僕の理想の夏 〜冷えた麦茶とそうめんとゲーム〜
ほまりん
理想の夏ってなんだろう
夏に幻想を抱くのは仕方がない。
蒼く澄んだ空が人の心を奪う。
新緑の瑞々しさは人の目を奪う。
日中の蒸し暑さに人の思考は奪われる。
そのせいで正常な判断能力は低下して、遂にはセミの騒がしささえも風情に感じる。
一週間の儚い命が好き勝手に開催する合唱祭。
ついつい耳が奪われてしまう。
でも、どれも外に出るからだ。
部屋に引き篭もって、エアコンをつけて、無防備なだらしない格好でだらしない生活を送っていればなんてことはない。
青空も草木も窓の外をわざわざ見ない限り視界に入らないし、ほどほどに防音がよければセミの歌声も聞こえないし、暑いどころか最高に涼しい。
ふと、喉が渇く。
家の中にいて汗もかかなくたって、喉はどうしたって渇く。
僕はまず台所の食器棚に向かった。
棚を開けて細長いコップを取り出す。
次に冷蔵庫の引き出しを開けて、製氷スコップを手に取り、氷をガラガラと掬ってコップに無造作にぶち込んだ。
最後に麦茶の入った2Lペットボトルを取り出して、氷の入ったコップを台所の台に置き、ゆっくりと傾けて
コポコポコポ。
飲みたい気持ちを駆り立ててくる麦茶の
ピキピキピキ。
繊細で耳心地の良い、氷に液体が当たった時のひび割れるような音。
麦茶が溢れない程度に注いだあとは、ペットボトルのキャップを締める前に、コップを手に持って一気飲みする。
もう一度麦茶を注いで、また一息に飲み干した。
「ぷはぁっ!」
乾燥していた喉が潤う。
不足していた水分を十分に摂取する。
ペットボトルを冷蔵庫に仕舞って、コップは台所に置いたまま、また自室に戻った。
理想の夏ってなんだろう。
夏と言えば恋の季節だ。
一夏の恋、なんて言葉もある。
僕たち学生には夏休みがあるために、夏の半分を自由に謳歌できる。
そんな時に彼女がいればどうか。
暇な時間はたっぷりとあるから、きっとデートに何回も行ける。
海やプールに行って彼女の水着姿に興奮するも良し。
夏祭りに行って彼女の浴衣姿に見惚れるも良し。
花火大会に行って花火よりも彼女の横顔を眺めてしまうも良し。
両親が共働きだったりしたら、こっそり家に彼女を呼んで、親が帰ってくるまでに……なんてこともできてしまう。
これはエッチだ。
そもそも汗をかく女の子がもうエッチだ。
すごいぞ恋人。
これはもう恋愛に生きる夏が理想で決まりか?
いや、ちょっと待って欲しい。
恋人と過ごす夏も良いけど、友人と過ごす夏も素晴らしいんじゃなかろうか。
海では騒ぎながらスイカ割りができる。
友人の首から下を砂浜に埋めて、股間部分だけ砂を大めに盛ることもできる。
手持ち花火を遊ぶ時は、数人が一列に並んで点火した花火を文字を書くように動かし、それを一人が録画撮影する、というような遊び方もできる。
彼女がいたらどれもできない。
スイカ割りぐらいはできるかもしれないけど、大勢でワイヤワイヤと指示しながら遊ぶ方が確実に楽しい。
何より友達と遊ぶ際は、デートみたいに身嗜みに気をつける必要はもちろんない。
すごいぞ友人。
これはもう友達と遊ぶ夏が理想で決まりか?
……なんて言ってるけど、僕が本当にそう思ってるなら、今みたいに家に引きこもるようなことはしない。
もちろんどちらも素晴らしい。
恋をするのも友達と遊ぶのも、何かない限りはすこぶる楽しいだろう。
だけど結局感性なんて人それぞれな訳で。
インドア派な僕にとっての理想の夏は……
カチャカチャカチャ。
コントローラーを忙しなく動かす。
スティックを傾け、ボタンを押し、キャラクターを操作する。
テレビは古い型で、ゲーム機は二世代前の型で、つけっぱなしにしている扇風機は何年も前に購入した型だ。
僕の部屋は和室。
畳に布団を敷いている。
その上に胡座をかいて座りながら、少し猫背になってゲームしている。
「あ、ちょ、ちょっと待って、ああーー!」
些細なミスが災いしてゲームオーバーになる。
良いところまで進んでいただけに、ショックで脱力して仰向けに倒れた。
布団が柔らかく受け止めてくれる。
天井にはまーるい照明器具がついていて、見上げているとちょっと眩しい。
この照明器具はシーリングライトという名称なのだと最近知った。
「やり直しかぁ」
昔のゲームは親切仕様じゃない。
今のようにオートセーブなんてない。
前回のセーブ地点から再スタートだ。
一度失敗すると、それまでの数分、数時間の奮闘が無駄になる。
腹が立つけど嫌いにはなれなかった。
だからこそゲームオーバーしないよう頑張るのだから。
クヨクヨしていても仕方ない。
再チャレンジしようとしたところで、
「お昼ご飯ができたわよー!」
お母さんの大きな声が耳に入った。
「はーい!」
僕も大きく返事を返す。
ちょうど良いタイミングだ。
ゲームはつけっぱなしにして、扇風機は一度切って、エアコンもつけっぱなしにしたまま、部屋を出る。
階段を降りてリビングに向かった。
「今日はそうめんです!」
「おお」
テーブルを見ると、卓上の真ん中に氷と白くて細い麺の入った大皿が置いてあって、麺つゆの入った器と麦茶の入ったコップが二人分置かれている。
僕はお腹を空かせて椅子に座った。
するとお母さんも料理の後片付けを済ませて、着席する。
「「いただきます」」
大量のそうめんを箸で挟んで、麺つゆにつけ、大口を開けて食べる。
一口で口に入りきらなかった分は、音を立ててすすって食べた。
麺つゆがちょっぴり跳ねる。
美味しい。
この素朴な美味しさがたまらない。
我が家の夏には、毎年そうめんが昼食として出てくる。
「ごちそうさまでした!」
一足先に食べ終わった僕。
自分の分の食器を流し台に持って行ってさっと洗ってしまう。
急いで自室へと引き返し、また布団の上に胡座をかいて座った。
部屋はシーリングライトの光に加えて、窓から差し込む日差しでとても明るい。
扇風機を再起動する。
ゲームを再開する。
夏の澄み渡る空を、深い緑で満ちる草木を、セミの止まない合唱を、どこまでも続く海を、鮮やかに色付く花火を、胸のドキドキする恋愛を、楽しく友人と遊ぶひと時を。
それら全てを放棄して、一人部屋でゲームの世界に浸る。
そして時々、冷えた麦茶で喉を癒し、お母さんの手料理をたらふく食べる。
どれも家の中で完結していて、だから外出はあまりしない。
長い長い夏休みだというのに、夏を感じる機会を投げ捨てて、だからこそ夏を感じていた。
麦茶とそうめんさえあればいい。
最高に贅沢な夏の無駄遣い。
僕の理想の夏はこれで決まりだ。
僕の理想の夏 〜冷えた麦茶とそうめんとゲーム〜 ほまりん @homarinn
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