馬鹿とあいつ
一ノ路道草
馬鹿とあいつ
部屋へと向かう俺を、母親が呼び止める。
「行かなくて良いの?」
「……しっつけえな、何度目だよ」
いくら睨んでもまるで動じない母親が、平然と同じ言葉を口に出す。
「行かなくて良いの?」
「ああもう、うっせーなあ。これから勉強すんだよ」
「本当に? どうせこんな時に勉強しても忘れんじゃない?」
普段あんだけ勉強しろってうるせえ癖になんだってんだ。
「もういいからほっとけよ……」
俺がそう言った瞬間、信じられないほど凄まじい力で、腕を引っ張られていた。
「そんな口利くアンタこそ出ていけばいいでしょ。ほら支度する、早く!!」
「ちょっ、はなっ……いだ、痛えええっ!」
「ほらこれっ!」
俺を怪力で外へ引き摺りながら交通用ICカードをズボンの尻ポケットにねじ込んでくる母親。
「なにその顔? 会うのがそんなに恐い?」
ああくそ、さっきからなんっにも知らねえ癖にごちゃごちゃと……。
「ああもう行くっての! 行きゃいいんだろ!?」
「口だけじゃないでさっさと行けっ!」
全身にかっと血が巡る。靴を履いて家を飛び出すと、自転車に跨がり、ムカつくくらいに爽やかな風をぶった切るように、駅へと飛ばしまくった。
「うわああああああ!!」
突然の衝動的な絶叫に、周囲の人間がこっちに振り向いては、視界から消えていく。
自転車を適当に置いて、駅に繋がる歩道橋への階段をひたすら駆けあがる。
走りながら腕時計を見れば、タイムリミットまであと三十分。こんだけありゃあ余裕!
電車に乗り込み、目指すはあいつの最寄り駅。
やべえ、何言うかなんも考えてねえ……いや、嘘だ。言うことなんて、たった一つしかない。……これ言うのか? これ以外何を言う?
まるでキリがない、くっそ情けない問答を繰り返していると、目的の駅があっという間に近付いてくる。
ホントに言うのか? 言うしかねえよ。……マジで言うのか?
「……ああああっ!」
両手に全力を込めて頬を叩き、意味があるかは関係なく、とにかく何度も深呼吸。
遂に電車が停まる。人混みに漂い、大丈夫だと分かっていても、もどかしいくらいゆっくりと、駅から吐き出される。
考えるな、どうせ馬鹿なんだ。馬鹿なのに中途半端に考えるから動けねえんだろ。だったら馬鹿は、最後まで馬鹿でいるしかねえだろ。
――なんせこれは、きっと馬鹿でも言える台詞だ。
息を切らしながら走っていると、引っ越し業者の白いトラックの近くに、あいつが立っていた。
最近仄かに茶色に染めて肩まで伸びた髪と白いTシャツが風に揺れている。ほとんどTシャツに隠れて、肝心の素足をまるで隠さないホットパンツ。こんがりと日焼けして、細く引き締まった手足。
そんなあいつが、こちらへゆっくりと振り向く。
「あっ、△△……」
やべっ気付かれ……って、逃げてどうすんだ!
「ぜえっ……久しぶり、だなっ……」
「昨日会ったよね?」
「……あっ、ああっ。相変わらず、今日もあっちいよな……」
「……もう、わりと涼しくない?」
「ああ、はははっ、そうっ、だよな……」
……馬鹿も馬鹿。あり得ないくらいに馬鹿だ。けどな……。
「……とにかくさ、俺っ、〇〇好きだからっ」
あいつが呆然としている隙に続きを吐き出す。返答なんて待たない。
「俺、何処だろうと全然遠いとか思わねえからさっ。金曜ぜってえ遊び行く。マンガ持ってくっからっ。そんじゃっ、またなっ!」
「あっ、ちょっと……」
意味も無く、その場から全力で走り去った。
うわああああああ……言った、ホントに言った! どうなる?! どうする!? なんかもっとぜってえあっただろ?!
次々に溢れる後悔で顔を揉んだり頭を抱えたりしてたら、気付けば駅の改札の前に立っている。
ぼんやり尻ポケットをまさぐっていると――肩を、ポンと叩かれ……。
「あのさっ、さっきのって……」
「……どわあああああ!!」
あいつの、元陸上部の足を忘れてた。心臓止まるかと思った。
「いやだから、んなもん……告白としか……」
「あー……いや、ほらっ、二年くらいずっと一緒だし。一応もう、付き合ってるのかなぁ~とか、思ってたからさ」
「…………え?」
「へえ、でも、そっか、告白かぁ……」
呆然とする俺に、あいつは「あはは」と笑う。
「まあ、そういうことだから」
「……ああ、よろしく」
「金曜だっけ。じゃあ、また明日、だよね」
「……おう。また、明日」
最後にあどけない笑顔で俺に軽く手を振り、あいつはさぞ愉快そうに軽やかな足取りで髪を揺らし、階段へと消えていく。
ホントに、こりゃあ馬鹿だわ。
馬鹿とあいつ 一ノ路道草 @chihachihechinuchito
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