第2話 鳥籠皇子は考える

「やっぱりね、この国から離れた方が一番いいと思うのよ」


 新たに拠点とした宿屋で、カシワはそう言った。

「セリムは人がたくさんいる町のほうが隠れやすいって言ったわね。木を隠すなら森、というのはわかるけど、世慣れてしてない私たちは目立つし、宮殿の近くじゃすぐに居場所がバレちゃうわ」

「亡命ってこと?」

「外国とまではいかなくても、せめて同じアナトルキア領に。一番近いのは、ユナニスタンね」


 ユナニスタンとは、今いるコスタニイェラの港を出てからすぐの地だ。半島と小さな島で成り立つユナニスタンは、豊かな海に囲まれており、古代の神殿が数多く残っているため、コスタニイェラより外国人観光客が多い。


「外国人と一緒にいれば、習慣が変でもバレにくいでしょ」

「王宮は確実に港を抑えているよ。船に乗れば即捕まる」


「……泳いで渡る?」


 セリムから針のような視線を向けられて、カシワは慌てて言い直した。

「これから考えるわよ! というか、セリムも少しは考えなさいよね。頭いいんだから」

「俺、帰りたいんだけど」

「ダメよ。もう引き返せないわ」

 わかってるでしょ? カシワはそう言って、部屋の出口へ向かう。

「どこいくんだ」

「ちょっとこのピアス換金してくる」耳元で揺れる緑の石のピアスを触って、カシワは言った。「船にもぐり込むにも、お金が必要なわけだし」

「……ま、気を付けて」

「船に乗る方法、本気で考えてよね。捕まったら、私たちタイヘンなことになっちゃうんだから」

 弾けるような笑顔で言って、カシワは部屋を出た。




「大変なことで済むかなあ……」

 カシワは一体どれぐらいこの状況を理解しているんだ、と嘆きたかった。

 けれど彼女の笑顔を見ると、つられてセリムも笑ってしまった。


 そして驚くのだ、自分が笑えることに。


 カシワは十年前から、よく笑っていた。彼女の存在自体、自分の中でおぼろげだったのに、その笑顔を見た瞬間、いくつもの記憶が蘇った。

 笑い方を思い出した。言葉を通わす楽しみを思い出した。

 カシワが将来を語る度、セリムは、このまま二人で暮らせる未来を幻視してしまった。


 セリムは壁に寄りかかる。

 そんなこと、あるわけないのに。

 今、あらゆる国で革命が勃発している。ユナニスタンの向こうにある、大国と呼ばれたパリア王国では、度重なる戦争により貧困になった市民が革命を起こした。それにより王族はほぼ死刑に、王政は廃止された。そのパリアから植民地扱いされていたイジアナは独立宣言をして、巨大な国になろうとしている。

 大成すれば、恐らく世界はイジアナを中心に動くだろう。血で治めていた古い時代が、資本力で治める新しい時代に変わっていく。

 アナトルキアもパリアと同様、独立を求める植民地と争い、敗北した。その度に財力は細くなっていき、徐々に切り離され、小さくなっていく。アナトルキアが帝国だと世界中から恐怖されたのは、もう200年近く昔の事。

 今はまだ平和だが、ユナニスタンが独立するのもそう遠い未来ではない。

 そのために、多くの血が流れるだろう。

 パリアの革命は、すさまじいものだったらしい。王族が死刑にされた後は多くの貴族がギロチンに掛けられ、強硬派のやりすぎをとめようとする穏健派も殺された。一日に何十人ものの死刑が行われ、それを市民が娯楽として見物しているという。アナトルキアは、それを危惧している。故に、市民を締め付けようと躍起になっている。だが、新しい時代に対応できるような皇帝ではない。なぜなら現皇帝――セリムの兄もまた、鳥籠カフェス育ちであり、長い幽閉のためろくな教育を受けてこなかった。


 その中で、第二皇子であるセリムの逃亡。

 王宮は秘密裏に動いているはずだ。

 セリムは目を伏せて考える。

 宮殿が安全とは考えない。 鳥籠カフェスとは違い、毒殺されるのが当たり前の世界だ。だからこそ、カシワは『硫酸』という言葉を口にした。

 それでも、まだカシワを宮殿に戻せる方法があるのなら。

 セリムは葦で出来たペンにインクをつけ、持っていた紙に書く。

 そして、窓際にいた鳩の足に括りつけた。

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