声を届けて......
春嵐
01.
「しにたい」
抱きついてきて、彼女が呟いた。
聞き間違いだと思って、次の言葉を待った。
「しにたいの」
しにたいと言っている。ここで。このタイミングで。
誰もいない体育倉庫。
体育の講義が終わって、ボールを片付けていたときに、閉じ込められた。
よくある漫画のような、外からしか開けられないような仕組みではない。中にも鍵の取っ掛かりがついてて、普通にこじ開けることができる。というか、単純に古い。
こじ開けようとしたとき、抱きつかれて、言われた。二回も。しにたいと。
しにたいのか。
体育の講義で、頭を打ったのかもしれない。少し頭をさわるが、特に異常はなさそうだった。髪の感触だけが、手に、やわらかく残る。
恋人同士ではない。
お互いに、なんとなく意識している間柄だった。漫画のように突然出会うことはないが、漫画のような、友達以上恋人未満の雰囲気は、たぶん、あった。
しにたいと言われるまでは。
抱きつかれて、言われたことが、しにたい、とは。
なんて、こたえればいい。
「なんで?」
かろうじて出てきたのが、コミュニケーションの基本になった。
「そうだ。理由。せめて理由を教えて?」
聞き返そう。
「なんか、きっかけとか、そういう」
彼女が目を丸くして、縮こまる。
離れる身体。
「ごめん、なさい」
謝られた。
そういえば、彼女のほうから話しかけてくることは、今まで、なかった、気がする。
だいたい、体育係だからと話しかけたり、講義終わりの時間が同じだからと一緒に帰ったりしているのは、自分のほうだった。
彼女は、やさしい。でも、自分からは、決して話しかけてこない。
なんとなく、自分がリードしないと、彼女がいなくなってしまうような、気がしていた。
いなくなってしまうような。
気が。
していた。
そうだ。
彼女は、最初から。
じゃあ。
俺に対しての、これは。
「ええと」
縮こまった彼女。
彼女は、俺に対して、何かの、救難信号を発している。それだけは確か。
でも。
どうしようもない。
「ええと、そういえば、お友だちは。
彼女には、友達がいたはず。いつも付いていて、彼女と話している。
初めて会ったときも、彼女ではなく、友達である酒彩が話しかけてきた。彼女が、用事があるからと。それで、仲良くなった。
そして、その友達から、頼まれている。
自分が取っていない授業に、なるべく出てほしい。
自分が見れないときに、彼女を見ていてほしい。できれば、助けてほしい。
たしかに、言っていた。
じゃあ。
これが。
「どうしたら」
どうすればいいか、わからない。
彼女。縮こまった、まま。
冷静に。
冷静でいよう。
そして。
はっきりと、分かったことが、ひとつ。
彼女が自分に向けて発しているのは、救難信号。恋愛的な気持ちではない。
「そっか」
想っていたのは、自分だけか。
冷静になったところで、絶望的な気分は拭えない。
だからと言って、しんでしまえとも、言えない。自分はそういうタイプじゃなかった。
「ごめん。ごめんね。うまく言えないけど、ごめん」
謝って。
「力にはなれない。きみのことが、好き、だったから。ごめん」
それでどうする。
「まず、ここから出よう。こんな暗いところでしぬのは、いやでしょ」
心の底で怒りに変わりそうだった気持ちを、鍵をこじ開けるのに、使った。
扉が開く。
西陽。
しゃがみこんだ、彼女を照らす。
「あ、ごめん。眩しかったね」
片側の扉を閉じて、彼女に陽が当たらないほうの扉を開ける。
「さ。行こう」
彼女。
動こうとしない。
「出たくないの?」
首が横に、振られる。
どうしたらいい。
しにたい彼女をここに放っておいて、彼女の友達を探すのか。それとも。
「じゃあ、おんぶなら」
彼女を運んで、ここから出るか。動けないなら、こちらで運ぶしかない。
好きだったけど、こちらに気がない、それでも助けてほしいという彼女を、運んで。
「いやっ」
彼女を背負おうとして、転んだ。
蹴られた。
「いてて」
身体は丈夫なので、蹴られた程度では、いたいだけ。
彼女の顔。
今にも、泣きそう。
「ごめん、なさい」
また、謝られた。
「いや、謝るのは」
こっちのほうかもしれない。
彼女に触れてはいけない。さっき抱きつかれたから、接触してもいいと思った。
「ごめん。ほんとに。ごめん」
彼女。こちらから顔を背けて、また、縮こまる。
なんか、自分が、急に、みじめになってきた。
好きだった人間の助けを求める声に、手を、さしのべられない。
「しにたくなってきた」
つい、口に出てきてしまった。
彼女。
また、抱きついてくる。
「ちょ」
速度と威力が高かったので、躱しきれず、正面から受けた。彼女に衝撃が行かないように、後ろに倒れる。
背中。
床にぶつかる音。
いたかったけど、歯をくいしばって、声を出さないで耐えた。
いたいといえば、また、謝られると、思った。声は出せない。いたいという素振りも、最大限、しない。それが、今できる、精一杯だった。
「大丈夫ですか?」
彼女に、声をかける。
彼女の顔。
目の前にある。
せつない、顔をしている。
どうしたらいいか、分からなかった。
彼女が乗っかったまま、とりあえず起き上がろうとした。
ぐらつく。
身体。
彼女が乗っかったままだと、さすがに体重移動がしんどいか。
彼女の顔。
顔に。
赤い斑点。
「あっ、しまった」
血だ。
すぐに理解した。後ろに倒れたときに頭を打った。
そこからの自分の行動は早かった。運動部で何度もやってるから、かもしれない。
彼女との体勢をすぐに変えて。彼女の頬に付いた血を服で拭って。立って心臓よりも頭を上に。
傷口。
すぐに見つかった。右側頭部。ちょうど床にぶつかった場所。彼女を乗せたまま、体勢を変えようとしたときに、無意識に左に向いたのか。それで彼女に血が。
見られないように、左側を彼女に向けて立つ。
「ごめんね。頬」
彼女。
気付いたのかは、微妙。
頬になにかくっついた感触ぐらいは、あったかもしれない。
参ったな。どうやってごまかそう。
しにたいといっている人間に、血は、見せられない。
右側頭部を抑えている、右手の感触。さすがに、血はかなり出てる。頭は他の部位と違って、切れると血がたくさん出るんだっけか。
大丈夫。
外側をほんの少し切っただけ。縫う必要もない。傷は丸く、小さい。ただ、血が。
はやく止まれ。
はやく。
はやく。
扉。
開く。
また、彼女が照らされる。
「
よかった。
友達が。
来た。
「
彼女は。これでもう。大丈夫だ。
「あ、しにたいって言ってたので、そういう行動だけ、取らせないように。ごめんなさい、おれはちょっと用事が」
まずいまずいまずい。
走れ。
せめて、彼女の目のつかないところに。
血を拭わないと。
そこで。
視界が。消えた。
おかしいな。
手も震えてなかったから、脳は大丈夫な、はず、なのに。
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