第98話 呼号
「――いやぁ、みんなの分があってよかったな」
「それな~。早く戻って食べようぜ」
俺と達也は四人分の昼ご飯が入ったプラスチック容器を抱えながら海の家を出る。
「そうだな――っておい達也……あれって」
「ん? どうかしたか?」
俺は視線の先――俺たちが借りているパラソルの方を指さす。
そこには近藤さんと――見知らぬ男二人が立っていた。
「あれ誰だ……?」
達也は目を細めながら見つめている。
「いや、知らない……」
嫌な汗が頬を、背中を伝っていく。直射日光で熱いはずなのに、寒気が俺の身体を包み込む。
「俺ちょっと先行くから、これ持っててくれ」
「わ、わかった……。気を付けろよ」
「おうっ」
俺は達也を残して一人近藤さんのもとに駆け出した。
近藤さんの前に立っている男二人は……大学生くらいだろうか。髪を明るく染め、良く焼けた肌にジャラジャラとしたネックレスを付けている。
遠目から見て明らかに俺とは正反対の「陽」の者だとわかった。
その瞬間、近藤さんに近づく足に力が入らなくなったかと思うと、どんどんとその速度が落ちていく。そしてついには踏み出す一歩が止まってしまった。
歩き出そうとするが、その意に反して足がぴたりと止まって動かない。動いてくれない。
くそ、くそっ……。どうしたんだ。一体どうして動かないんだ……。
まるで金縛りにあったかのように身体が硬直を始める。
――違う。俺は止まりたいんじゃない。今すぐにでも近藤さんのもとに駆け寄らなければ。そして震えているであろう彼女を俺が守ってあげたいんだ。
それなのに……。どうして俺の足は前に進んでくれないんだよっ!
――怖い。
おそらくその感情が無意識のうちに大きくなっているのだろう。そしてそれがあの男二人の前に行くのを妨げてくる。
近藤さんまでおよそ20mといったところだろうか。それは歩いても数秒な距離なはずなのに、今は何百mも離れていて、その間には断崖絶壁が待ち構えているようにすら感じる。
近藤さんを助けたいという気持ちが、徐々に自分を侵食する恐怖に押され始めてしまう。
たとえその場に行けたとして、俺はそこであの人たちに何と言えばいい? そもそも面と向かって言葉を発することができるだろうか。
目の前で勢いよく言ったはいいけど、逆に彼らの眼光に竦み上がってしまったらどうしよう。
身体全身が委縮して何も言えず、ただただ口をもごもごと開くだけになってしまったらどうしよう。
そんな否定的な考えで頭がいっぱいになる。もはや自分一人では考えがまとまらない。
それならいっそうのこと、誰か他の人に助けてもらうように頼むしかないのか……?
どうしようもない混乱状態に陥ったとき、人というのは普段なら絶対に考えないようなアイデアを出すときがある。それがプラスに作用する良いものであれ、マイナスに作用する悪いものであれ。
今の俺は――完全に後者。
わかってる。自分でもこんな考えが出てしまうことにうんざりしてるし、正直呆れている。でも、今の俺の脳みそはそんなことしかひねり出せないくらいの錯乱状態になっているのかもしれない。
俺の周りには不幸中の幸いというべきか、一見人の良さそうな表情をした人が行きかっている。もしかしたら、彼ら、彼女らなら。あの二人を近藤さんから距離を離してくれるかもしれない。
俺がこうして立ち止まっていても、そうすれば近藤さんを少しでも早く楽にさせてあげることができるかもしれない。
視界が歪み始める。遠のきそうな意識の中、俺が近くを通りかかった人に声を掛けようと、手を伸ばした、その時だった。
「――待てよ」
「――っ⁉」
俺の手をがっしりと掴んだのは、四人分のお昼ご飯を無理やり片手に乗せて、ゆらゆらとバランスをとっている達也だった。
「た、達也……?」
「今、お前が何を考えて、それでどうして手を伸ばそうとしたのかなんて、俺はそんなに頭が良くないからわからねぇけどよ。でも、それでもこれだけは言える――今のお前は逃げようとしてるんじゃないのか?」
「――っ!」
そのとき、大きく揺れ動く視界がくっきりはっきりと元に戻る。そして錆びた鉄に潤滑油がしみわたっていくように、脳の回転数が徐々に上がって行く。
俺はどうしてそんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。
冷静になればこんなにも簡単に答えが見つかるのに、他人に言われないと気づかないくらいにまでひどい状態だったに違いない。
だが、いくら錯乱していたとはいえ、なんて浅はかで陳腐な考えを思い付いてしまったのだろう。
他人に近藤さんを助けてもらったとして、その後はどうする。近藤さんどうやって説明すればいい。「俺は足がすくんで動けなかったから、他の人に助けてもらうように頼んだんだよ」とでも言うつもりか。
近藤さんだってきっと怖い思いを今もなおしているはずなのに、それを差し置いて俺の怖いを優先させるのか?
こんなの誰が見たっておかしいと答えるだろう。
もしかすると、近藤さんを楽にさせてあげたいのではなくて、自分が楽になろうとする選択をしようとはしていなかったか……?
省みれば省みるほど、自分の稚拙さが輪郭から細部まで余すことなく際立ってくる。
――自分があの人たちよりも年下に見えるから?
――自分があの人たちよりも陽の側に見えるから?
そんなことを気にしていたら、これから先どうやって近藤さんの彼氏を名乗ることができるだろうか。
そんな小心者であるのであれば、近藤さんのそばにいる資格なんてないし、あってはならない。
「――達也、ありがとう。お前が引き留めてくれなかったら、俺はとんでもないことをしていたと思う」
「そうか。でも、今はなすべき相手は俺じゃないだろ」
達也は視線で先を促している。
「そうだった。達也……マジでサンキューな」
短く達也にそう告げると、俺はさっきまで固まっていた足を全力で前に踏み出してそのまま全速力で進む。
「――近藤さん!」
俺は男二人の前になだれ込むように立ちはだかる。
「あぁ? 誰だてめぇ」
「関係ない奴は引っ込んでてくれねぇかな。今俺はこの子と話してるんだよ」
俺がここに来たことで、この人たちが明かに不機嫌になっていくのがわかる。さっきよりも怖い。怖いけど……。
ここまで来たのであれば、しっぽを巻いて逃げ出すような、そんな生半可なことはできない。相手が大学生だろうが、年上だろうが、そんなのは気にしてられない。
「――関係なくない……」
「あぁ? 何がどう関係ないって?」
「図体はでかいくせに足がプルプル震えてますけど~?」
俺に軽蔑するような視線を送りながら悪態をつく二人に、俺はこう叫んだ。
「近藤さん――いや、結衣は……俺の彼女だっ‼」
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