流星のように伝う汗と彗星のように流れる涙
喫茶店の扉を開けて、綿菓子屋のおじさんに声を掛ける。お母さんとお父さんは元気なの、と
「
「和佳子さんと
「うーん。確か、初めてうちに来たのが二〇代前半くらいじゃないかな。いやぁ、よく記者に追われていて、その都度
おじさんはザラメを機械に注ぐと、割りばしを回し始める。魔法の世界の住人のような手つきで雲を召喚していく魔術師は、僕とミツキに
今度は明るいときに遊びに来ます、とミツキが挨拶をすると、おじさんは、また綿菓子作ってあげるよ、と言って手を振った。お父さんとお母さんにもよろしくね。きっと、二人とも懐かしんで喜びますよ。
なるべく人に捕まらないように、ミツキの手を引いて早歩きで進む。黒いビロードを広げた空が
すでに他の浴衣美女コンテストのメンツは揃っているようで、ミツキを見つけた
「綿菓子食べたのです。朱莉ちゃんは何か食べましたか?」
「ハム焼き。がっつり肉食系なので。ミツキちゃんはずっとシュンと一緒に?」
「あ、えっと……うん。ごめんなさい」
謝られても、と言った朱莉は寂しそうなのか、それとも悲しそうなのか。その表情は僕には判別できなかったのだけれども、きっと、苦虫を
「ミ、ミツキちゃん!?」
「勝手なのは分かっています。だけど、こんなわたしでも、友達を続けてくれますか?」
「……う、うん。でも、勝負は勝負だからね。話はそれからだよ」
強がって見せた朱莉は、そうは言っても顔だけ見れば、今にも泣きそうだった。今にも崩れてしまいそうなブロックで積み上げた勝気な
「ミツキちゃん。あたしね……」
「朱莉ちゃん?」
「ううん。これでもし。もしだよ。ミツキちゃんが勝ったら絶対にシュンを大切にしてよね!」
朱莉から離れたミツキは、彼女を見つめて僅かながら言葉を発した。その言葉を僕は聞き取れなかったのだけれど、朱莉はミツキの言葉を聞いて涙ぐみながら首を横に振った。その様子を見ていた
「決して諦めが早いわけじゃないんだけどね。ただ、それだけシュン君、君を想っているってことなんだよ。それは理解して欲しいかな」
「どういうことですか?」
「まあ、それは浴衣美女コンテストの結果を見て、朱莉の口から聞いてよ」
ステージ上に集まった浴衣美女は、突然流れる場違いなテクノ系の音楽にどぎまぎする。いったい何年前のトランスなのかと、僕も呆れていると、男女の司会者がステージに現れて、音楽をよそに大いに盛り上がりを見せた。正確に言えば、注目はすべて
「それでは~~~~結果発表の時間です。まず第三位からッ!!」
女性の司会者が叫ぶように三位を告げる。呼ばれた黄色い浴衣の美女は、口元を抑えて驚き、近くの友人らしき四人組に視線を落とした。友人たちは宝くじでも当たったかのような喜びに沸いて、飛び跳ねて感情を表す。すごく楽しそう。
「次は二位です。二位は……とても、とても元気な人です。まるで夏の向日葵のような笑顔が素敵でした、とコメントもいただいております」
「野々村朱莉さんで~~~~~すッ!!」
朱莉は喜びも悲しみもせずに、ただ微笑んで前に出た。すでに予測はしていたのだろう。でも、その表情はすごく素直で。僕と目が合うと、口角を
「一位はもちろん、あの人。さあ、皆さんで呼んでくださいッ!!」
「ダントツです。もはや、反則なのではないかという票の集まり方。二秒で恋に落ちました、とか、一生ついていきます、なんてコメントもいただいております。さあ、それでは、皆さんで呼んでみましょう!!」
花神楽美月。
僕の中には誰の言葉も入ってこなかった。ただ、誰かが呟いた言葉だけが、水たまりに落ちる雫のように波紋を広げて、僕の心に染みこんでいく。それは、これまでの友を失ってしまうのではないかという不安と寂しさ、それに、思い出。これらを一緒くたに洗濯機に入れてぐるぐると回すような感情。朱莉の呟いた彼女の名前を聞いた時、僕は朱莉の想いが少しわかった気がした。負けるのを知っていて、それで……。
「花神楽美月さんおめでとうございます! 第一二回浴衣美女コンテスト優勝です!!」
「お前らぁぁぁぁありがとぉぉぉぉ!!」
期待を裏切らないライブパフォーマンスのように叫ぶミツキは、ステージ裏に戻ると魂を抜かれたような別人になっていて、朱莉を再び抱き締めていた。
「朱莉。お前、負けるって分かっていて、わざとミツキを引っ張り出たんだろ」
ミツキが負い目を感じていることを朱莉は知っていたのだ。だから、自分よりもミツキのほうが相応しいと言える状況をあえて作ったのだろう。友人思いの朱莉は、ミツキの味方をしたのだ。そこまでするなら、なんでちゃんと想いを僕にぶつけてこないんだ。なんで。
「違うわよ。だって、もしかしたら、あたしが勝っていたかもしれないでしょ」
「お前はいつもそうだ。訳の分からない身の引き方をして、それでいて……もういい」
「分かっているわよ。ちゃんと言葉で伝えればいいっていうことくらい。でも、わざわざ結果が見えている勝負をしたくないの。自分の気持ちは、確かに晴れるかもしれないけれど、そこですべてが終わりって、なんだか納得がいかないの。もしかしたら、ワンチャンあるかもしれないのに」
「いや……そんなこと言われても」
「朱莉ちゃん、それはもう告白をしているようなものなのでは……」
「いや、まだよ。シュンにはまだフラれていないし。でも、これで分かったでしょ。あたしは、ミツキちゃんに遠く及ばないし、ミツキちゃんとの勝負には負けたんだから、あたしに遠慮なんてしないでよね。ミツキちゃんがシュンを貰い受ける権利があるんだから」
「ミツキには負けても仕方ないけど、僕にはフラれていないっていう理屈が分からなすぎるんだけど。それに、泣きそうな顔で、“だいすき”なんて言われても」
「…………なんで言っちゃうのよ、ばかッ!! 人の気も知らないで!! もうシュンなんて大嫌いなんだからッ!!」
握り拳を作ったまま、
「シュン君。だいすきっていう意味分かる?」
「え? すごく好き、とか?」
「まあ、そうなんだけど。朱莉ちゃんは、ああ言っているけど、わたしのために負け試合をしたんじゃないと思うよ?」
「どういうこと?」
「————うん。シュン君がね。わたしのことを好きだということは朱莉ちゃんも分かっているの」
「うん?」
「分からない? 朱莉ちゃんは自分で身を引いても、シュン君が幸せになるなら、わたしにシュン君を譲るよっていう意味で、だいすきって言ったんだと思うの」
「ミツキが朱莉から僕を取っちゃったっていうことを気に病んでいると思って、朱莉が気を使ったんじゃなくて?」
「それは隠れ蓑で、実際は、わたしに勝たせることで、自分は身を引かなければいけない状況を作ったの。そうすれば、シュン君が朱莉ちゃんを気にすることなく、わたしと堂々と付き合えると思ったんじゃないかな。わたしのためと見せておいて、本当はシュン君に一番幸せになって貰いたいのよ。ほんとうに“だいすき”だから」
そんなの分かるはずがない。僕だけ何も知らない世界に一人ぽつんと置いていかれて、無視された僕の意思は誰の耳にも届かない。それだけではなく、突然動き出したブリキのおもちゃ達が僕に向けて言う。シュンのためだから。シュンが幸せならこうするしかないよね。シュン君はなんで彼女の気持ちが分からないの。でもいいわ、わたしが幸せにしてあげるから。
回りくどいことをせずに、出会ったあの日、僕に気持ちを伝えてくれれば、もしかしたら何か変わっていたのかもしれないのに。髪の長いままの君が。
塀に囲まれた自宅の箱庭は、聖なる力で作られた
漆喰の雲を焦がしていく大輪の花がビロードの暗黒を焼いていき、煌々と輝く牡丹が彩る夏の空と、少しだけ感じる雨の匂い。そして、湿気の中に感じる火薬の香ばしい薫り。金色の柳が滲んだ後に描かれた煙の様相に、思わずため息を吐いた。
僕はミツキの指先を軽く摘まんだ後、壊れないようにそっと片手で包み込んだ。淡いベビーピンクの頬が可愛くて、思わず指先で触れたくなってしまう。やわらかいのは当たり前だとして、吸い付くのか、それともさらさらなのか。そっと触れるとミツキは、もう、と言って頬を膨らませた。おいしそうで触りたくなった、と正直に罪を告白すると、ミツキは無罪を言い渡してくれる。だから、頬のみならず、その薄桃色の唇も触れてみる。その感触を楽しみながら、宝石を散りばめた硝子玉の中を覗き込んで、僕は吸い込まれていった。鍛冶屋の打つ真紅の鉄から放たれる火花のように、瞳の中で散っていく欠片たちが、とても、とても美しい。僕は思わずミツキにキスをした。
★☆★☆
「シュン。あんた死にたいの?」
振り向くと、姉さんが仕事着——マリアナ海溝のようなディープブルーのノースリーブのワンピース——を着て、玄関から出てきた。髪は一つも乱れておらずエアリーな髪の毛で、普段はジョガーを
「姉さん、収録はどうしたんだよ?」
「アスカさん、帰っていらしたんですね」
「シュン、あんたのためにぶっちぎってきたのよ」
ああ、ちょっとお手洗いに、と言ってミツキは離れの戸を開いた。不穏な空気に勘づいたミツキは、慌てて離れに入っていく。視線で追う姉さんは、ミツキが消えたことを確認してから視線を僕に戻した。
「お母さんに聞いたわ。お母さん泣いていたのよ。あのお母さんが、よ。あんたみたいな親不孝者はいないわ」
「分かってるよ。そんなこと。でも、今はだめなんだ。でも、時が満ちれば、必ず————」
「あんたには時間がないのッ!! 今すぐよ。今から行くの!!」
「今は無理だって。まだ……」
「あんたがミツキちゃんのために、っていうなら、全部あの子に話すわ。ミツキちゃんに言ってもらうしかな————」
「やめて。それだけは絶対にだめだ。ミツキは、今、ミツキを一人にはできないッ!! ミツキは戦っているんだ。だから、お願いだから、言わないで……」
「————ミツキちゃんを想うなら、なおさらでしょ」
「分かってる。だから、もう少しだけ、ちょっとだけでいいから時間が欲しい。ミツキが一人で戦えるようになるまで。必ず、そうしたら、必ずするから」
そうして、僕は孤独になる。僕の周りのブリキのおもちゃ達が、僕のためだよ、と言って僕の身体を神輿のように担いでいく。僕は孤独の世界に一人取り残されて、僕の意思など無視していく彼女らは、僕の幸せを信じてやまない。僕は、僕は自分のしたいようにしたい。今は、ミツキに寄り添いたいのに。
「シュン君。少しだけ聞こえちゃったんだけど……どういうこと?」
つま先から急激に脈打つ濁流が心臓を押し上げて、脳に行き着くころには呼吸ができなくなっていた。背中の汗が流星のように消えていき、震える手でミツキを掴もうとするけれど、遠のいていく。後退りをした僕の背中が壁に当たるころには、耐え忍んできた涙が一筋だけ流れ落ちる。彗星のように。
「シュン君……? いったいどうしたの?」
ミツキ……ごめんね。僕は————。
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