バス停

@scheme

バス停

季節はいつの間にか冬に変わっていて、かじかんだ手に息を吐きつつバスを待っていた。

どこへ行こうか、いまいちはっきりしないまま家を飛び出したけれど、それは私にとってはよくあることだった。

灰色の風が地球を揺らしている。それに巻き込まれるようにして、どこからか鈴の音が流れ着く。

今は師走。世間がクリスマスに煌めく頃合いだった。

辺りを見渡せば、常にどこかしら接触させながら歩く男女。

あるいは、馬鹿騒ぎするヒトの群れ。とにかくそんな連中ばかりだ。

そんな昨今の風潮にはほとほと嫌気がさしていたが、かといってその不満は肋骨の内に燻るばかりで形にならない。

つまるところ、私は日陰者だった。


ここではないどこかへ行きたい。

こんな私でも許してもらえる、どこかへ。

そんな願望が、おそらくはずっと昔から、私を支配していたような気がする。

そして、振り返ればこの性癖は私を苦しめ続けていた。

いつからか高校に通わなくなったのも、バイトをすぐにやめてしまうのも。

あるいは、故意に人間関係を断ち切ってしまうような、一種の自傷行為も繰り返した。

私は、自分のことが嫌いだった。


ふと気がつけば、雪が降っていた。

ろくなことのない世界を覆い隠すような、真っ白い雪。

それは徐々に勢いを強め、ついには何も見えなくなった。

うっかりすれば死んでしまいそうなほどに寒く、なぜだか目蓋が重たい。

このまま眠ってしまうのも、悪くないかも知れなかった。


いや、何かがおかしい。雪のことだけじゃない。

さっきまでは微かに、しかし確かに誰かの気配があった。

なのに今は、ぞっとするほどに静かだ。

何か、得体の知れない出来事が始まっている。そんな確信があった。

ここに、恐怖ばかりでなく歓びの感情があったことを記さなければならない。

ぬっと現れた影を前にして、それは最高潮に達した。


あまりの雪に、その姿は鮮明には見えなかった。

だけれども、三メートル近い図体と、あんまりに丸いそのフォルムは、人間と呼ぶには無理があった。

今、ぼんやりと光る双眸が、じっとこちらを見つめている。

私は焦点が定まらないまま、ただ熱い息を吐いている。

曖昧に揺れる私の視界は、ついに晴れた世界を見た。


影は無数にあった。澄んだ空気でなおも姿は曖昧だ。

光るように見えていた目は今や吸い込まれるほどに黒く、そして一斉に私を見ている。

大きさはまちまちで、しかし最も小さいものでさえ二メートルもある。

最も大きいものは雲を突き抜ける大きさで、遥かな遠くに立っている。

地面は目に痛いほど白く、太陽は南中している。

晴れた空。風はない。

私にはもはや歓びはなかった。一目散に逃げてしまいたかった。

気が狂いそうだった。奇妙な音が脳をねじる感覚があった。

瞬きと瞬きの間に街が見えて、その度に忘れる何かがあった。

逃げなければ、取り込まれてしまう。

だけど、体が動かない。


どこにも時計などないのに、秒針の音が聞こえる錯覚。

気がつけば異形に取り囲まれている。

そのうちの一人がゆっくりと私に近づき、腕のようなものを胸に突き刺す。

あるいは、私の腕が異形に突き刺さっているのだろうか。

どちらも同じだ。

引き抜かれた腕には何か透明なものが握られていた。



その時、不意に私は、どうやってこの場から逃げればいいかを理解した。

ぎゅっと目をつぶり、耳を塞ぎ、そしてそれ以外の何かをした。

もう一度目を開いた時、そこはちらちらと雪が降るバス停に戻っていた。

それから先のことは、もはや書き記すに値しない。

ただ、その後の人生において、私は決して満たされることがなかった。

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