儚き追憶と甘い口づけ
面白くなってきましたね、なんて他人事のように話す
ステージ上で火花を散らす美女たちが、一斉に敵意をむき出しにするのが、うちの姫。
浴衣を着た男女のペアの司会で進める浴衣美人コンテストは、
「ああ。これで明日のつぶやきランキング上位に、花神楽美月のしょんぼり浴衣姿じわる、が食い込んできそうだよね。もうみんなミツキちゃんを
怜さんが言うように、花神楽美月はなにかと弄られる。例の不倫事件からずっとその兆候が続いていて、僕の名前が出たことで更に酷くなっていた。
しかし、そこで黙っていないのがミツキだ。人前から姿を消さずに、逆に印象を変えろ、というのが姉さん——
「まずは、エントリーナンバー一番、唐沢ミナミさんです。自己紹介をお願いします」
司会の女性の声が町中のスピーカーから響き渡り、まるで防災無線のように音が割れていた。音量の調整が上手くいっていないのだろう。すごく不快である。
「唐沢ミナミです。一八歳です」
「得意なこととか、趣味とかあれば教えてください」
「バレーボールをずっとやっていました。趣味は、読書です」
はい、ありがとうございます、と司会の女性がステージ上で仕切ると、唐沢さんはステージの奥に戻っていく。横一列に並んだ浴衣美人たちは、緊張した面持ちで自分の出番を待っていて、なんだか処刑を待つ死刑囚のようだ。しかし、一人だけ緊張もせずに、やたらとやる気を出している少女がいる。しかも、名前を呼ばれると、
「野々村朱莉。十七歳です!! 好きな食べ物は肉。得意な事はダンス……いや、手料理ですッ!!」
「げ、元気ですね。他になにか会場の皆さんに伝えたいことはありますか?」
「はいッ!! 絶対にミツキちゃんに勝って、シュンを貰い受けますから!! 応援よろしくお願いしますッ!!」
「な、なに言ってんだあいつ。本気で僕を殺しにかかってきたな」
「さすが、妹。堂々としていて優勝間違いなしだね」
太ももに額がつくのではないかと思うほど、深くお辞儀をした朱莉は、顔を上げると僕の瞳を射抜くように見ては不敵に笑う。どこからその自信が来るのか、と逆に応援したくなるから不思議だ。
そして、いよいよ来てしまったミツキの出番。司会者に促されて、ステージの前方に立つと、深呼吸をして俯きながらしばらく黙り込む。まるで泣いているのか、と思えるほど肩で息をするものだから、ステージ前の今にも暴れそうなゾンビたちも息を呑んで見守る他ない。中には、がんばれ、と
顔を上げたミツキは完全に花神楽美月の顔になっていて、細めた瞳がステージ下の右から左、左から右に視線を投げかける。薄桃色の唇が
「みんな……今日はありがとぉぉぉぉぉぉ!!!」
とんでもない笑顔を振りまきながら、司会者から奪い取ったマイクで叫ぶと、一斉にゾンビたちが餌に食らい付いた。檻に投げ込まれた生肉を一斉に
てめえら、今日はぶっ飛んでいこうぜ、と再び叫ぶと、熱狂の渦がステージの周りを包み込んで、身動きが取れないくらいに混み始めた。
そうか。姿を見せない花神楽美月のことはいくらでも誹謗中傷で殺せるけれども、実際本人を目の前にして、しかも自分がその一部だと実感したとき、人は、共感という感情を覚えるのか。ライブの一体感、とはよく言ったものだ。花神楽美月と一つになった会場は、もはや彼女の
「わたしの得意なこと……みんな知ってるよね!! 教えて!!」
マイクをステージ下に向けたミツキに浴びせられる言葉は、ダンスと歌。しかし、中には花プリの狂信者であるプリズマーと思われるものが紛れていた。その証拠に、殺し文句、という謎の
「瞳に恋する二秒前。君はすで落ちている」
花神楽美月の決め台詞である。正直意味が分からないのだが、なぜかプリズマーはそれで満足して倒れこむ。ますます意味が分からない。だが、花神楽美月と空気を共有しているゾンビたちは、実際に、恋する数秒前に落ちたらしい。司会者が時計を気にしつつ、マイクを取り返しにかかると、ようやく花神楽美月はステージ後ろに戻る。朱莉をはじめとした美女たちの視線も気にすることなく、スイッチの入ったミツキは堂々としていて格の違いを見せつけた。それはステージ下から見ても明らかだ。
「花神楽美月ってやっぱりすごいんだね。シュン君の将来はいかにも大変そうだ」
「はは……。いや、大丈夫ですよ……多分」
全員の紹介が終わったところで記念撮影になる。その場でプリントアウトされた写真は、本部のとなりのテントに貼りだされて、お客さんが自由に投票をする。花火の始まる九時直前に再びステージ上に召集されて大々的に発表される。その後は表彰式という運びだ。ミツキは謹慎中とはいえ現役アイドルなのに写真なんて撮られて大丈夫なのか、と心配になったのだが、スイッチの入った本人は写真にも気合が入っていて、すでに吹っ切れている。明日が怖い。絶対にマネージャー高梨に怒られる。その矛先は僕にも飛んでくる気がする。
ステージから降りたミツキは花神楽美月の仮面が取れていて、僕に微笑みかける姿は、やはり天使のようだった。ステージ上でのクールな台詞と雰囲気、そして目つきからは想像もできないほど愛くるしい眼差しは僕だけのもの。僕が再び恋に落ちるまでに二秒もかかるはずがない。お待たせ、と言って、遠慮がちに僕の小指に人差し指を絡めてくるミツキは微かに口開く。
シュン君の瞳なら恋するのに一秒も掛からないね、と。それはミツキだけだよ、なんて僕の口が言うけれど、胸は張り裂けそうだった。
僕とミツキの二人だけの時間————だと思っていたのに、すぐに囲まれてしまう。当たり前だ。ミツキは慌てて指を離すが、すでに遅し。サインください、までは良かったのだけれど、写真を一緒に撮ってください、はさすがに拒否したかった。中には、本当に付き合っていたのですね、なんて核心を突いてくる強者だっているくらいだ。しかし、僕の予想していた反応とは大分違うものだった。
「二人が付き合っているなら、応援します!」
「浴衣美女コンテスト最高でした。まじで応援してます」
「倉美月春夜さんとお似合いだと思います。地元の誇りです」
本当にかっこよかった。想像と違って、すごい良い子じゃん。がんばって美月ちゃん。応援しているから。倉美月くんと本当お似合い。羨ましい。必ず復帰してくださいね。
————絶対に負けないで。
一人一人の言葉が
賛否あるネットの情報はどれも、当たっているようで外れている。要はどれが真実か分からない。ミツキを見たこともない人は、悪い噂を信じてやまないのに、こうして目の前で喋り出すミツキを見た人は、花神楽美月は
人をかき分けて、なんとか辿り着いた綿菓子の出店前。いつか約束した、イベントがあれば買ってあげるという言葉を遂行できるのだから、やっと肩の荷が下りるというもの。綿菓子屋のおじさんは、僕に綿菓子を手渡すと、こっちにおいで、と手招きをする。テントの裏にある扉を開いて中に入れてくれるおじさんは、ここは安全だよ、と言って前歯が欠けた笑顔を僕とミツキに投げかけた。
中は喫茶店になっていて、少し前に妻が亡くなってしまい泣く泣く閉店したのだという。それでも、毎日掃除を
バーカウンターに二人肩を並べて腰かけると、ミツキは嬉しそうに綿菓子にかぶりついた。口の周りについた雪のような綿菓子を指摘するとミツキは、シュン君とって、と甘えてくる。仕方ない、なんて言ってみたけれど、それは嘘。可愛くて可愛くて、どう表現をしたらいいのか分からないほど。とにかく抱きしめたかった。
「やっと二人きりになれたね。家に帰るまで無理かな、なんて思ってた」
「いや、正直、朱莉にはやられたって思ったけど、結果オーライになってびっくりしたよね」
「でも、負けたら朱莉ちゃんにシュン君取られちゃう。どうしよう」
そんなこと言って、僕の左腕に右腕を絡みつけてくるミツキは確信犯だ。だって、僕の気持ちはすべてがミツキに向いているのだから、朱莉に取られるはずがない。そんなこと当たり前だ。
「負けないと思うけど。でも負けたら、朱莉のところに行くしかないよね」
「もう意地悪。そうやってすぐにいじめるんだから。でも、朱莉ちゃん、少し可哀そうかな」
「うん。朱莉にはやく幸せになってもらいたいんだけど、なんとかならないかな」
シュン君を取っちゃって少し悪いと思っているんだ、と呟くミツキは、朱莉のことも好きだと話す。いつでも前向きで友達想いの朱莉は、きっとミツキのことなど恨んではいない。だからこそ、心が痛いのだと思う。むしろ
「でも、朱莉ちゃんに悪いとは思っていても、自分の気持ちに嘘はつけない。シュン君がいない日々なんて考えられないもん」
「うん。もちろん。僕だって、それは同じだし。ミツキがいたからこそ、毎日自分を呪っていた自分の殻から出て来れたようなものなんだ。だから、ありがとうを言いたいよ」
美味しそうに食べるミツキの綿菓子を、僕も一口貰って食べる。口の中で凝縮する甘味が切なく舌の上をほとばしっていく。おいしいでしょ、と言って、ミツキは僕の口に綿菓子を優しく詰め込んだ。少しだけミツキの指に触れた唇が、その感じたぬくもりのいつまでも消えない残り香に、なんだか切ない気持ちになった。
「綿菓子って雪みたいだよね。口の中ですぐになくなっちゃう雪。お母さんが死んじゃう少し前に一緒に行ったお祭りで綿菓子を買ったの。お母さんと二人で食べた綿菓子がすごく甘くて、切なくて。でも、お母さんはわたしに、雪だって積もればなかなか
積もった雪は融けない、か。どういう想いでお母さんが言ったのかは分からないけれど。でも、ミツキのお母さんは優しい人だったのだろうと思う。
「だから、綿菓子とシュン君は外せないっていうか、なんだろう。つまり大好きってこと」
「うん。じゃあ、ミツキの誕生日は綿菓子でいっぱいにして、ミツキに雪を降らせてあげるよ」
「ほんと!? 三月が楽しみ」
綿菓子を食べ終わるころには、
甘く、少しだけ切ない香りを楽しみながら。二度目のキスは完全にミツキの色に染まっていて、ストロベリーの香りを
ミツキの紅潮した頬は、まるで初恋の人を見る
「シュン君。もっとして」
「ミツキ。唇なくなっちゃうよ?」
今度はミツキが僕を抱き締めると、再びキスをした。永遠のように感じたキスは、何度目のファーストキスだったのだろう。キスをするたびに恋に落ちる僕。
僕の首の後ろに手を回したミツキは、耳元で優しく
————ずっと一緒にいて。キスをして。
気付くと、浴衣美人コンテストの結果発表の時間になっていた。
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