父の記憶
笠井菊哉
第1話
父は、今時珍しい
「仕事人間」
である。
私が生まれた時、父は残業中だった。
初産で不安しかなく、帰ってきてと頼んだ母に、父は
「俺がいて、どうなる」
と言い放ち、残業を続行したという。
仕方がないので、陣痛には苦しみながらも救急車を呼んだのだが、帝王切開をする事になった。
帝王切開の末、夫婦の初めての子供である私が生まれた。
父方の祖父母も母方の祖父母も涙を流して喜んでいた中、残業を終えて駆けつけた父は、
「帝王切開?どうして余計な出費をかけた?」
妻と娘の心配ではなく、お金の心配をした。
この発言は、流石に両方の祖父母だけではなく、産婦人科医や看護師さん、助産師さんも怒って
「帝王切開しなかったら、奥さんもお嬢さんも亡くなっていましたよ?」
産婦人科医にも言われても、
「それを何とかするのが、アンタ達の仕事だろう」
反省の色を見せなかったので、温和なお医者さん達は、般若の形相で父を睨み付けた。
両家の思惑が絡んだ戦略結婚ではなかったら、この時に離婚をしたかも知れないと、後に母が話してくれた。
一歳の誕生日はゴルフ接待を優先し、幼稚園の入園式も何か理由をつけて来なかった。
この頃になると、母はもう、父に何も期待していなかったし、私は父を
「たまに家に遊びに来て、玩具や絵本をたくさんプレゼントしてくれるオジサン」
と思っていたので、
「あの人はフミエのお父さん」
祖母に教わった時、心底ビックリしたのを覚えている。
小学校に上がっても、父は変わらなかった。
入学式、授業参観日、卒業式、いずれも父なしで過ごした。
誕生日になると、
「お仕事は休めませんか?」
母が訊いたが、父は
「仕事がある」
と言い、高価なプレゼントだけを後でくれた。
小学生の時は
「高価なプレゼントより、お祝いのパーティーの時にいてほしい」
可愛い事を思っていた私だったが、中学生の時、私も父を見限った。
父に恋人がいると、判明したのである。
誕生日など、本当に仕事だった時もあったらしいが、
「好きでもない女が生んだ子供の行事よりも」
母と私ではなく、恋人を選んでいたのだ。
この調子で高校、大学を過ごしていた。
私は、将来の夢の関係で、学費が高い音楽大学に通っていたが、父にも罪悪感があったようで、渋い顔をしながら学費を出してくれた。
成人式から帰ると、
「こんな日も仕事か恋人を優先して出掛けた」
と母が嘆いていたので
「気落ちする事ないよ。あの人の事は『生活を保証してくれる都合のいい金蔓』と思えば。少なくとも私は、家族は母さんと島根にいる母さんの方のおじいちゃんおばあちゃんと、施設にいるおじいちゃんとおばあちゃんだけだと思っているし」
私が栗羊羹をばくばく食べながらそう言うと、母の中で何かが吹っ切れたらしく、盆栽教室に通ったり、お友達が経営するアロマテラピーサロンで受付兼雑用のパートを始めたりして、知り合いを増やしたり、興味ある事を勉強をするようになった。
やがて盆栽教室の講師に、
「アシスタントをしてほしい」
と頼まれると、母はパートを辞めて盆栽教室のアシスタント業に専念した。
その時、サロンで仲良くなった、所謂「セレブ層」と呼ばれる暇な奥様達も盆栽教室に入学させたので、講師は多いに喜んだ。
有閑マダム達が、教室に多額のお金を落としてくれるようになったからである。
大学を卒業した私は、音大で得た中学教師の免状を元に市内の中学で音楽を教えて、同僚である四歳年上の体育教師と結婚した。
驚くべき事に、父はそれでも仕事や恋人を選んで、顔合わせも結納も来なかった。
式と披露宴は顔を出してくれたものの、二次会は
「海外出張があるから」
と言い、途中で抜け出した。
「海外出張」
と言っているが、
「恋人とカリブ海旅行」
だと夫の御両親、親戚関係者以外は全員知っている。
「親父に言ったら、憤死するかも」
夫が笑ってそう言った。
夫の父は、私の父と違って
「マイホーム・パパ」
なので、決して両者相容れないであろう事は、分かっている。
戦略結婚により、好きでもない女と結婚させられた父は、母や私だけではなく、孫にも無関心を貫いた。
結婚三年目に男の子を生んだ時、父はオムツケーキをくれたきりだった。
お宮参りもお食い初めにも、学校行事も誕生日も来なかった父は、ずっと彼を無視して、中学卒業のお祝いの席に、何かの気紛れを起こして顔を出したら、
「おじいさんは誰なの?」
実の孫に、こんな事を訊かれる羽目に陥ったのだった。
さて、この頃父は、私達以上に愛をそそいだ恋人に捨てられた。
彼女も
「日陰者」
と呼ばれる立場が嫌になったようで、同窓会で再会した、初恋相手である中学時代の部活動の先輩とひっそりと籍を入れ、父の前から姿を消した。
悪い事は続くもので、父は職場の健康診断に引っ掛かり、再検査を受けたら、末期の胃癌で余命僅かと医師に宣告された。
父が長くないと知ると、母は盆栽教室とサロンで働いて貯めたお金を使い、父をホスピスに突っ込んだきり、父と会おうとしなかった。
その後、双方の祖父母と親戚、友人知人の勧めで父と別れた母は、盆栽教室の講師と再婚した。父から多額の慰謝料をもらい、そのお金で盆栽教室を拡張、運営して、父といた時より幸せそうにしている。
誰も母を責めたりしない。
それどころか、
「今までよく耐えて頑張ってきたものだ」
誰もが母を褒め称えた。
そりゃそうだろう。
普通の人は、家族よりも仕事と恋人を選んだ人にかける優しさなど、持っていないものである。
離婚を決意するのが遅すぎたのでは、と私も思った。
恋人がいたものの、人より多くの仕事をこなしていた父は、同年代の男性よりも貯金を持っていた。
私がたまに、息子のリクを連れてホスピスに行くと、父は笑顔で喜んだ。
死期が近づき、母とも別れ、ようやく人のありがたみが分かったみたいだ。
だが、私が父に会いに行くのは、別に父が心配だからではない。
父の死後、前述した父の貯金をリクに一円でも多くもらう遺言書を書いてもらう為である。
息子はジャズピアニストを目指し、日々練習に明け暮れている。
父が亡くなり、遺産をもらったら、息子をニューヨークの音楽学校に入れるつもりだ。
少しでも分け前が増えると有難いし、親戚も
「あの人のお金はリク君のジャズピアノに使おう」
と言ってくれている。
そんなこんな思惑など知らない父は、今日もリクが来たのを喜んだ。
「早く元気になって」
父を気遣う素振りを見せているリクだが、
「俺の音楽留学のために、さっさとくたばれ!」
と思っている事を私も夫も知っている。
父と息子を見て私は、そばにいてくれる人を大切にしないと、後で大きなしっぺ返しを食らうのだ、と思った
父の記憶 笠井菊哉 @kasai-kikuya715
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