102 救いの手

「あの時、私の手が届きさえいれば……」ベンチに座る那奈ななはあの日のように澄み切った空をぼんやりと見つめながらため息をついた。


 那奈は後悔していた。


 三日前、真理と登山に行った時の事だ。山も中腹に達した頃、二人はパンフレットで見た場所にたどり着いた。木々に囲まれた山道から抜けたその場所は壮大な山々の情景を見事に切り取っていた。眼前に広がる緑のパノラマに心身を休める二人。吸い込まれるように真理は柵に手をかけた。が、朽ちた柵は真理を支えることが出来なかった。咄嗟に手を伸ばす那奈。しかしその手は真理に届く事はなかった。



 那奈は顔を下げ自分の右手を見つめた。あの時空を切った私の右手。あの時、私の右手が間に合っていれば――那奈は後悔に口元を歪ませながら右手を強く、握った。


「那奈ー、おまたせぇ! ご飯食べに行こう」


 突如呼ばれた声に顔を上げる。そこには、屈託のない笑顔を見せる真理がいた。那奈は真理の顔に合わせ瞬時に笑顔を作った。



「いやあ、ほんとこの前の登山はびっくりしたわぁ。服が引っかかってなかったらそのまま死んでたわぁ。ほんと神様は私の味方なのねぇ。それにさぁ彼氏にめちゃくちゃ心配してもらったから結果オーライだわぁ」

 わざとらしく説明口調で真理がしゃべる。真理はニヤニヤした顔で那奈の顔を覗いた。

「ねぇ? 彼氏を取られたのがそんなに悔しいのぉ?」

 白い歯をこぼす真理を見て那奈は右手をぐっと握った。

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