私をもう一度奪って@文化祭【前編】

 文化祭当日。まさかの事件が起きた。とんでもない事件。




 ————鳥山志桜里とりやましおりが来る。




 しかもメッセージを受けた時はすでに、後一〇分で着くから、なんて人を馬鹿にしたような熊の絵文字を添えた無慈悲な一撃。なぜ文化祭の日時が分かったのか。そして、なぜ、わざわざこんな田舎に来るのか。



「志桜里ちゃんに、この日文化祭だからお仕事すべて空けたの、って言ったら、羨ましがっていたのよね」


「それだね。うん。間違いない」



 受信したメッセージをミツキに見せると、目を丸くして驚いていた。志桜里ちゃんは、わたしよりもはるかに忙しいのに、なんて。いや、そこじゃないでしょ。なぜ、わざわざ来るのか、というところでしょ。



 僕たちのクラスの出し物は、定番中の定番、お化け屋敷だった。僕は陰に隠れて、こんにゃくを吊るす役。ミツキは頭に白い三角巾——天冠てんかん——を巻いて、白い着物を身にまとった幽霊の役だ。しかも、ミツキのメイク術で、驚かせ役全員の手や足、顔の傷が本物にしか見えないという、本家お化け屋敷もびっくりの仕様。これにはクラスメイトも大喜び。次々とゾンビと幽霊が増産されたのだから、ミツキの悪評もなんのその。もう大人気。クラス一丸となって、昨日の準備から気合が入っていた。

 


 こんにゃくをぶら下げた釣り竿を片手に、スマホの画面を見せると、どうしよう、と戸惑うミツキは、その表情がとても怖い。眉尻を下げたその顔は、青白いメイクに頬の生々しい傷が悲壮感を増していて、どう見てもご主人に飽きられた召使兼愛人の末路のよう。実に哀れ。なんまいだー。



「志桜里ちゃんが来たら、大騒ぎになっちゃうよ」


「うん。絶対に暴動が起きるよ。志桜里は変装なんてしないし」



 暗い墓場のような教室の一角に入ってきたお客さんに、いたずらにこんにゃくを当てる。これがまた、なかなか上手くなってきた。なんて僕が言うと、この先あまり役に立ちそうにない技術だね、とミツキはクスクスと笑う。


 それよりも、ミツキの俯き加減ですすり泣く演技と、呪いを振りまく、顔を上げた時の悲痛な叫び声は、大人でも泣き出すような恐怖に満ちていて。お化け屋敷の幽霊役としてはこの上ないキャスティングだよ。もう、こればかりは、お化け役のプロと認めざるを得ない。



「決めた。僕はここで志桜里に見つからないように、隠れているよ」


「ちょっと、可哀そうな気もするけど……わたし、この顔ならバレないかな?」


「————絶対にバレる。顔に傷があっても可愛いし。外なんて歩いていたら、逆に目立っちゃうよね」


「こ、この顔で可愛いなんて言われても嬉しくないもん」



 確かに、なんて言って笑ったけれど、他のクラスメイトがお茶を差し入れしてくれたときは、ミツキの笑顔を見て金切り声をあげるほど怖かったみたい。ミツキだと分かっていても怖いなんて。あんまりだ。いや、ミツキのメイク術を褒め称えるべきかもしれないけれど。



「お前らは、軽装備でいいよな。俺なんて、暑いし動きづらいし。最悪なんだからな」



 巨大な壁にふんしたぬりかべ男の新之助が、灰色に塗られた発泡スチロールのわずかな穴から顔を出して、うらめしそうに僕を睨む。

 こんにゃく係やりたかったのに、と。両手が顔に届かず、お茶が飲めないから飲ましてくれ、と言ってミツキにお茶を飲ましてもらう姿は異様な光景。幽霊がぬりかべ男にペットボトルを吸わせている姿は、どう見ても何かのコントだ。



 確かに、僕もその役はやりたくない。鼻がかゆくなったら掻けないじゃない。



涼森すずもりくん……なんか、あまりこわくないね。顔出しているからかな。うん。そうだよね」



 ミツキは、片隅に置いた自分のメイク道具の入ったポーチを取り出し、新之助の顔を血まみれに染め上げた。まるで壁の中に閉じ込められた、犯罪臭がプンプンする被監禁男のできあがり。いや、怖いと言うより心配になる。とんでもなく怖い裏社会の人に無理やりやらされているのではないか、と。



「は、花山。俺の顔になにしたんだ。お、教えてくれ」



 コンパクトミラーを向けるミツキの顔はいたって真面目で、やはり怖い。真顔になると、本当に恨みつらみが募った井戸に落とされた女中のよう。その恨めしそうな幽霊に、顔に引きつりながら鏡を見た新之助は、自分の顔に驚愕して配置に戻っていった。客が来るのが楽しみだ、なんて言って。ここにもいました。驚かすことが快感になってしまった人。




 実際に幽霊が出るかもしれない、なんて噂を流して歩く工作員——園部三和子そのべみわこ——の暗躍もあってうちのクラスの出し物は大盛況である。実際、入り口から恐る恐る入ってくるお客さんは、中盤のこんにゃくと、ミツキの迫真の演技で廊下に脱出した頃には腰を抜かしている人もいたくらいだった。



 みんなやりすぎだよ。僕もだけど。



 お化け屋敷内に一人もお客さんがいないのを確認して、園部三和子が駆け込んできた。大変なの、大変なの、と。

 なにが大変なのかと訊いたら、鳥山志桜里が歩いている、なんて血相を変えて報告に来たのだ。お化け屋敷の中も外も大騒ぎ。この中に入ってきたら、全力で驚かしてやる。なんてみんなが息を巻く始末。これは、いよいよ盛り上がってきたな、なんてミツキと話していると、それが現実に。突然、受付前にやってきた志桜里は入ることを決心したようだ。



「ミツキ、作戦がある。志桜里に見つからないためには、顔を見せちゃいけない。だから、志桜里が来たら、背中を向くんだ。ただ何もしないでそのまま。そこに僕がこんにゃくを首筋に当てるから。志桜里が僕の方に振り返ったところで、ミツキがこのこんにゃくをまた首筋に当てて」



 最終的にはびっくりして走って逃げるだろうから、きっと顔は見られないだろう、なんていう安易な考えだけど。

 志桜里はスピリチュアルを信じるタイプだ。だから、きっとお化け屋敷も怖いに決まっている。根拠はないのだけれど。占いでも、きっと首筋に気をつけろ、なんて出たはずだ。アンラッキーアイテムはこんにゃくで決まり。



「志桜里ちゃんって、確か……お化け屋敷————」


「え? 志桜里がどうかした?」


「ううん。なんでもない。でも、あとでちゃんと謝ろうね?」


「————うん。分かった」



 ひゅーどろどろ、という横笛と太鼓でお馴染みの効果音をブルートゥースのスピーカーがかなで始めて、ブラックライトに照らされた墓石の陰の枯れた菊の花がなんとも不気味だ。


 お札をべたべたと貼った教壇の下のスピーカーからはお経を流していて、圧巻なのは黒板いっぱいに貼った血塗られたお札。そして、黒板と教壇の向こう側に作った段ボールの壁から突然飛び出す無数の白塗りの腕。天井に配置したスピーカーから流れるけたたましい赤ん坊の泣き声とともに、突然、お腹を裂かれた妊婦が目の前に現れる。その腕の中には冷たくなった赤子が。


 わたしの赤ちゃん返して!!


 なんて嘆くシーンは、もう絶叫ものである。


 これは、すべてミツキの提案である。アイドル引退したらお化け屋敷でも経営した方がいいと思う。


 その先、いよいよ、こんにゃくと幽霊ミツキの登場である。後半は、行き止まりのはずの壁が新之助で、彼が振り返ると、そのぬりかべ男の陰に隠れていたゾンビたちが一斉に襲い掛かってくる。逃げようがない。なんて性格の悪いお化け屋敷なの。


 極め付きは、ラストの最悪な仕掛けだ。


 出口だと思った扉は入り口に戻る扉で、脱出には壁をノックする必要がある。そのヒントは二周目にならないと教えてもらえない。なんて残酷な仕打ち。



「来たわよ、志桜里ちゃん」



 小声で話すミツキに、僕は目と顎で合図した。叫ぶわけでもなく、驚く様子もなく淡々と歩いてくる志桜里は、まさかの腹裂き妊婦も華麗に抜けてくる強者つわもの。これは、本気を出さざるを得まい。



 背を向けてすすり泣くミツキを見て、志桜里は言う。ミツキ楽しんでいるじゃん、なんて。なんでバレるの。背中なのに。


 僕は躊躇ちゅうちょなく、志桜里の首筋にこんにゃくを当てると、志桜里は、きゃあ、と初めて叫喚きょうかんを上げる。これには思わずガッツポーズをした。


 案の定振り返る志桜里の背後から、手にしたこんにゃくを首筋に当てるミツキはほくそ笑む。すると、さらに志桜里は悲鳴を上げてその場に座り込んだ。これは千載一遇せんざいいちぐうだ、と僕の隠しアイテム、冷えピタを、志桜里の首筋に当てる。勝った。完全勝利。



「もういやぁぁぁぁぁ。痴漢よ痴漢!!」



 痴漢て。まあ、そう思われても仕方ない。冷えピタはやりすぎたかもしれない。けれど、せっかく来たのだから、これくらいの洗礼は受けてもらわないと。うちの姫の企画なのだから。



「志桜里ちゃん、ごめんね~~~。わたし。ミツキだよ、それとシュン君」



 悪びれない笑顔のミツキを睨んだ志桜里は、その横から姿を現す僕まで睨みつける。この部屋には本物の霊がいる、なんてわめいた。本物の霊がいたら、それはミツキだ。リアルすぎて本物だと思う人が続出なのだから。



「もう!! あんた達、せっかく遊びに来てあげたのに、なんてことするのよッ!!」


「なんでまた、こんな田舎の文化祭なんかに? 志桜里は今日オフなの?」


「そうよ!! シュンをさらいに来たの。文化祭終わったら借りるわよ」



 立ち上がりながら、志桜里は僕に視線を向けて鋭い双眸そうぼうで僕を吸い上げる。透き通った瞳がとても綺麗で、これは、僕の冷えピタで一度、涙目になったのだろう。僕は目を合わせないように俯くと、今度はミツキを横目で見て、志桜里はなぜか噴出した。



「ミツキ、メイクが甘いわ。もっと怖そうにしなきゃ」


「やっぱり。志桜里ちゃんはすごいなぁ。手抜きなのバレちゃうなんて」


「はぁぁぁぁ!? どこが手抜きなの? おかしいでしょ」


「私が手本を見せてあげるわ」



 なんで志桜里がクラスの中に混ざるの。偶然にもお客さんが志桜里しかいない教室の中が困惑の色に染まる。クラスメイトは志桜里を囲み始めて、そのメイク術をまじまじと観察する。まるで、和傘職人のような筆遣いで傷を描いて、誰もが身震いをする土色の顔と穴の開いたような頬を演出した。仕上げに髪をぼさぼさにして出来あがり。いや、なんだろう。これは恐いと言うよりも見ちゃいけないものを見ちゃった、という罪悪感が生まれそうなゾンビ。えげつないほど、リアリティがあって、ゾンビ系の海外ドラマもしっぽを巻きそうだ。



 顔に穴が開いているんだけど。なんて声を上げる新之助は、志桜里が僕の知り合いだということに驚愕をしていた。なぜか志桜里は、クラスメイトと意気投合をしていて、少しの間、お化けとして活躍したい、という志桜里の申し出をみんなは快く受け入れた。



「なんで志桜里が混じるの。おかしいでしょ」


「いいから。シュン、冷えピタは女の子にはだめよ。こんにゃくも本当ならアウトに近いんだけど」


「でも、お客さん、なんだかシュン君のこんにゃくを受けたくて来る人いる、なんて噂聞いたんだけど……」


「どんだけ。こんにゃくなんて、受けて何が楽しいの? この感触が気持ち良いなんて、変態じゃん」


「相変わらずね。シュンは。そういう意味じゃないと思うんだけど」




 その後、僕のこんにゃくで驚いたお客さんは、ミツキ幽霊と志桜里ゾンビに追いかけられて、二周目はこんにゃくを持ったミツキ幽霊と志桜里ゾンビに挟まれた。そんな阿鼻叫喚あびきょうかんな図を見て、僕は呆れる他なかった。やりすぎ。楽しいのは分かるけど。



 いよいよ人員交代の時間となり、僕たちはお化け屋敷から解放されたのだが、ミツキと志桜里は少し残念がっていた。



 

 両手に華、などという言葉が使えないほど、両手のアンデッドが騒がしい。周りのことなど気にする様子もなく、出し物を見てはしゃいでいた。タピオカと電球ソーダなんて、すでにオワコンだ、と言って電球の中にタピオカを入れた独特の世界観のクラス。もはや、何が正解なのか。僕には分からない。


 また、そのとなりのクラスは、女装男子と男装女子のステージ。しかも、女装男子が花鳥風月プリズムZを模倣していて、本物のミツキと志桜里が現れると、驚きすぎて腰を抜かしていた。



「いいな。すごく楽しそう。私も参加したかった」


「おもいっきりしてるし。うちのクラスであれだけゾンビ無双すれば、もう満足でしょ」


「うんうん。志桜里ちゃん、一番テンション高かったよ」



 

 コスプレ喫茶。いかがわしい響きの出し物。学園一のアイドルがいるクラスは、今年度一番、集客を上げているという噂がある。メイド服のミニスカコスプレイヤー、野々村朱莉が、半ギレで客対応をしている。もはや、塩対応などというレベルではない。ツンデレのツンしかない。これには客も苦笑するほかないみたいだ。




「いたいた。野々村さん」



 しっかりと朱莉を覚えていた志桜里が、手を振って朱莉を呼び出した。席につくお客さんから、コスプレ店員、それに女装男子店員まで一斉にこちらを向く。その表情を見る限り、全員氷漬け。志桜里とミツキのツーショットがあまりにも刺激的すぎたのだ。



「と、鳥山……志桜里……さん!?」


「あの時はごめんなさい。サインの約束をしていたのに、帰っちゃって。それでこれ」



 志桜里がバッグから取り出したのは、志桜里のサイン入り花鳥風月プリズムZのライブブルーレイ限定ボックス。アルミの缶に入っていて、今や、オークションサイトで、高値で取引されている逸品だ。



「あ、えと。ええええ。いただいていいんですかッ!?」




 せわしなく働く朱莉を引き留めるのも悪いと、コスプレ喫茶を後にした僕たちは、校舎裏の葉が半分落ちてしまった銀杏いちょうの木の下のベンチに座る。ここはいつも人がいない。来る理由がないからだ。ただし、男子が女子を呼んで告白する定番の場所になっているようだが。



「志桜里ちゃんって、確かお化け屋敷マニアでしたよね?」


「まあ、ね。ってシュンには内緒にしてたのに」


「え、なんで。別にいいじゃん」


「だって、可愛くないでしょ。お化け屋敷マニアなんて」


「別に趣味だから、いいんじゃないの?」


「そうですよ、志桜里ちゃんがお化け屋敷マニアだろうと、わたしは好きですよ。そんな志桜里ちゃん」



 あの世界観が好きなの、と言った志桜里は、ホラー映画が大好きでよく一緒に観させられていたことを思い出した。あの頃はよく一緒に遊んでいて。今さらながら考えてみると、僕の初デートの相手は志桜里。酸いも甘いも嚙み分けるような顔をしている志桜里は、僕と同じ、ただの高校二年生。初デートの味は、仄かに薫るストロベリーだった。それは、絶対にミツキには言えない、僕と志桜里の秘密。要は無知だった、ということ。



 志桜里は嘆息して、ミツキから僕に視線を移す。



 身体は大丈夫なの。心配していたんだから。悔しいけど、ミツキにお願いするしかなかったの。手術の日に行けなくてごめん。ちゃんと目を見て謝りたくて。



「志桜里ちゃん……」


「それが理由で来たんじゃないでしょ」


「シュン。明日と明後日は休みでしょ。付き合ってくれない?」



 僕がミツキを一瞥すると、ミツキはゆっくりと首を横に振る。仕事だ、と。



「…………なにするの?」


「契約よ。秋の新作の作品を撮ってほしいの」



 ミツキノミコトの仕事。鳥山志桜里のポートレート。アイドルとのデートのひと時、というタイトルの作品。



 絶対に奪い返す。ミツキから絶対に。



 志桜里が言い放った言葉は、今でも頭の中を巡っている。本当に、仕事なのだろうか。志桜里がなにを考えているの、か。分からない。


 奪い返す。元々は私のもの、という意味。志桜里は奪う、とは言わなかった。ミツキはそれを聞いてどう思ったのだろう。



「志桜里、僕は、志桜里と————」


「志桜里ちゃん……」



 シュン。あなたしかいないの。私をもう一度奪って。シュン……お願い。あの激しく熱い夜が忘れられないの。



 意味深に呟く志桜里を見て、ミツキの笑顔が消えた。


 真顔になったミツキと、僅かに目を細める志桜里は、互いに視線をぶつけていて。



 シュン君。どういう……こと?

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