面目な話、僕と四月一日が一緒の傘に入れば一件落着じゃないか? お前の傘、結構大きいだろ。あ、それとも何かい? 泣く子も黙る学級委員様は相合い傘とか意識しちゃうタイプなの? ウブなの? 無垢なの? ピュアなの?」


「......っ!」


「穴のあく程僕の顔を睨んでも答えにはなってないからね? いや、大体予想は付くけどさ。わたわたって意外に可愛いところ有るのね」


 流石にからかい過ぎただろうか。四月一日の表情は紅潮を通り越して恐ろしく暗いものになっている。


「......上等だわ」


「ん?」


「貴方の案を実行しましょう。ほら、入りなさいな」


 四月一日は折り畳み傘を広げると、鋭い表情を浮かべながらそう言った。


「......マジで言ってんの?」


「私が虚言を吐くとでも? 時間が惜しいわ。早く」


「まあ、わたわたとの相合い傘とか役得でしかないから僕は良いけど」


「相合い傘言うな。......遠慮しなくて良いから、もっと中に入りなさい」


 四月一日は若干声を柔らかくして僕の服の裾を引っ張った。ああ、駄目だ。僕はこういう不意打ちに弱い。


「なあ、四月一日?」


「何よ」


「好き」


「......あっそ」


 僕は雨が大嫌いだ。でも、今回だけはあの天気予報士を許してやらんこともない。

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雨の日 翼蛇猫 @sesami2006

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