075 人生設計

 宗太そうたは几帳面そのものだった。毎日朝六時半に起き、朝食は決まってこんがり焼いた食パンとターンオーバーした目玉焼き。食後のブラックコーヒーもかかさない。朝七時半に家を出て会社に向かい十九時半に家に着く。タイムカードは誤差十分以内。予定を崩したくないので飲み会や予定外の残業は絶対にしない。予定通りの毎日が宗太にとっての幸せであった。


 そんな三平二満さんぺいじまんな日々に変化が起きた。彼女が出来たのだ。


 彼女の名前は柏野亜希沙かしわのあきさ。会社の同僚であり、宗太の二つ下の二十三歳だ。きっかけは彼女からで……毎日同じ電車に乗る同僚の事が少し気になって話しかけてみた、ただそれだけだった。二人の会話は特に弾むこともなかったがお互い波長が合うのは感じていた。趣味も遊びもしない宗太だったが、それは亜希沙にも言える事である。何よりも几帳面な彼女の性格が宗太にマッチし、気付けば宗太の方から交際を申し込んでいた。

 彼女というものが初めて出来た宗太に少しの変化が訪れた。今まで宗太の立ててきた予定や計画というものは全て目先のものだけだった。大きな野望もなければ金のかかる趣味もないのでそんな予定で宗太の人生は事足りていたからだ。しかし、宗太も人間の子である。愛する人との幸せな未来を想像しないはずはない。結婚はいつ頃にしようか、子供は何人、年子は大変だ、その前に係長までには昇進したいな――宗太は綿密な人生計画をノートにしたためる事を始めたのだ。


 しかし、二人の関係は一ヶ月程で破局を迎える事になる。二人は几帳面であるが故の頑固者なのである。普通の人間からすれば『そんな些末な事』と笑い飛ばすようなズレが二人にとっては耐えがたいズレとなり二人の間に溝を掘っていったのだ。そこに決定的な事件が起こる。亜希沙が宗太のコーヒー用のコップを割ってしまったのだ。毎朝コーヒーを飲む為に使っていたコップである。それが割れてしまったという事は宗太の予定通りの毎日が崩れてしまったことを意味していた。宗太は激怒し、亜希沙を思い切り殴りつけてしまった。亜希沙はその拍子にテーブルの角へ頭をぶつけてしまい、リビングに倒れこんだ。気付けば亜希沙の周りには赤い水たまりがゆっくりと広がっていた。


 宗太は焦った。幸せな未来を思い描いていた相手が死んでしまったのだ。それに……死体を処理する必要がある。宗太の計画は大幅に狂ってしまったのだ。宗太は慌てて計画ノートを取り出し、細かに決められた人生設計を全て変更していった。



「う……」


 三十分程だろうか。ちょうど計画ノートを書き終えた頃、亜希沙のか細いうめき声が聞こえた。実は亜希沙は生きていたのだ。その事に気付き、宗太は亜希沙の上半身を起こし上げ強く抱きしめた。恐らく頭をぶつけた衝撃で気を失っていただけだったんだろう。亜希沙の意識は徐々に戻りつつあった。宗太は抱きしめるのをやめ、両肩を掴むと亜希沙の目をじいと見つめた。彼の目には溢れんばかりの涙が溜まっている。宗太はそっと口を開く。


「……二度も予定を狂わせるな」亜希沙の頭がめり込んだ。

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