第159話 絶景の旅
「――みんな、そろそろ行こうか」
しばらくその場で休憩した後、俺は三人にそう声をかけると、重い(お腹と)腰を上げる。
「そうだね」
「そ~しよっか」
「んじゃ行くべ」
今日も点呼の時間までに旅館までに戻らないといけない。
いくら昨日の遅刻を賄賂で乗り切ったとしても、それが二度通じるほど柳先生は甘い相手ではない。もっと高価な限定お菓子で――っと、そうじゃないか。
「――あっ、そうだ。ちょっとみんな!」
歩き始めようとしたところで、結衣が何かを思い出したように呼び止める。
「どうしたの?」
「渡月橋きれいだから、みんなで写真撮りたいな~って。……あと、伊織とも二人で撮りたい」
結衣は耳打ちをするかのように、俺にしか聞こえない小さな声でそう言った。結衣の小さな息遣いがド近距離で感じて……こそばゆい!
「――も、もちろんだよ……」
「本当に⁉ やったぁ!」
結衣は小さくガッツポーズ。も~、本当にかわいい。
「佳奈も宮下くんも戻ってきて~!」
結衣は大きな声で二人を呼び戻すと、流れるように写真を撮った。
「――うん! とってもいい感じだよ!」
渡月橋、そしてその後ろに広がる紅葉の山々をバックにした一枚。文句なしの百点満点だ。
「――い、伊織……」
写真の確認を終えると、すぐに結衣はセルフィーモードにして身体を寄せてくる。
ふんわりとした柔らかい香りに悩殺されそうになるも、それをぐっとこらえ、結衣の合図に合わせて笑顔をつくる。
「ありがとう、伊織っ! あとで送るから!」
少し頬を染めた結衣は満面の笑みでそう言うと、俺の手を取り、前を歩く二人のもとに駆け出した。
続いて嵐山駅の方向に引き返す。
途中、さっきの食べ歩きグルメの店の香りに引き寄せられそうになったが、お腹はフル、財布はエンプティーマークだったから前を通り過ぎるだけにとどめておいた。
そして、五分ほど歩いたところで左折し、道幅の狭い小道へと入っていく。
すると、さっきまでの通りの賑わいはどこへやら。目の前に緑が迫ってくるにつれてその声はどんどんと遠くのものになっていき、まるで声が吸い込まれているかのようだった。
古民家を抜けると、京都の代表的な観光地のひとつであり、渡月橋と並んで嵐山の象徴ともいえる「竹林の小径」に到着。
どのくらいの高さにまで伸びているかわからないほど背丈の高い竹のアーチに覆われ、まだ日中だというのに、太陽の光がまばらにしか届かず、辺りは鬱蒼としている。
「い、伊織……」
結衣が俺の腕に手を当てるようにして近づいてきた。一瞬どきりとしたが、その手は少しだけ震えていた。
「ど、どうしたの……?」
「なんか……ちょっと怖くて……」
「あれれ~。まだ夜じゃないのに、結衣ったらもしかして……」
「そ、そんなんじゃ……!」
「あはは。うそだよ。ごめんね」
「も、もう……伊織のいじわる」
結衣はそう言ってぷいっと顔を背けるが、腕に手を残しているあたりが、また結衣らしいと言うかなんというか……。
「――っ……寒いな。結衣は寒くない?」
たまに吹き込んでくる風はその竹の葉をざわざわと大きく揺らしている。
ただでさえ薄暗くてひんやりとしているのに、風が吹こうものなら、それはもう体感では冬を意識してしまうほどだ。
「だ、だいじょうぶ。だ、だって……伊織がそばにいてくれる……から……」
「っ……⁉」
や、やめて!
そう言ってもらえるのはものすご~く嬉しいんだけど、それを言った結衣も顔を真っ赤っかにして語尾を小さくすると、言われた俺がどうしていいのかわからなくなっちゃうから!
「――あ、あれ。伊織、あれ見てよ!」
自分の言葉にすぐ上乗せするように、結衣は足元の柴垣を指さす。
「ん……? どれ?」
結衣の指さす先には特にこれといったものは見当たらない。
「あ、あのねっ! 夜になると、垣根のところに灯篭がたくさん置かれてライトアップされるんだって!」
「へぇ、そうなんだ……」
そう言われて、ガイドブックとかで見る下から照らされて幻想的に浮かび上がる竹林の光景を思い出す。
どうせなら夜まで待ってそれを見てみたいのだが、今の俺たちには門限があるため、それは物理的に困難だ。またいつか来れたら、そのときにでも見たい。
誰と……? そんなの言われなくてもわかってるさ。
竹林をさらに進み、野間神社、天竜寺を過ぎると、「トロッコ嵐山」という駅に辿り着いた。
この電車は、嵯峨野から亀岡までを結ぶ観光列車で、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧と、四季折々の保津峡の景色を楽しむことができるらしい。
そこに、赤とオレンジという存在感のある列車がやってきた。
「ねぇねぇ伊織! 窓も床もないよ!」
先に乗った結衣が驚いている。
「いやいや、そんなわけないだろ~」
窓も床もないってどんだけ欠陥だらけなんだよ。それだったら呑気に観光している場合じゃないよ……。
俺はその言葉を疑いながら乗り込む。
「――おぉ、本当だ」
さすがに窓も床もないわけではなかったが、窓は格子のみ、そして床はグレーチングで線路が丸見え。ちょっとした振動までが直に伝わってきて、臨場感あふれる乗り心地だ。
紅葉に染まるのどかに広がる田園風景と保津川。これはまさしく絶景。
さすがは観光列車と言うべきか。走る速度は自転車並みで、シャッターポイントではさらに速度を緩めてくれる。
おかげで、往復の一時間ちょっとで何枚の写真を撮ったことか。ストレージの容量不足が心配になってしまうほどだ。
ただひらすらに風を感じながら景色を堪能し終えると、そろそろ夕方を迎え、西日がまぶしくなってくる頃合いになってきた。
「そろそろ、宿に帰ろうか」
「うん、そうだね!」
あとは本日のお宿に時間厳守で帰るだけ。
ぶっちゃけ、この日が終わってしまえば明日は正直移動日みたいなもの。つまり、これをもって実質的に人生最後の修学旅行は終わりということになる。
楽しかったけど、そう考えるとどこか物寂しい気分になる。
目線の先できらめく夕日も、それに同情しているかのように輪郭が淡く揺らいでいる。
だから、修学旅行で「ある意味」一番の思い出となる出来事がこの先に待っているなんて、このとき、俺は一寸たりとも考えさえしていなかった――。
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