第163話 勝るもの
「――もう朝かぁ……」
修学旅行最終日の朝を、俺は大きなあくびとともに迎えた。
脳内はまだ完全に覚醒はしていないが、それでも昨日の夜の出来事は鮮明に思い浮かんでくる。
結衣と密着して伝わって来た体温、ふんわりと鼻腔をくすぐる甘い香り、そしてばれないように必死に抑えて浅くなった呼吸。物理的な距離が近い分、その全てが、俺にとってはいつも以上に強い刺激だった。
きっとそのせいだろう。修学旅行の疲れがピークになるはずなのに、ぐっすりと眠ることができなかった。おかげで絶賛寝不足です。さらに大あくび。
このままもう一度横になればあと数時間は寝てしまうだろう。
しかし、そうなってしまえば、最終日の予定が全ておじゃんになってしまう。
何ならみんなが先に帰ってしまい、俺一人だけ京都に取り残されてしまうかもしれない。
修学旅行の最後の最後でぼっちを喰らうのは嫌だったから、気合で布団から這い出ることにした。
それから、朝食を済ませて荷物をまとめると、二日間お世話になった旅館を後にする。
「――それでは、今日も完全自由班行動をしてもらうが、帰りの新幹線の時間だけには間に合うようにしてほしい」
柳先生はどこか浮足立ったような口調で朝の連絡事項を伝えていく。いつもの気だるげな声じゃないから、ちょっと違和感を覚える。
何だろう。もしかして先生方も楽しくどこかにお出かけでもするのかな。
まぁ、四日間も生徒のことばかりを見ていても、そりゃ飽きちゃうわな。それに、お酒だって飲みたいだろうし。だって昨日あんなことを――。
そのとき、柳先生の鋭い視線が俺に向いた。
内心で思っていたが、それがどうも顔に出てしまっていたみたいだ。おっといけないいけない。
でもね先生。昨日の「不戦条約」のこと、覚えてますよね……?
俺は少し口角を上げて、ジョッキを呑む仕草を柳先生に返す。
すると、柳先生はびくっと反応し、ちょっと言葉を噛んでいた。いやいや、どんだけ動揺してんだよ。
先生の話が終わると、生徒たちは一気に動き出す。
「――い、伊織……おはよう」
すると、すぐに結衣がやって来た。
「ゆ、結衣……おはよう」
「う、うん……」
どうもお互いにうまく嚙み合っていない。
やはり昨日のことだろうか。いや、それしか思い当たる節がないんだけどね。
「き、昨日は……あの後だいじょうぶだった?」
「えっ、あっ……う、うん。柳先生に遭遇しちゃったけど……」
「そうだったの……? やっぱり怒られちゃったよね……」
結衣はちょっと俯いてしまった。
「い、いやいやそんなことないよ! むしろ、柳先生の弱みを――」
その続きが口から出ることはなかった。なぜなら、柳先生本人が、おびただしいほどの黒いオーラを放ちながら結衣の背後に立っていたからだ。
「や、やぁ柳先生。おはようございます~! あはは……」
「高岡……わかってるよな……」
「はいわかってます少し調子乗りましたこの度は大変申し訳ございませんでした反省するので命だけはご勘弁ください」
生命の危機を感じ、まくし立てるように謝罪文句を並べる。
「まぁいいだろう。それが私の耳に噂として流れてきた時点で、問答無用で犯人はお前ということにするからな」
「う、うす……」
「うむ、よろしい」
それだけ言うと、すっとオーラを引っ込めて、スキップするような足取りで教師を乗せるのであろうタクシーに駆けて行ってしまった。
やっぱりあの人たちも観光するのね。ってか、オーラを自由に扱えるとか、どんな特殊能力よ。「柳先生レべチ説」でも提唱しようかな。
「――い、伊織……?」
「あぁ、もちろん教えてあげるよ。昨日結衣を送った後――」
俺は結衣を信じて先生をあっけなく売った。高岡伊織は悪い子です、はい。
それから達也と佳奈さんと合流し、いざ修学旅行最後の観光スポット「京都タワー」へ。
京都駅からほど近いところにあり、展望台やお土産屋さんはもちろん、大浴場やビュッフェレストランなんかもあるらしい。駅チカでグルメやショッピングまでできるとか、どんだけ万能なのよ。
一階で展望権を買ってエレベーター乗り込み、展望台に向かう。
「「「「す、すごい……‼」」」」
俺たちは吸い付くようにガラス窓に駆け寄る。
昔一度だけ家族に連れられて東京タワーに行ったことがあるが、そこから見た景色とはまた一味違うものだった。
東京は見渡す限り高層ビル群だったが、京都はその逆。高層ビルはほとんどないから、より遠くまで景色を楽しむことができる。
東福寺や清水寺など、昨日一昨日で実際に足を運んだところはもちろん、他の寺院もこの場所から望むことができる。
修学旅行で回り切れなかった場所を中心に、京都市内のパノラマビューをあらかた見終えたところで、ふと後ろにある「京都タワー」と掲げられた鳥居に目がいった。
「な、何だこれ……?」
「え~、このキャラクター、とってもかわいい~! 伊織、見て見て~!」
「おぉ、めっちゃキンキラキンじゃん……」
この金ピカのキャラクターは「たわわちゃん」といって、京都タワーのマスコットでありご神体でもあるらしい。
俺は女子の言う「かわいい」の定義がわからないけど、たしかにこの子はかわいい気がする。
何がかわいいって、そりゃ……全体的に丸いところかな(適当)。
結衣は逃すことなく写真を撮っていく。
たわわちゃんとたわわしていると(意味が分からない)、集合時間が迫って来た。
「そろそろ、戻ろっか」
「そうだね……」
京都タワーを満喫することはできたが、しかし、それは同時に修学旅行の終わりが近づいていることをも意味している。そう考えると、ちょっと物寂しい気分にならなくもない。
この思い出を忘れないように、しっかりと風景とともに写真に収めていく。
「――ねぇ、伊織」
「ん……?」
「修学旅行、楽しかったね!」
「俺も、結衣と回れて楽しかったよ!」
「わたしもっ!」
この瞬間、俺は思った。
――どんな美しい景色よりも。
――どんなに美味しい料理よりも。
結衣が見せてくれる、この満面の笑み。これに勝るものはないのだと――。
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