バレンタイン

第188話 絶好の機会

 進路希望調査票の提出期限から数日が経った。

 それこそ、提出期限までは多くの生徒がスマホで大学の情報を調べたり、進路室にある情報誌なんかを読み漁り、なんとしても希望調査の空欄を埋めようと必死になっていた。


 そのおかげもあってか、俺もそれなりではあるが、自分のこと、大学のこと、そして将来のことなんかを少しは意識するようになったと思う。


 実際に結衣と話してみてわかったことではあるが、やはり、お互いに思っていることをいくら相手にわかってもらおうとしたところで、それを内心に留めておくだけでは、決して相手に伝わることはないのだと。少し恥ずかしくかったとしても、腹をくくって口を割ってみないことには何も始まらないのだと。


 お互いが口にしたことで、お互いの本当の気持ちに気付くことができるのである。

 もし人の内心がわかってしまうような人がいたら、相手の気持ちを理解することに困ることはないだろうが、きっとその人の周りに誰も寄り付かなくなるだろう。

 だって、その人には自分が何を考えているかすら、カーテンのない部屋のように丸見えなのだから。


 この進路調査をきっかけに、残り少ないこの教室での時間が、しっかりと地に足着いた状態で過ごし、無事に進級――といけたのなら、どんなに理想通り、注文通りだっただろうか。


 しかし、現実というものは理想には決して相容れることのないものであり、今のこの教室の雰囲気がそれを如実に物語っているのである。


 時は二月十日――つまり、もうすぐ「日本で一番チョコレートが売れる日」とすら言われている、バレンタインデーを迎えるのだ。


 バレンタインデーの起源には、女性が名前を書いた紙を男性が引くことで、お祭りの間はパートナーとして一緒にいることが許され、それを機に結婚することができたという何ともほほえましい説がある。

 その一方で、そんな温かみのあるものだけでなく、ローマ皇帝の迫害によって殉教した「聖ウァレンティヌス」に起源を持つとする説もあるらしい。

 つまり、バレンタインというものは平和的に生まれただけのものではないということだ。


 バレンタインが日本に入ってきてからは、「女性が男性にチョコレートを贈る」だとか、「キリスト教徒はほとんど関連性が薄れている」だとか、日本独自の文化を築き上げていて、もはや和製英語ならぬ「和製文化」として定着しつつあるのかもしれない。


 「そういえば、もうすぐ……だよな!」


 そんな一年の中で指折りの一大イベントに、陽キャ男子たちが黙っているはずなんてあるわけがない。


 「『何』とは言わないが……な! なっ!」


 「それなっ! チラッチラッ」


 最近は音量調節のネジが緩んでしまったかと思うくらいに声量が大きい。

 ってか、最後の何だよ。振り向く効果音を口に出すとか、精神年齢がだいぶ退化しちゃってんじゃない……?


 そんなバカでかい声を出しながらちょくちょく女子の方に視線を送っているあたり、「今の話を聞いた女子が俺たちを意識して、当日はたくさんの女の子からチョコレートをもらえる」なんていう魂胆が、遠目の俺からでも一目でわかるぞ。


 だが、間近に迫ってきているその日を待ち望んでいるのは、どうも陽キャだけではないらしい。

 普段は俺よりも陰の素質があるんじゃないかってくらいに存在感の薄い彼が、ちょっと女子の方に視線をやっている。


 「……はっ……⁉」


 しかし、女子が振り向いた途端、何かいけないものを見てしまったかのように頬を真っ赤に染めながら、慌てて視線をもとに戻す。


 「……っ……よしっ……」


 そのすぐ近くでは、何やら独り言なのか知らないけど、口を小刻みに動かし、足元では軽快なリズムを取っている眼鏡君が視界に入る。

 何だかいつもよりもビートに刻み方にキレを感じる。心なしか、次第に頭を動かしは締めてないか……?


 いくら陰キャだとしても、彼らだってれっきとした男子高校生なんだから、当日の朝、下駄箱の中に手紙と一緒に置かれたハート形のチョコを目にすることを、心のどこかではきっと期待しているのであろう。


 つまり、ここにいる男子は、つい先日までの真剣さが消し飛んでしまったかのか、ほとんど皆がリニアモーターカーのように浮足立っている。すごい、そしたらみんな超高速で走れそうだね。


 ――閑話休題。

 そんなバレンタイン。もしかしたら「男子だけが盛り上がっていてなんかむさ苦しい」と言われるかもしれないが、それはいささかの誤解であるといえる。


 というのも、男子ではなく女子に注意を向けて見る。

 あ、あんまりガン見してると後でどうなっても言い訳できないから、そこのさじ加減はちゃんと注意しようね。


 「ねぇねぇ、バレンタインどうする~?」


 「えーっと、私は――にしようかな」


 「嘘、マジで⁉ それはかなり攻めてるね~」


 「私は……くんにあげようかな」


 この時期になると、やはりバレンタインという季節柄、男子は男子で、女子は女子でグループを形成することが多くなった。

 男子からしたらワンチャン本命がもらえるチャンス。女子からしたら意中のあの人に告白する絶好の機会。


 つまり、両者とも慎重にそして確実に物事を進めたいわけで、そうなれば綿密な情報戦が繰り広げられるのは当たり前。

 自分の気持ちが事前に彼に知られてしまったとかいう失態だけはしないように必死になっているのがわかる。


 そのせいだろうか。まだ先の季節がもうその一角にだけにはやってきたかのように、華やかそうな話し声が聞こえてくるが、その詳しい内容までは聞こえてこない。

 いや、むしろ聞こえてしまったら、それはそれでその人の詰めが甘いと、それを聞いた人は無神経だと言わざるを得ない。


 しかし、俺はその会話がどうしても気になってしまっていた。

 なぜなら、その中に結衣が混じっているからだ。


 結衣が今話しているのは、修学旅行でも一緒だった北間さんと高橋さんというお馴染のメンバーだった。

 その三人が話している最中、結衣が浮かべる楽しげな表情に、俺は微かな高揚感と期待を感じていた――。

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