急転直下のスキャンダラス

 イルミネーションに飾られた都会の街並みは、スノードームの中のきらめく純白と瑠璃色るりいろの中間の光を模したように色づいて、街行く人々の表情を染め上げる。通りの向こうに見える暗幕の空に浮かび上がる東京タワーの黄金色の光は、まるでデコレーションケーキに差した蝋燭ろうそくに揺らめく炎のよう。



 僕の腕に絡みつく変装したミツキの腕がぎゅっと締まる。どうしたの、と顔を窺うと、僕の肩にミツキは頭を密着させた。クリスマスが近くて、嬉しいの。シュン君とクリスマスを楽しめるなんて、夢みたい、と。僕と初めて出会ったダンスイベントの日からずぅっと憧れていた、というミツキは夢見る少女。頬をほころばすミツキが可愛くて、その肩を抱き寄せた。



 どこかの店舗で流れる定番のキャロルが街の喧騒けんそうにかき消されていく中で、店先のトナカイを引く赤い衣装の人形を見れば、まるで鈴の音を鳴らして降り立つサンタクロースの足音が聞こえてくるよう。街全体がクリスマスカラーで彩られていた。



「ねえ、ミツキ、お店って本当にここ?」


「確かにここのはずなんだけど……」



 あの鳥山志桜里とりやましおり風見碧唯かざみあおいのスケジュールが奇跡的に合致することがあるなんて、と驚愕していたミツキが呼び出されたのは、少し大人のお店だった。風見碧唯がお膳立てした店なのだが、どう見てもバーだ。普通の健全な高校生ならば、こんな場所には寄り付かないと思うのだが。



 黒板のスタンド看板を横目に、階段を降りていく。暗い階段を踏み外さないようにゆっくりと降りて分厚い木製の扉を開くと、目の前にはカウンターと酒瓶が無数に並ぶ棚。そして、シャイカーから注がれる液体がカクテルグラスを満たしていく。徐々に染まるグラスの中の朱色の液体を見つめる蝶ネクタイの男。ここは、間違いなくアルコールを提供するお店。ショットバーという場所に違いない。



「ねえ、ミツキ。少し嫌な予感がするんだけど」


「——うん。でもここまで来たら入るしかないよ」



 こちらに手を振る手狭な店舗の一角に座している美少女二人。二人とも変装をしていて、一見誰なのか分からなかったが、その声を聞けば鳥山志桜里と風見碧唯だということが分かる。



「シュンとミツキも久しぶりね。元気してた?」



 撮影後に別れた僕に対して、志桜里は一切連絡をしてこなかった。毎日続いていたメッセージも、それ以来送ってくることがなく正直僕は心配していた。だけど、こうして元気そうな顔を見て——ミツキには悪いけれど——嬉しかったのも確かだ。


 一方、碧唯は僕がブチ切れた夏以来、会うこともなかったのだが。僕の印象は最悪なものだろうと思いきや、わずかに微笑む姿を見るとそうでもないみたい。あの時は本当に迷惑を掛けたごめん、と謝ると、碧唯は、気にしないで、こっちにも非があるから、と。



「今日は、新井木遥香あらいぎはるかに言われてきた。教えて欲しい。ミツキのことについて」



 志桜里と碧唯の表情から笑みが消えて、二人は互いに顔を見合わせた。そして、碧唯が言う。予想通り。やっぱり連れて来たのね、ミツキを。


 ミツキは嘆息してかぶりを振った。わたしがいても、正直に話して。わたしは、それについて糾弾きゅうだんをしにきたのではないのよ、と。



「志桜里、教えて欲しい。新井木遥香はなにを隠しているの? なぜわざわざ志桜里と碧唯に会えと言ってきたの?」


倉美月くらみつきくん。この件については他言無用よ。新井木遥香は、ある社長の愛人なの。その社長から逃げたがっているのね」


「私と碧唯はミツキに取り返しのつかないことをしてしまった。これはミツキとはもう和解済みだから話すけど、ミツキを拉致したのは、私と碧唯なの。本当に申し訳ないと思っている」


「————本気で言ってるのか。志桜里ッ!! お前、本気でそんなことしたのかッ!?」



 思わず張り上げた僕の声にミツキは立ち上がって、シュン君いいから、となだめる。だけど、僕の気は晴れない。その事件のせいで、ミツキがどれだけ辛い思いをしていることか。



「ごめん。本当にごめん。言い訳にしか聞こえないかもしれないけど、脅されていたの。私と碧唯が事件を起こす一カ月くらい前から、毎日血のりの付いた手紙が自宅に届いたり、夜道で突然口を抑えられて、首に刃物を突き付けられたり、拳銃の弾が楽屋に置いてあったりして……」


「それに屈して親友を拉致して、裸の写真を撮ったのかッ!? 見損なったぞ志桜里!!」


「待って。倉美月くん、話を最後まで聞いて。それで、あたし達は警察に届けようとしたの。そしたら、突然、あたしと志桜里は拉致された。森の中で二人縛られて。目隠しをされて。すごく怖くて。もし、解放して欲しければ頼み事を聞いて欲しいって」


「それが、ミツキの拉致事件の引き金か?」


「……地方ロケでミツキを呼び出した志桜里と一緒にミツキを拉致したの。でも、置き去りになんてしてないわ。なにかあったら大変だもの。ずっと見張っていた。朝になったら、偶然を装ってミツキを助けたあたし達は、警察に連絡するっていうミツキをなだめて————」



 ミツキは唇を噛んで話を聞いていたが、やがて俯く。膝の上に乗せた拳は血が通っていないのではないかと思うほど白くなっていて。重ねた僕の指でゆっくりと開かせると、爪のあとがくっきりと手のひらに残っていた。ミツキ、思い出させてごめん。



「なんで警察に行かなかった? もし警察に通報すれば解決できたかもしれないのに」


「裸にされて、写真を撮られた、なんて言ったら世間はまるで鬼の首を取ったように騒ぎ立てると思うし、花プリのメンバーにも高梨さんにも、事務所にも迷惑を掛けられないって思ったの」



「ミツキ……辛かったんだね。ごめん」



 ううん、と言って僕の手を握るミツキは、視線を志桜里と碧唯に移す。決して睨んでいるわけでも、恨みつらみをその視線に乗せていたわけでもなく。ただ、話して、と言っているみたいに。



「それで、なんで新井木遥香は、その話を僕に聞かせようとしたの?」


「その脅迫の犯人っていうのが、その新井木遥香の相手、楠川田賢二くすかわだけんじだからよ」



 俯き加減で告げる志桜里は、テーブルの上に置いた両手の指を忙しなく絡めていて、僕と目を合わせようとしない。それもそのはずで、僕がずっと志桜里を睨んでいたのだから当然と言えば当然だ。



「————犯人分かっているなら、なおさら警察に相談したほうがいいんじゃ?」


「そうね。倉美月くん。でも考えてみて。例え脅迫の犯人が捕まっても、別の人が襲いにきたらって考えるとね、とてもそんなことできないの。実際に脅迫してきたのは楠川田とは別の人間だし、どうしようもないでしょう」


「それで新井木遥香は僕に、ミツキとは別れろって言ってきたのか」



 どういうこと、と僕に向き合い、顔を覗き込むミツキは涙目で僕に訴える。シュン君がそうしたいなら仕方ないけど、あの人にだけは言われたくない、と。



「新井木遥香は、脅してきた張本人の楠川田の情報をあたし達に教えてきた。楠川田を訴えなさいって。そうすれば自分も逃げることができるからって」


「碧唯はなぜそうしなかったの?」



 僕が訊くと碧唯はため息をいて立ち上がり、マスターの手を振って合図をした。そして、座り込むと口を開く。できなかったのよ、と。



「高梨さんに相談して、訴える算段を模索しはじめたら、会長の鶴の一声で止められたの。そんなことをしたら、大変なことになるって。あのITの会社は大スポンサーで、業界を牛耳っているみたいなの」


「おばあちゃんが!?」



 僕の祖母だということを知らなかった志桜里と碧唯が頓狂とんきょうな声を上げる。シュンのおばあちゃんが会長なの、と。唖然あぜんとした二人を無視して、僕は言葉を紡ぎ続ける。



「で、新井木遥香は、ミツキに対する嫌がらせがまだ続くと思っているみたいだね」


「…………倉美月くんどういうこと?」


 マスターが僕とミツキ、志桜里と碧唯の前にオレンジジュースをそれぞれ置いていく。琥珀色をした柑橘かんきつの薫りが鼻をかすめる細長いグラスは、スマイルカットにしたブラッドオレンジが浮いていて、なんだかお酒みたい。



「だって、あの子は危険だから離れた方がいいって忠告してきたんだよ。それは、これからもミツキに対する嫌がらせが続くということだよね」



「正直、私たちは、ミツキに対する嫌がらせの目的が分からないの。なんのためにそんなことをさせたのか。メリットが全く感じられないし」



 しかし、僕は花山健逸はなやまけんいつの話は伏せた。ミツキがそれを聞けば、どんな行動を起こすのか分からなかったからだ。もし、会って話をする、なんて言い出せば花山健逸とミツキに危険が及ぶかもしれない。それだけは避けたかった。


 だけど、なぜわざわざ新井木遥香が、この話を志桜里と碧唯から聞け、と言ったのかが理解できない。何が目的なのか。僕にこの話を聞かせるメリットは何なのか。ミツキが巻き込まれる大事件に、僕が巻き込まれてしまうことが新井木遥香にとって、どんな不都合があるのか。


 まさか、志桜里と碧唯に協力をして、楠川田と立ち向かえとでも言うのだろうか。



「————ッ!? シュン君飲んじゃダメ!!!!!!」



 オレンジジュースに口を付けたミツキは立ち上がり、志桜里と碧唯に怒鳴る。どういうことなの、と。全く状況が読めなかった僕はミツキと志桜里、それに碧唯を交互に見やった。このジュースの中身がどうかしたのか————まさか!?



「碧唯、どういうこと!?」



 グラスに口を付けた志桜里の眉間に皺が寄り、碧唯に詰め寄る。



 ————志桜里、ミツキ。ごめん。



 カバンを片手に走り出し、分厚いドアを開けると一目散に逃げていく碧唯は俯き加減で一瞬だけ僕を見た。その瞳には涙を浮かべていて、一瞥した僕と目が合うなりすぐに逸らす姿は、まるで罪を押し付ける罪人みたい。



「……やばい、ミツキ、追いかけて!!!」



 志桜里の言葉に反応する前に駆けだすミツキは、振り返ることなく碧唯を追う。志桜里は僕に、それは絶対に飲まないで、と。



「お酒だから。碧唯の奴、隠し撮りしてたに違いないわ。おそらく、スキャンダルをでっち上げるつもり」



 そう言って駆け出す志桜里も僕を置いて、扉を開けると階段を勢いよく上っていく。つまり、アルコールを飲んでいたという情報が出回れば、ミツキと志桜里はマスコミの恰好の餌食で、謹慎処分を食らう可能性が高い。いや、確実に謹慎処分で、復帰なんてできないかもしれない。特にミツキは不倫騒動があった手前、二回目のスキャンダルでイメージダウンは必至だ。



「どういうつもりでアルコールなんて提供したの? こっちが高校生だって分かってやっているなら、あなたも犯罪者ですよね?」


「俺は、君たちが高校生なんて知らなかった。大人びているし、二〇歳はとっくに超えていると思っていたよ」



 話しても無駄だ、と胸中で呟き、扉を開くと階段を駆け上がった。三人を追わなければ大変なことが起きるような胸騒ぎがしていたからだ。碧唯を追わなくてはいけないのは分かる。だけど、楠川田が絡んでいるとしたら、きっと碧唯は楠川田もしくは、その部下に会うに違いない。もし、ミツキと志桜里が何かしらの事件に巻き込まれてしまったら、スキャンダルどころか命の危険だってあり得ること。




 ★☆☆




 輝くラピスラズリを実らせる並木通りは、家族連れやカップルで溢れかえっていて、とても三人を見つけることなどできないように思えた。白い息がクリスマスソングに溶ける、甘いホイップような香りの漂うスウィーツ店の前で、僕は周囲を見回していた。何事もないといいけれども。



 だけど、通りの向こうに見える碧唯の姿に、僕は思わず駆け出した。走っていけないのは分かっているけど、碧唯を捕まえて——盗撮をしていたのかその詳細は分からないけど——罪を告白させなければ、ミツキと志桜里を守ることなどできない。



 切れる息と、少し走っただけで悲鳴を上げる心臓をなんとか胸の上から押さえて、徐々に近づく碧唯の背中を視線で捕らえたまま足を動かす。その肩になんとか手を伸ばすと、振り返った女性は別人だった。ごめんなさい、人違いでした、と謝罪して再び周囲を見回す。



「くそ。どこだ!!」



 一人毒づいても、白い息の激しさが落ち着くわけでも、暴れる心臓が落ち着くわけでもない。ただ、交差していく人々が僕を横目で見ながら過ぎていく。だけど、今度は見つけた。碧唯は横断歩道の向こう側で、黒塗りのセダンから降りてきたスーツ姿の男と話し込んでいる。間違いない。あれは、風見碧唯だ。今度こそ、捕まえてやる。



 信号機がちょうど青になった瞬間、僕はまた駆け出した。碧唯が手にしている小型のペンのようなものは、きっとカメラが内蔵されているに違いない。手を伸ばし、そのペンを掴もうとするが、僕の手をすり抜けて、碧唯の手からスーツ姿の男の手に渡ってしまった。



「それを……よこ……せ!!」



 どんなに肺を振り絞っても、どんなに声帯を震わせても、言葉を紡ぐことができない。息を吸うこともままならないし、吐き出すこともままならない。発作とは違う。雑巾ぞうきんでも絞るかのように締め付けられる心臓が、僕の全身の力を奪っていく。まるで血管に流れる血潮ちしおがすべて白色になっていくように、僕は倒れこんだ。



「倉美月くん? どうしたの?」



 アスファルトに打ちつけた顔から流れ出る赤黒い血液が右目の視界を覆う。左目で見たスーツ姿の男は、小型のペンカメラを持ったままセダンに乗り込み、勢いよく走っていった。



 ————守れなかった。くそ。



 シュン君!? シュン!!!! 



 

「シュン君!? ちょっと、シュン君!? ねえ、返事して」



 はやく救急車呼んで!!!!!!!!!




 瞳を開けると血まみれになったミツキが、眉尻を下げて僕を抱き締めていた。その血液が自分のものだと認識するまでに数秒を要したが、それよりも締め付けられる胸に次第に意識がまた遠のいていく。




 シュン君がときには、わたしもから。



 だから、寝ないで。お願いシュン君…………。

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