はじまり

おはようざむらい

はじまり

それは、まるで夢のような出来事でした。


今は思い出していても、次の瞬間にはすっかり忘れてしまう……。


そんな世界で「彼」は目覚めました。


彼は思いました。


ここはどこで、僕は誰だろう。


どうやらここはバスの中。


とりあえず、彼はバスの奥の方の席に座りました。


一息ついて、彼は周りを見渡しました。


周りには、彼と同じ、幼い子供がたくさんいます。


いいえ、周りには、彼と同じ、幼い子供しかいませんでした。


けれども、そこに「喧噪」という二文字はありませんでした。


あるのはただ、白い静寂。


たくさんの子供を乗せたバスは、静かに動き出します。




「次はー、倉木ー、倉木―。」


アナウンスが鳴りました、どこかに停まるのでしょうか。


ただ、なんとなく、彼は降りようとは思いませんでした。


ほかの子供たちも同じことを思ったのでしょう、子供たちは降車ボタンに触れようとはしませんでした。ただ一人を除いて。


ピンポーン。


彼の後ろに座っていた女の子が静かに降車ボタンに触れました。


静かな車内にベルの音が響きます。


彼と目線が交わります。


「ここに何があるかはわからない。でも、降りなきゃいけない気がしたの。」


女の子が扉の前に立つと、音もたてずに扉が開きました。


彼には、女の子が笑っている気がしました。


バスが、走り出します。




「次はー、高野ー、高野―。」


静かな車内にアナウンスがよく響きます。


今回も、男の子は降りようとは思いませんでした、ただ、なんとなく。


次に降車ボタンを押したのは、車内の前方に座っている二人の男の子でした。


双子だろうか、と男の子は思いました。


二人が扉の前に立つとやはり扉は音を立てずに開きます。


そしてこれも同じく、彼には二人が笑っているような気がしました。


まるで、明るい未来が待っているかのように。


再びバスが、走り出します。




そのあとも、アナウンスは続きました。


中島、清水、佐藤…。


バスは、たくさんの不思議な名前のバスに停まりました。


不思議なのは、彼はどのバス停にも降りようという気がおきなかったこと、大きくて重そうな扉が静かに開くこと、そして、降りていく子供たちみんなが嬉しそうに見えたことです。


そして、気づいたころには、車内に残っている人は彼一人となってしまいました。


彼は不安に思います。


もしかしたら、僕はこのままずっとバスに乗り続けるのだろうか、と。


その時です。


「次はー藤崎ー、藤崎ー。」


突然、彼は心臓を心臓をつかまれたような感覚になりました。


彼の手は吸い込まれるように降車ボタンに伸びていきました。


まるで、そうなることが決まっていたかのようにバスが止まります。


緊張でしょうか、それとも歓喜でしょうか。


彼は高まる鼓動を抑えつつ、彼は扉の前まで歩みます。


一歩、また一歩。


彼は扉の前にたどり着きます。


扉の目の前に立つと、改めてその大きさを感じます。


けれども、彼一人の力では動きそうにない大きいドアが、静かに、けれども確かに開きました。


踏み出す足。


頬をなでる風。


彼はこの空を、風を、匂いを一生忘れないと思いました。そう、今から僕は……。




それは、まるで夢のような出来事でした。


次の瞬間にはすっかり忘れてしまうかもしれない。


だからこそ、男の子は言いました。


「ママ、僕を生んでくれて、選んでくれて、あの時ドアを開けてくれて、ありがとう。」

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はじまり おはようざむらい @ohayouzamurai33

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