第162話 帰還作戦
「お、おかえり……」
「お~! 高岡~! ただいま~。留守番サンキュー……ってもう寝てたのか? 起こしちゃってすまんな!」
本田は悪びれた様子もなく片手を顔の前に出す。悪いと思うならそんなにでかい声を出すなよ。
「べ、別に……大丈夫」
起こされたというか、そもそも寝てなかったから、それに関してはまったく何も心配ない。
しかし、問題……世紀の大問題が残っている。いや、正確には「くっついている」と言った方がいいだろうか。
さっき、俺と結衣はかな~りいい感じになって、キス寸前のところまで行ったのだが、残り数センチと言うところでそれはこいつらに阻まれてしまった。
当然二人でいるところを見られてしまった暁には、クラス中の話題の的にされて、心身ともに疲弊すること間違いなし。
それに、キスしようとしていたなんて知られてしまったら、それこそクラスだけには収まらず、学年ないし学校中に広がって……。
とにかくそれだけは避けたいと思い、結衣を俺が寝る布団に入れてしまった。そのおかげで今は俺の身体に抱きつくような形で結衣が息を潜めている。
これこそ見つかったら大問題に発展しかねないのだが、咄嗟の判断でこうなってしまった。
「――にしても、マジではしゃいだわ~! ぶっちゃけ疲れた!」
「それな! あんなに盛り上がるとか、俺たち何歳だよって話! ぎゃははっ!」
疲れたという割には前々走は見えない二人を横目に、布団の中の結衣に小声で話しかける。
「結衣……ごめんね」
「そ、そんなことないよ……急なことだったから仕方ないよ……」
「そ、そう……?」
「わ、わたしは平気だから……」
結衣が平気と言っても、俺は思春期真っ盛りな健全な男子高校生。
こんなアニメのような、フィクションでも珍しい事態に、全身が経験したことのない感覚に陥ってしまう。
「結衣……もう少しだけ我慢できる……?」
「う、うん……」
結衣はそう言っているが、さっきに比べて呼吸が浅くなっていて、心臓の鼓動がかなり早くなっているのが伝わってくる。
早くしないと、俺よりも先に結衣が限界を迎えてしまうかもしれない。
ここを抜け出すとしたら、こいつらが寝た直後しかない。それを逃したら朝になってしまう。
この状態で一晩なんて、それこそ俺も色んな意味で限界突破してしまいそうだ。
――それから数十分後。
小林は返ってきてからすぐに寝ていたが、意外にも本田と片山のハイテンションの会話は長続きすることなく、気付いたら二人とも寝落ちしていた。
「――よし。今しかない……」
俺は布団から出て、そろりそろりと脱出経路を確保する。
本田と片山はトランプやら飲み物、そしてコンビニで買ったお菓子の袋やらを散乱させていたからだ。これを踏んで起こしてしまったら、ここまで待った意味がなくなってしまう。
三人を起こすことなく準備を整えると、結衣のもとへ戻り、布団をはぐ。
「これで大丈夫だから、部屋に戻ろっか」
「あ、ありがとう……」
俺と結衣は部屋をそっと抜け出し、帰還作戦を開始した。
「…………」「…………」
さすがに深夜の廊下とあって、人っ子一人も感じられないほどの静寂具合だ。
多少の話し声すらも奥の部屋まで響いてしまうかもしれないから、会話をしないことはもちろん、呼吸をすることすら憚れてしまう。
見回りの先生に見つかるのが怖かったのか、緊張していたのか。横を歩く結衣の手は小さく震えていた。
「大丈夫だから……」
努めて小さくそう伝え、そっと結衣の手を握る。すると、結衣もそれにぎゅっと握り返してくれた。
女子部屋は男子部屋の一階上。エレベーターの方が手っ取り早いが、見つかる可能性は非常に高い。したがって、階段で静かにのぼることを選択。
物音を立てないよう細心の注意を払って、何とか誰にも見つかることなく、結衣の部屋に辿り着くことができた。
「い、伊織……ここまでわざわざ送ってくれて、ありがとう」
「そ、そんなことないよ……」
めちゃくちゃスリルがあって、緊張はしたけど、一周回って楽しかった……とは口が裂けても言えない。
「じゃ、じゃあまた明日だね」
「うん」
「気をつけて帰ってね」
「そうだね~あはは」
「ふふふ……。おやすみ」
「うん、おやすみ」
そう言って結衣は最後にきゅっと俺の手を握ってから自分の手を離すと、静かに自分の部屋へと入って行った。
「――さてと。俺も帰りますか」
さぁ、ここからは後半戦。気合を入れていくぞ――とは思ったものの、女子フロアに男子が一人ひっそりとたたずんでいるこの状況は、端的に言ってヤバいレベル。見つかったら停学、それとも退学……⁉
さっきとは違う緊張感が全身を包むが、それでも俺は足を前に進める。
随求堂で鍛え上げた五感を研ぎ澄ませ、人の気配をいち早くつかもう。
さっきのぼってきた階段を降りると、そこはもう男子フロア。ここまで来れば最悪の展開は回避することができただろう。
しかし、人というものはそこまで完璧には設計されてはいないのである。例えば、ゴールが見えてきたり、目標を達成しそうになったときが一番油断してしまい、失敗を起こすのだ。
まさか自分はそんなことはない――そう思っていても、無意識のうちにそうなっていたのかもしれない。
目の前の角を曲がれば部屋に着く――そのときだった。
「――あ~見回りとか面倒くさすぎるな本当に……。いや待てよ。時間外労働が十二時間ということは、残業手当がこのくらいで……おぉ、ガッポガッポじゃないか。これが終わったら下の自販機で酒盛りでも……ふふふ」
見回りの先生の声が聞こえてきた。っていうか誰だよ、俺の敏感なセンサーを潜り抜けてきた人は……。あ、この声と内容からしてあの人しかいないわ……。
しかし、もう逃げ場はどこにもなく、角で遭遇することはもはや不可避。俺は開き直って歩くことにした。
「――や、やぁ、柳先生。遅くまで見回りご苦労様です」
「よしこれで今月も――って、うわっ! びっくりした!」
柳先生はたまらず後ずさりする。しかし、すぐに怪しげな視線を送る。
「おい、高岡。お前こんな時間にここで何をしている。明日私と一緒に行動したいということでいいのか?」
で、ですよね、そうなりますよね……。
「いやぁ、ちょっとマリアナ海溝よりも深~い訳が……」
「見苦しいぞ。そんなごまかしが通用するとでも思っているのか。今から職員用の部屋に来て事情を――」
「いいんですか……?」
「何がだ?」
俺は必殺のカードを切った。
「先生、さっき色々と独り言ぼやいててましたよね。お酒がどうたらこうたら……」
「うっ……」
よし、効果は抜群だ! このまま畳みかける。
「このまま連れて行かれたら、俺も言いますけど……どうしますか?」
「っ……。あれを聞いていただと……くそっ、生徒に弱みを握られるなんて、一生の恥かもしれん……」
「ふっ、取引成立ですね、柳先生。それでは俺はこれで失礼します。おやすみなさい」
「こ、今回だけだからな……次はない」
「りょーかいです」
ふぅ、何とか窮地を切り抜けることができた。
俺は柳先生に敬礼をすると、静まり返った部屋へと戻った。
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