第20話 後ろ姿
「しゃ、写真……⁉」
「う、うん……」
近藤さんは携帯を胸の前にちょこんと抱えている。
さっき拭ったばかりなのに、もう汗が全身の毛穴から噴き出してくる。
いや、だってさ。体育祭とかの学校行事で誰かと写真――しかも女の子とツーショットなんて撮ったことないんだもん。
そんな俺に写真撮ろうって言われたら……ねぇ。
俺はどうしていいかわからず、あたふたとしていた。
しかし、近藤さんの懇願するような視線に気づき、さらに鼓動まで高鳴る。
「い、いいよ……」
かすれ気味の声で同意すると、近藤さんは小さくガッツポーズをすると、俺に身体を寄せてくる。
「…………⁉」
近藤さんは俺とほとんど密着状態になりながら携帯を掲げる。
すぐ隣からふんわりとフローラルの甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。
近藤さんが今まで以上に近くにいることと、フローラルの甘い香りのダブルアタックによって、極度の緊張に陥る。うまく呼吸することもできない。
どうしようどうしようどうしよ――
「――高岡くん、いくよ~はい、ちーず」
気がつくとシャッターが切られ、乾いた音が響く。
近藤さんはまるでプレゼントをもらった子供のような無邪気な顔でスマホを確認しようとしていた。
しかし、撮れた写真を見るや否や、その表情が徐々に曇っていく。
そしてその表情のまま俺のほうを見ると、
「――高岡くん、目線が合ってないよ……」
そう言って近藤さんは携帯の画面を俺に見せてくる。
「うわぁ……ほんとだ。……ごめん……」
あまりの緊張でカメラを見ることさえままならない状態になっていて、シャッターのタイミングを完全に逃していた。
「もう一回撮ってもいい?」
「う、うん、もちろん……」
今度はしっかりしないと……。
俺は近藤さんに申し訳なさを感じていた。
せっかくこの日のために作った衣装を着ているんだから、他の人と一枚でも多く写真を撮りたいと思っているだろう。
俺みたいに写真一枚くらいであたふたしていたら、近藤さんがこの時間で撮れる写真の枚数が減ってしまう。
それに、その中の一枚がこんなへんてこりんな写真だったら近藤さんは素直に喜べないだろうし、あまり気分のいいものではないと思う。
俺としても、せっかくの女の子との初めてのツーショットをこんなんで終わらせたくもないという気持ちは少なからずある。
体育祭で衣装を着た女の子とツーショット。こんなチャンス二度とないかもしれないんだぜ?
ぱしっと頬を一度叩いて気持ちを切り替え、近藤さんの携帯のインカメラに注目する。
「じゃあいくよ~」
「うん」
「はい、ちーず」
「――ど、どうかな……?」
ちゃんとカメラは向いていたけど……。
変な顔だったりしていないだろうか。目をつむっていないだろうか。
恐る恐る近藤さんに聞いてみる。
すると、携帯をじっと見ていた近藤さんがさっきの笑顔でこちらを振り向き、親指を立てながら、
「完璧だよ! ほらっ、見て見て!」
近藤さんから携帯を渡された。
「はぁ……よかった」
俺はそれを見て、そんな言葉がこぼれる。
「でしょでしょ!」
近藤さんもご機嫌の様子だ。
「――あ、そうだ」
俺は自分の鞄から携帯を取り出すと、
「近藤さん……俺にもその写真送ってもらえるかな……?」
俺もこの写真はなぜか無性にほしいと思った。……あ、別に変な意味とかじゃないから。勘違いしないでよねっ!
「うん、もちろんだよ!」
近藤さんは快諾して、携帯を操作する。
そしてすぐに俺の携帯から通知の音が鳴る。
携帯を開くと、『「ゆい」が写真を送信ました。』の通知。すぐにラインを開いてその写真を確認する。
そこには俺と近藤さんが会心の笑みを浮かべながらピースをしている写真が表示されていた。
すぐにそれを保存すると、ふうーっと一息つく。
――案外、体育祭も捨てたもんじゃないかもしれない。
そんな、ほんの数か月前の俺だったら決して辿り着くはずのないであろう考えに、我ながら驚いてしまう。
今日この日を迎えるまで、様々なことが起きた。
――竹下先輩と再会したこと。
――リレーに半強制的に参加させられたこと。
――近藤さんに俺の過去を打ち明けたこと。
これだけ聞くと、いいことばかりだけでなく、むしろ悪いことのほうが多かったと思う。
色々あってごたごたして心身ともに疲弊したときもあった。
けど、今日でそれも終わり。
本当ならこの苦しさから解放されて爽快な気分になれる――そう思っていたのに……。
――胸のあたりで何かがつっかえている。
なんだろう、この気持ちは……。
この気持ちに思い当たる名前が見つからなくて、余計にモヤモヤしてくる。
でも、この気持ちに対して、ひとつだけはっきりしていることがある。
それは――このような気持ちになるのは、いつも近藤さんと一緒にいるときである、ということだ。
そうだ。いつもそうなんだ。近藤さんといると、得体の知れない何かが俺の心の内側に渦巻いてくるんだ。
さっきのツーショットの写真をみていると、ふと思う。
――この気持ちの名前が分かったとき、それは俺と近藤さんの関係が一気に変わっていくときになるのではないだろうか。
根拠なんてどこにもない。そしてとても曖昧ではあるが、俺はたしかにそう感じていた。
【これより、午後の種目を開始いたします。最初の種目は応援合戦です】
グラウンドにアナウンスが流れる。
気がつくと、さっきまでまばらだった人の影はどこへ行ったのやら、カラフルな衣装に身を包んだ大勢の生徒でごった返していた。
ギラギラと照り付ける太陽にそれぞれが身に纏っている衣装が反射してまぶしい。
それはまるでその人の高揚感を可視化したようにも見える。
衣装に身を包む一人一人が、このときこの瞬間のためにたくさん練習してきたのだ。
部活の時間を。勉強に時間を。プライベートの時間を。それらを犠牲にしてこの応援合戦に賭けてきた。
かくいう俺もその内の一人であると思いたい。
ただ、ひとつ忘れてはならないことがある。それは、隣にいる近藤さんがいてこそできたのであり、決して俺一人で成せるものではなかったということである。
「近藤さん……」
「ん……?」
俺は彼女に言わなければならないことがある。
体育祭の面白さをたくさん教えてくれた。俺がくじけそうになったとき、誰よりも声をかけてくれた。
ダンスの「ダ」の字もできなかった俺につきっきりで、0から丁寧に教えてくれた。
学校行事アンチな俺がここまで来れたのは、紛れもなく近藤さんのおかげである。
感謝してもしきれない。
近藤さんに伝えたい感謝の言葉はいくらでも見つかるのに、それをうまく言葉にして伝えることができない。
頭の中では様々な言葉が飛び交っているのに、それらをうまくまとめることができない。
だから、今ここで言えないのはなんとももどかしい気分だ。
だから、俺はこの一言に――
「ありがとう」
その言葉は言うのは簡単だけど、場面場面でいかようにもその重みは変化しうる。
俺は、ここで言うことのできない感謝の気持ちも全部全部乗せて、近藤さんの心に届くようにそっとつぶやいた。
「……⁉」
近藤さんは少しぽかんとしていたが、やがて俺の言葉の意図を理解してくれたようで、
「そういうのは終わってからね! ほら、行こう!」
そう言って待機場所へと駆けて行ってしまった。
俺はその後姿を見つめる。
そして、気づく――近藤さんの衣装が、近藤さんの後ろ姿が、この場にいる誰よりも輝いているということに。
近藤さんがダンスメンバーの集団に紛れていっても、その輝きで彼女の姿をすぐに見つけることができる。
俺は誰にもばれないように小さく笑みをこぼし、最も光の強いところめがけて走り出す。
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