第21話 償い

映像には私の過去を聴衆の前で晒した男性が映し出されていた。その彼は怒りに満ちた表情で歩道を歩いている。


「いや!!なんでこの人が・・・・。」


私は映像を見るや否や動揺してしまった。裁判での出来事を思い返し、再び壊れてしまいそうになったその時、歩いている翔子さんを呼び止めた彼の言葉は私を混乱させた。


『ちょっと待ってくれ、若松弁護士!!!里村青葉を裁判に立たせない方がいい!!』


「え???」


それは裁判前の出来事のようだった。そして、その人から発せられた言葉は、私が想像もしていなかったものだった。


『春見弁護士・・。何ですか?藪から棒に。』


厄介な相手と出くわした・・という表情を隠す事のない翔子さんを気にすることなく、彼は話を続けた。その内容はさらに私を動揺させる内容だった。


『彼女はもう限界だ!これ以上彼女を追い詰めるな!!』


『それは、裁判に勝つ見込みが無いからそう仰っているのですか?』


『違う!!』


『私にはそうとしか聞こえませんが・・こちらには事件の証拠はたくさん有ります。負ける事はありません。』


『勝ち負けの問題じゃないんだ・・・頼む、訴えを取り下げてくれ。』


『それは出来ません。訴えるのは彼女の意志です。』


『その意志は本当に彼女の意志だったのか?お前が担ぎ上げたんじゃないのか??』


『いえ!!何てことを言うんですか!?私は彼女の訴える意志を確認しました。サインも有ります。』


『そうじゃない!!お前がそう仕向けたんじゃないのか??』


『話になりませんね。』


『おい!!待て!!!!』


話の途中で切り上げた翔子さんは、彼から逃れるように離れていった。


(なぜ??なぜ彼が私の本音を理解しているのだろうか??)


二人の会話を聞いて私は、ますます困惑していた。


映像が切り替わると、彼に誰かが私が自殺した事を告げた場面だった。その後、殴り込みのような勢いで、見覚えのある事務所に入ってきた彼は再び私の名前を叫んだ。


『だから何度も言っただろう!!なぜ・・なぜ彼女を・・里村青葉を裁判に立たせたんだ!!!!!』


そこは若松翔子さんの事務所だった。


『あ・・・春見さん・・・・。』


「え??翔子さん!?!?」


彼が詰め寄った相手は確かに若松翔子さんだったけど・・ソファーにもたれ掛かるように座っていた翔子さんは完全に生気を失っていた。あんなに強く正義の心で燃えていた人と同一人物とは思えないほど憔悴していた。


『彼女のメンタルはギリギリだった。何度もこれ以上彼女を追い詰めるなと言ったはずだろう。』


襟元を掴まれた翔子さんは唇をぶるぶる震わせ、絞り出すように声を出した。


『ならどうして、相手の弁護を引き受けたんですか??彼女を裁判で追い詰めたのは誰でもない・・あなたでしょう!?』


『そうだ!!私が追い詰めた!!それは間違いない事実だ。だが、私以外の者が弁護を行っても同じ結果になっていたはずだ!』


襟元を離され、ソファーに落ちるような形になった翔子さんは、両手を着いて顔を上げると不可思議な表情をしていた。


『それは・・・どういう意味ですか??』


『私の依頼人が既に彼女の過去を調べていた。』


『え?なら、弁護を降りれば良かったんじゃ?』


『出来なかった・・。いや、降りると言ってもそうはさせて貰えなかっただろう・・だが、誰かにやらせる位なら、自分で責任を持とう・・・とも思った。しかし、そこには自分が弁護士でいたいという弱さもあった事は否めない。』


『???』


『いや、言い訳ばかりだな・・・私の事はまぁいい・・。君は・・・今回の事件の事以外に彼女の過去の出来事をちゃんと調べたのか??証拠が揃っていたから、それだけで勝てると見込んだのか?』


『うぅ・・・。そうです。』


『君には同じ弁護士だった父親がいただろう??助言を求めなかったのか??』


『はい・・父は・・彼女と出会う2か月ほど前に脳梗塞で倒れて今は施設に入っています。意識はありますが、会話はほとんど出来ない状態なんです。』


『なっ!?』


『だから・・・だからぁ・・わたしが・・この事務所を・・ああああああああああ。』


泣き崩れる翔子さんを見て春見さんは肩を落として、ため息を吐くとポツリと呟いた。


『だから何件も事案を受けていたのか・・・それに裁判を急いだのもそのせいか??躍起になって・・それで視野が狭くなってしまっていたか・・・。』


・・・・・・


私はもう訳が分からなくなっていた。途切れ途切れの映像の中には、裁判前の彼の行動も多々映し出されていた。


そして映像の中で私は彼が初めて私を見かけた時から気にかけていてくれていた事や翔子さんの危うさに気づいた彼は先程のやり取り以外にも、何度も何度も翔子さんに取り下げるよう忠告していた事を初めて知った。さらに何とかこの裁判で私を傷つける事無く終わらせる方法は無いかと最後まで足掻いてくれていたようだった。


「なんで???どうして???」


追い詰められていた彼は最後まで迷っていたけど、他人に投げる事なくあの場に立っていた。そして、私に投げかける言葉と共に自分を切り刻むような心境のようだった。


私が発狂して裁判が閉廷したとき、彼の握りつぶした手の平から血が流れていた。漫画や映画でよく見る光景だったけど、本当にそんなになるまで握り締める人がいるとは思わなかった。


私は映像で初めて彼の名前が『春見 聡明』というのを知った。生前にその名前を聞いていたかもしれなかったけど、その時の私にとって相手の弁護士の名前なんてどうでもいい事だった。


だけど裁判の期間中、私を一番に考えてくれていたのは正義に燃える翔子さんでもなく、その正義の勢いに負けた私や父でもなく・・この人だった。


憔悴していた翔子さんを奮い立たせたのも彼だった。


『わたし・・・弁護士失格です・・わたしは弁護士を・・。』


『辞めるな!!・・・本当の意味で彼女を救えなかった俺たちは・・彼女に贖罪しなければならない!!』


『辞める以外にどうやって贖罪すればいいんですか??』


『愚か者どもを訴訟し、今度こそ真実を明らかにしなければ。』


『私には・・出来ません・・無理です・・。』


『お前の正義はそんなものだったのか??本当の悪は彼女の叔父やあの男や政治家の父親だろう??』


『そうです!!そうですけど・・・私にはもう・・。』


『分かった。なら私一人で行う。』


『え?春見さん・・ま、待ってください!!』


春見さんが事務所から立ち去ろうとすると、翔子さんはソファーから立ち上がって春見さんの腕を掴んだ。すると、振り返って再び翔子さんの胸倉を掴むと春見さんは悔しそうな顔をしていた。


『里村青葉は、あの男に犯された後、父親に向かって「また迷惑を掛けてしまった。」と言ってたらしいじゃないか!』


『・・・・はい・・・。』


『何故だ!何故そんな言葉をあの子が言わねばならないんだ!!あの子は何の迷惑もかけていないじゃないか!!!叔父の時だってそうだ、迷惑を掛けたのは彼女じゃない・・彼女を救えなかった両親と祖父母なんじゃないのか!?』


そう叫び、翔子さんの胸倉から手を離すと再び強く拳を握った。そんな春見さんの姿を見て、私はまた泣いてしまった。何故かは分からないけれど、映像に映った人の想いやその気持ちがそのままに胸に伝わってくるので、それが嘘では無いことが分かってしまう。


嘘では無い事が分かってしまうからこそ、今映し出されている春見さんの私を思いやる気持ちに私は涙を流さずにいられなかった。


『何故、愚かな者達があの子や被害にあった彼女達を蔑んで、その子達が苦しまなくてはならないんだ?』


『春見・・弁護士・・?』


『すまない・・・・昔助けた同級生の女性も、有りもしない噂を立てられ、「汚れている。」と蔑まれ、傷付いていたのを思い出してしまった・・・。しかし、それと同じように里村青葉も叔父との関係を知った同級生や近所の住人、世間の勝手な憶測や噂によって傷付いていた。手を差し伸べ助けるべき子供を罵り蔑んだんだ。』


『・・・・・。』


『何故、被害者が汚れているんだ??汚した方が余程穢れているんじゃないのか??人を蔑む方がよっぽど汚れているじゃないのか??何故、そんな愚かな者達によって彼女達が苦しまなきゃならないんだ!!!!!』


「あああ・・・。」


私は掌を合わせた手を口元に添えながら、床に座り込んでしまった。


『里村青葉は汚れていたか?お前もそう思っていたのか??』


『いえ!!そんな事は思っていません!!そんな事・・思う訳ないじゃないですか・・・。』


『そうか・・・。あの子はただ、か弱く純粋なだけだっただろう?弱みに付け込んだ叔父や自分の支配欲を満たすだけで襲ったあの男の方がよっぽど汚れているだろう!!どんな事をされたとしても、あの子は汚れてなんかいなかった!!!アイツらは悲しいほど弱く、綺麗だった彼女の心を殺したんだ!!!!!蔑まれるべきは・・・裁かれるべきは汚いアイツらや私やあの子を蔑んだ奴らの方だ!!




本当に私たちがすべき事は・・彼女の本音を聞き、理解し、寄り添う事だった筈なのに・・・私は・・・私は・・・。』


再び強く握り締めた春見さんの手から血が滲んでいた。それを見た私は床に突っ伏して嗚咽していた。


周囲の目に、どこか『この子は汚されてしまった。』というモノが潜んでいるように感じていた私だったけど・・私自身が私を『汚された汚い存在。』と思ってしまっていた。


だけど、この人はそうじゃなかった。『汚れていない。』本心でそう思ってくれていた。そして春見さんの言葉に、私に寄り添うその想いに、私の心を打たれてしまっていた。


運命の歯車が何故こういう廻り方をしてしまったのか・・・結果的に春見さんの証人質問が引き金で最終的に壊れてしまった私だったけど、映像に映る春見さんの私を見る目や言葉からは『私を救うには。』という想いしか感じられなかった。



『本当に裁かれなくてはいけない者たちを裁判にかけるぞ。』


『はい・・・・。』


気づくと翔子さんの目に力が戻っていた。


『よし!考えがある!!行くぞ。』


『どこへ??』


『まずは彼女の生まれ育った町に行く。』


『はい!』


翔子さんが愛用のバックを肩に掛けると、二人は事務所を飛び出して行った。


私は春見さんの想いと言葉に救われた。


不思議と彼らがこの後叔父やあの男性を裁判にかけたのか?そして勝利したのか??という事はあまり気にならなかった。


心を救って貰えた・・それだけで十分だった。


春見さんに裁判で私の過去を晒された事実は変わらなかったし、その事自体を許す事は出来なかったけど、春見さんの言葉で救われたこともまた事実だった。


「ありがとうございます。」


画面に映る春見さんに向かい頭を下げた。


しばらく礼をしてから頭を上げると部屋のドアからガチャッという音がして、それと同時にブツッと映像が途切れた。


私はドアノブに手を掛け部屋から外に出た。


久しぶりにスッキリとした気持ちになり、自然と笑顔がこぼれていた。




*****


春見聡明が部屋から出ると、待っていたように老婆が立っていた。


「ほお、ずいぶん良い顔になったじゃないか。」


老婆は聡明の顔を見ると、その表情に驚いた事を隠さなかった。


「ん???そう・・かな??」


「今のお前さんの魂には淀みが無いよ。随分と反省したようだね。」


「ああ、反省か・・。確かに、自分を省みたよ。」


聡明は長く息を吸い込み、大きな深呼吸をした。


「他人を愚かだと判断していた私自身が愚か者だったよ。」


「そうかい・・それが分かれば言う事はないよ。」


穏やかな顔をした聡明に、老婆が思い出したように語りかけた。


「そういや、里村青葉がいつかお前さんがここに来た時に、伝えて欲しい事あるって言ってたねぇ。まさかこんなに早く来るとは思ってもいなかっただろうけどね。」


「ん?私がここに来ることを彼女は分かっていたのか??」


「そりゃ、そうだろうさ。」


恍ける聡明に呆れたような顔をした老婆が指をパチンと鳴らすと、光の粒子がどこからともなく集まってきて彼女の姿を形取っていった。


聡明の目の前に、同じ白い上下の服を着た里村青葉が現れた。


『春見さん。あ、あの・・・怨んでしまってごめんなさい。あと、色々考えてくれてありがとうございました。』


神妙な表情をした彼女はペコッと一礼をした。


「そんな事はない・・・私こそ救えずにすまなかった。」




『私の弁護士さんが、春見さんだったら良かったのになぁ・・。』


顔を上げた彼女がそう言うと、今度は笑顔を見せた。


しばらくすると彼女は微笑んだまま光の粒子に戻って消えていった。聡明は散り散りになっていく光の粒を見ながら穏やかに微笑んでいた。


「あの子はどうなったんだ??」


「ああ、ここから出てすぐ生まれ変わったよ。」


「そうか・・一度見てみたかったな。」


「ん?お前さんは生まれ変わった彼女とあっちで一度会っているよ。」


「は!?」


驚いた聡明であったが、すぐに公園で転がってきたボールを拾ってあげた女の子の事を思い出した。



『ありあとう!』



なぜか頭を撫でずにはいられなかったその子が里村青葉の生まれ変わりだったようだ。


「そうか・・あの子か・・・彼女と会っていたのか・・・・。」


目を閉じ、感慨深げにそう話す聡明を老婆は黙って見つめていた。しばらくして聡明はパッと目を開くと明るい声で老婆に問いかけた。


「さて、この後はどこに行けば良いんだ??」


「着いてきな。」


老婆が歩き始めたので、聡明はその後ろを着いて行った。しばらくして大きな通路に出ると、聡明は老婆の隣を歩くようになった。


「すまないが、、今もう一つどうでもいい質問を思い出した。」


「は?何だい?」


面倒くさそうに答える老婆に笑いながら聡明は最後の質問をした。


「何故ここは、ほとんどの物が白で作られているんだ??」


「ん?罪を受け、己の行いを反省するのに色は必要あるのかい??」


当たり前のように言う老婆の答えに聡明は破顔した。


「ははっ!!確かに。」


大きい通路の突き当りに来ると、観音開きのように壁の一部に扉が現れ開き始めた。


扉の向こうから射し込む光が眩しく、先の様子は見えはしなかったが、聡明は臆することなくその光の中へ入って行った。

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