番外編 殺伐感情トライアングル 『静謐』
「今日から皆さんと一緒にお勉強することになったオリヴィエさんです。仲良くしてあげて下さいね」
「よろしくお願いします」
黒百合女学院に転校生がやって来た。
オリーブ色の髪をした美少女、オリヴィエ。純粋無垢な笑顔を振り撒きらも、その目はクラスメイト達を静かに値踏みしている。
そのうちの一人、ワトソニアだけはオリヴィエの正体を知っていた。
彼女が数奇な殺伐劇に巻き込まれた末、一度命を落としていること。
彼女の恋人である理科教師のパラケルススが数年の時を経て、天使薬を参考に作り上げた秘薬「賢者の涙」を開発し、彼女を蘇生させたこと。
歳を誤魔化し、同姓同名の別人として学院に戻ってきたこと……。
(オリヴィエ、可愛いなぁ。パラケルススのおかげで同じクラスになれたのは癪だけど、普通に嬉しい)
ワトソニアはオリヴィエの愛らしさに見惚れ、ニヤけた。
彼女はオリヴィエに叶わぬ恋をしていた。何度か告白したことがあり、オリヴィエも「なら、うち来る?」と誘ってきたが、彼女が自分に本気ではないことは分かっていた。
オリヴィエの心は、パラケルススの手の中にある。ワトソニアはそれをどうにかして、奪い取りたかった。
「オリヴィエさんの席は、あそこです。ワトソニアさんの隣の」
「えぇ、知ってます。ご丁寧にどうも」
オリヴィエは担任に微笑み、軽く会釈すると、あらかじめパラケルススが手配しておいた席へゆっくりと歩いていった。
その間、目があった生徒一人一人に微笑みかけ、彼女達の心を奪っていった。突然現れた蠱惑的な美少女に、教室中が釘付けになっていた。生徒はもちろん、担任までもが、ぽーっと頬を赤らめていた。
「で……では、授業を始めます。教科書を開いて下さい……」
担任はオリヴィエが席についたのを確認すると、夢心地のまま授業を始めた。
ワトソニアは引き出しの中から教科書とノート、筆記用具を取り出し、机の上に置く。するとオリヴィエが机を横につけてきた。
「教科書、まだないの。見せてくれる?」
「う、うん」
急に距離が近くなり、ワトソニアはドギマギする。周囲からの視線よりも、自分の胸の方が痛かった。
静謐だった教室が、オリヴィエによってかき乱されようとしていた。
昼休みの理科準備室は、他の教室とは違い、静謐な時が流れていた。
パラケルススもオリヴィエもいない。
「……よし、誰もいない」
ワトソニアは無人なのを確認すると、初めて忍び込んだ時のようにこっそりと侵入した。
そして、あの時は触れることをはばかれたある薬瓶を手に取った。
「それはやめておいた方がいい」
瞬間、背後から声が聞こえた。
振り返ると、パラケルススが険しい顔で、準備室のドアの前に立っていた。
「君がオリヴィエの気を引きたいのは分かる。だが、その薬はオススメしない。君も知っているだろう? それがどんな薬なのか」
ワトソニアが持っていたのは、天使薬の小瓶だった。過去の度重なる使用により、残りは一回分しかなかった。
「……えぇ。パラケルスス先生直々に、聞かせて頂きましたから」
でも、とワトソニアは静かに涙を浮かべ、訴えた。
「こうするしか、彼女を振り向かせられないんです。自らモルモットとなって、体を差し出すしか……でないと、貴方から彼女は奪えない」
ワトソニアは天使薬を飲むことで、オリヴィエの気を引こうとしていた。
と言うのも、オリヴィエはかつて自ら主導で行なった天使薬の臨床実験について、たびたびワトソニアに語っていた。その時のオリヴィエの顔は生き生きとし、話すたびに「またあんな実験がしたい」と願っていた。
故に、その願いを叶えることでオリヴィエの心を手中に収めようとしていた。たとえ自らの命を投げ打ってでも、たとえ一瞬でもいいから、パラケルススではなく自分を見て欲しかった。
パラケルススはワトソニアの考えを悟りながらも、あるいは悟ったこそか、彼女を止めようとした。
「オリヴィエは君の手に負える人間じゃないよ。あの子の恋人としても、君の教師としても忠告する。今すぐ諦めた方がいい。でないと、彼女のいいオモチャにされて、捨てられるぞ」
「……先生はオリヴィエにずっと見られていたから、そう思えるんですよ」
ワトソニアは天使薬を大切に握ったまま、窓から飛び出した。器用に窓枠を伝い、地面に下りる。
そのままオリヴィエのもとへ走っていった。
「……哀れだな」
パラケルススは窓からワトソニアの後ろ姿を見送った。
理科準備室は再び、静謐に包まれた。
オリヴィエは中庭のベンチで一人、佇んでいた。
ちょうど木陰になっており、人目につかない。校舎の喧騒から離れ、葉ずれの音だけが静かに聞こえていた。
「オリヴィエ」
「あら、ワトソニア。どうしたの?」
ワトソニアはオリヴィエの背後に立っていた。手には天使薬が握られている。
オリヴィエはクラスメイト達に向けるのと同じ笑みをワトソニアにも向け、尋ねた。それが、ワトソニアには何よりも苦しかった。
「ねぇ、オリヴィエ。また天使薬で臨床実験がしたいって言ってたよね?」
「うん」
オリヴィエは頷く。
するとワトソニアはニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃあ……今からしようか?」
ワトソニアは握っていた天使薬の瓶のフタを開け、残りを全て口に含んだ。甘い、砂糖水のような味がした。
そして、そのまま飲み込む……のではなく、口移しで無理矢理オリヴィエに飲ませた。
「ん、ん?!」
オリヴィエは驚き、目を見張る。吐き出す前に、ワトソニアの唾液ごと飲み込んでしまった。
「ウッ、ゲホゲホッ!」
咄嗟にワトソニアを突き飛ばす。指を喉の奥へ入れ、飲んだ液体を吐き出そうとしたが上手く吐けず、ただただ荒く呼吸していた。
その間、ワトソニアは静かにオリヴィエを見下ろし、悲しげに見守っていた。
「……私もね、やってみたくなったの。天使薬による臨床実験。せっかくやるなら、貴方を実験体に使いたくて……たとえ私が殺されても、私が貴方を殺しても、その一瞬だけは貴方は私を見てくれるでしょう?」
「……」
オリヴィエは険しい眼差しで、ワトソニアを睨む。
しかしふいに、「プッ」と吹き出した。
「あははははははッ!」
堪えていたものを吐き出すかのように、声を上げて笑う。
ワトソニアは最初、「天使薬を飲まされたショックで気が触れたのか」と思った。
だが、一向に変化のないオリヴィエの体を見るうちに、嫌な予感がしてきた。自分が持ってきた小瓶の中身は、本当に天使薬だったのだろうか、と。
その予感は、的中してしまった。
「馬鹿な子! 天使薬の中身が砂糖水にすり替えられているとも知らずに、使うなんて!」
「さ、砂糖水?!」
ワトソニアは頭の中が真っ白になった。
小瓶に入っていた天使薬と思われた液体は、無色透明だった。今まで見せられてきた天使薬と同じものだ。あれも偽物だったとすると、ワトソニアは最初からパラケルススとオリヴィエに信用されていなかったということになる。
驚きを隠せないワトソニアに、オリヴィエはニヤニヤと笑いながら頷いた。
「えぇ、そうよ。本物の天使薬は貴方なんかの手には届かない場所に保管されているの。あんな危険なもの、二度と他人の手には渡さないわ」
オリヴィエは自らの死の瞬間を思い出し、顔をしかめた。
「さて……私とパラケルスス先生の仲を引き裂こうなんて悪いことを考える人形には、お仕置きしなくちゃね」
言うや否や、オリヴィエは懐から蝶の模様がついたバタフライナイフを取り出した。一点の曇りもなく磨き抜かれ、日光を反射して輝いている。
それをどう使うつもりなのか、ワトソニアは考えなくても分かった。
「ひ、ひぃっ!」
反射的に踵を返し、逃げ出す。
しかしすぐにオリヴィエに髪の毛をつかまれ、引き戻された。
「あら、逃げてはダメよ。本物を見たことがないとはいえ、貴方は色んなことを知り過ぎてしまった。これ以上は生かしておけないわ」
そのまま腕で首を、手で口を塞がれる。ワトソニアがどんなに喚こうが、彼女の声は一切外へ漏れなかった。
「私ね、ただの人間をただ殺したことってないの。大抵は実験で殺したり、もう人ではなくなったのを殺したり……だから、普通の人間を普通に殺すってどんな気分なのか、とても気になっていたのよ」
「……! ……!」
「まずは声帯を切ってしまおうかしら。誰かに見つかると面倒だから、静かにしてもらわなくちゃ」
オリヴィエはバタフライナイフの切先をワトソニアの首へ当てると、最期に告げた。
「私を生き返らせる手伝いをしてくれて、ありがとう。今度は貴方が眠る番よ。これでようやく、パラケルスス先生と二人きりになれるわ。おやすみなさい」
その目はワトソニアではなく、校舎の窓からこちらの様子をうかがっているパラケルススへと向けられていた。
ワトソニアは殺される寸前にも関わらず、相変わらず愛らしいオリヴィエの横顔にため息をついた。
(……貴方は最期まで、私だけを見てはくれないのね)
次の瞬間、オリヴィエはバタフライナイフでワトソニアの首を切り裂いた。
昼休みの終わりを報せるチャイムが、学院内に鳴り響く。外にいた生徒達は急いで校舎へと戻り、次の授業に備えた。
中庭のベンチには、もう誰もいない。オリヴィエも、ワトソニアの遺体も、地面に染みついたおびただしい量の血も、綺麗に消え去っていた。
惨劇を終えた中庭には葉ずれの音と共に、静謐な時が流れていた。
〈番外編 殺伐感情トライアングル〉
ワトソニア・ワーグナー:外傷により死亡
(END)
黒百合女学院 緋色 刹那 @kodiacbear
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます