番外編
バレンタインに真心こめて
──兄を一人の男として見るようになったのは、いつ頃からだったか。
ふと思ったが、正直に言うと全然覚えていない。けれど「いつの間にかそうなっていた」と表現すると、私の想いが軽く見えてしまう気がして、どこかで、兄のことを異性として好きになるくらいに大きな出来事があったのだと思っている。
平生から兄は気さくな人物だ。基本的には人に好かれやすく、ある程度の学力を持つ。良く言って『模範的』な、悪く言えば『平凡』な人間。欠点と言えば鈍感な所くらいしかないのが、私の自慢の兄。
こうして兄のことを考えているのは苦ではない。私は学校では優秀な部類に入る生徒であり、器用さも父親譲りであるため、何かを考えながら他の何かを行う程度なら造作でもない。
それに、想い人を想像しながら作ったほうが、美味しい物が出来上がると思うし。
気恥ずかしい思考を頭を左右に振って払い、私は鼻孔を擽る甘い匂いに意識を更に集中させる。
今は2/14。バレンタインデー当日の午前10時を少し過ぎた頃。
偶然にも今日は学校が休みであり、偶々兄は月に数回ある出勤日であった。けれどお昼過ぎには帰ってきちゃうから、サプライズにするなら急がないといけないことに変わりはない。
私はレシピを見ながら、ホットケーキにチョコやバターや牛乳等を混ぜた微かに甘い香りのする種を、7つのマフィンカップの6分目まで注いでいく。こうしてレシピを見ながらチョコを作っていると、去年のバレンタインのことを思い出す。去年はまだ、私は反抗期のような状態で、兄と口を聞くのが嫌というか、気恥ずかしいというか……とにかく、兄とは疎遠になっていて、話すのも嫌だった時期だった。
ちょうど高校受験を間近に控えていた頃で、行きたい高校の偏差値が高いからと勉強漬けだった私は、友達との間で「息抜きに友チョコ持ってきて皆で食べ合いっこしよう」と言ったとある友人の提案に乗り、彼女の言う通り息抜きにもなるからと、バレンタイン前日の夕方から、母に色々と教わりながらチョコレートケーキを作った。兄も一緒だったけれど、兄は兄でまた別のお菓子を作っていた。今でもまだ、鮮明にその日と翌日のことは覚えている。
■■■■
バレンタイン前日。料理上手な母の監督の元、私はロクに立ったこともない台所で、指示通りに材料を切ったり混ぜたりしていく。
料理はからっきしな私には、時々母が何を言っているのかわからない部分があったりしたけれど、母はその度にその私がわからなかった部分を丁寧に教えてくれて、とてもわかりやすくやりやすかった。まるで私の料理の実力であるように錯覚してしまうくらいには、とても順調に出来た。
兄は兄で、私が学校から帰ってきた頃にはダイニングテーブルでアイスボックスクッキーなるものを作っていた。どうも兄も兄で、会社の同僚とチョコを交換し合うのだとか。
「ついでに我が家のおやつ用な」
そう言って、作った分の半分は冷蔵庫にしまっていた。
私の調理が終わった頃には、兄がオーブンで焼いていたアイスボックスクッキーは完成していた。どうやら私達への労いでもあったらしく、大皿には沢山のクッキーが盛られていて、紅茶も3人分用意してあった。
味は美味と言う他なかった。元々器用で、内定が決まって以降はいつも家事をしていたのだから、こうも上手くなるのだろうと感心すらした。そして兄の淹れた紅茶が、このクッキーにまた合うこと。
このクッキーのように美味しいケーキになっているといいな──などという私のささやかな願いは、叶うことはなかった。
いくら失敗したからといって、持っていかないのじゃあ悪いだろう。そう思い、私はあまり失敗していない部分を学校に持っていくことにした。ちなみに校則の緩い中学であるため、チョコレートを持ってきている女子はごまんといる。
朝から比較的和気藹々とした雰囲気の中、私は憂鬱な気分であった。何せ失敗したケーキを持ってきたのだ。今から笑われるのではないかと内心では恐怖さえしている。
「──あれ?」
私はバックを漁っていて、ケーキがないことと、そのケーキの変わりと言わんばかりに、昨日兄が作っていたアイスボックスクッキーが複数の袋に均等に入っていた。袋は明るい色のリボンで結ばれており、とてもお洒落。
不思議と、兄に対しての怒りは湧いてこなかった。そしてその奥。学校指定の鞄の底には、二つに折られたメモが入っていた。
『友達と食べるように』
──兄らしいな、と素直に思った。
同時に、やっぱりズルいなと思った。
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