第115話 委員長

 「ふぅ、着いた~。もう結構人集まってるね」


 「そ、そうだね……はぁ」


 俺と佐々木が会議室に着くころには、もうすでに多くの生徒が着席していて、時間が始まるまでの間の談笑タイムを過ごしていた。


 この会議室に入る前からわかる、この「○○実行委員」という陽キャ集団が発する特有の陽キャオーラ。


 俺みたいな陰キャが一歩でも跨いでみろ、日の光に晒されたゾンビのように溶けてしまうかもしれない。

 そんなことを考えつつ、俺は恐る恐る会議室という名の未知の領域へと足を踏み出す。


 「うわぁ…………」


 俺の身体が溶けるようなことはなかったけど、室内の雰囲気はある意味俺の予想通りだった。


 もちろんぱっと見渡した感じで知っている人はいなさそうだけど、奥に座ってひときわ大きな声で話しているのは、左から、野球部、サッカー部、サッカー部、バスケ部、野球部――うわ~明らかに陽キャ部活の最たるメンツが勢ぞろいって感じですなこれ。


 文化祭は文字通り「文化」のお祭りだから、こういう場には文化部の皆さんも少しはいるのだろうかと思っていたけど……。

 この暑苦しくてハイテンションな奴らが牛耳ってしまうのであれば、優雅で落ち着いている文化部の人が出る幕すらなさそうだ。


 俺はなるべく静かに過ごすと心に固く誓い、割り振られた席に座る。そして数分後――。


 「――そろそろ時間になるから静かにしろ~」


 そう言って黒板の前に姿を現したのは――柳先生だった!

 うわっ、あの人が文化祭の担当なのかよ。

 俺はこの数か月間真実を隠し続けられたことに対する怨念をぎっしりと詰めた視線を送る。


 それに気づいたのか、柳先生は肩をびくっと震わせ、こちらを振り向く。

 俺の鬼のような形相を見ても、慌てることなく右手を軽く顔の前に合わせてウインク。くそっ、慣れたような顔しやがって。しかもそれを俺以外の誰にも気づかれないようにするという、何というテクニック……。柳先生恐るべし。


 柳先生はそりゃ何年も何年も何年も文化祭を見てきたからもう飽き飽きで、実行委員なんてさらにどうでもいいことだと思ってるのかもしれないけど、俺にとってはかけがえのない時間なんだよ。


 素に結衣と文化祭楽しめるかもしれないと思ってたのに……。実行委員になったら思うように楽しめないかもしれないんだぞ。

 内心でめちゃくちゃ文句を並べていたが、柳先生はそんなことに構ってくれるはずもなく、というか気付くことすらないだろう。


 「――それでは、文化祭実行委員の第一回会議を始める。今年の文化祭担当の柳だ。よろしく頼む」


 軽く頭を下げるのに合わせて、ここにいる全員が一斉に同じ動きをする。

 俺はぜ~~~~ったいお辞儀なんてしてたまるかって思ってたけど――ダメだった。


 この大人数の中で一人だけ頭上げたままだったら、「何あいつキモイ」って思われて、なるべく静かに過ごすという当初の目標が始めの数分で失敗に終わってしまう。

 悔しいが、俺も他の人に合わせて頭を下げる。


 「早速文化祭について話し合っていきたいわけだが、私が進めるのもあれだ。というわけで、まずは実行委員長を決めて、後の進行は任せようと思う」


 柳先生は、自由を尊重するという校風を利用して、上手く自分の仕事を減らしにかかっているな。

 なぜ先生がやらないのと聞かれたら、「うちの校風を活かして」と答えられるし、それで仕事が減るんだ。巧妙な策を講じてきやがるぜ、まったく……。


 しかし、ここに来て柳先生の作戦に誤算が生じ始めた。


 「――えぇと……誰もいないのか……?」


 なんと、すぐに立候補を名乗り出る手が挙がらないのだ。

 ここにいる奴らは前に出たがっている人の集まりだから、すぐにホイホイと手が上がると勝手に思い込んでいたのだろうけど、実際はそうでもないらしい。


 周りの目を気にして、あちこちに視線を遣り、「お前がやれ」だの「あんたがやればいいでしょ」だのといった声が聞こえてくる。


 結局はそう。自分から名乗り出る奴は本当に一握りで、文化祭実行委員という普段とは違う集団にいるとなれば、いつもの勢いそのままに参加できる奴はそういない。今の状況がそれを如実に示しているのだから。


 さて、そうなると困るのは前に立っている柳先生だ。


 「だ、誰かぁ……立候補してくれる人は……いないだろうか?」


 さっきまでの「へい、姐さん!」みたいな雰囲気はすっかりと薄れ、どこかにすがるような声音で俺たちにそう繰り返し尋ねてくる。


 そりゃそうだ。柳先生は一刻もこんな面倒な仕事からはドロップアウトして職員室でダラダラしたいだろうに。いや、職員室で何しているかはよくわからないけどね。


 柳先生の徐々に弱くなっていく声と、それとは対照的に、実行委員長という役の押し付け合いがヒートアップしていくという何とも気持ち悪い空気になり始め、俺の我慢もだいぶピークに達しかけたときだった。


 「――はい。それでは僕がやりましょう」


 俺から見て対極の辺りから一人が手を挙げた。


 「で、では……他にいないようなら君に今年の実行委員長を任せようと思うのだが、それでいいか?」


 柳先生の変わりようがすごい。干からびそうな魚が海水を浴びてHP前快復したように見える。心なしか、語尾が右肩上がりになったようにすら聞こえた。


 「――そ、それでは今年の実行委員長は君で行こう……よし」


 柳先生は前に来るように促す。っていうか、最後のうれしそうな「よし」って声が聞こえたぞ。どんだけサボりたかったんだよ、このサボり魔め。


 俺の文句をよそに、一人の男子生徒が立ち上がると、スタスタと規則的に足音を軽く響かせながら歩き始めた。

 そしてさっきまで柳先生が立っていた場所で歩みを止めると、こちらを振り向き、フチなしの眼鏡をくいっと引き上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る