第8章 理科学倶楽部オールロスト 第3話『再会』

 リジーが牢獄で絶望していた頃、同じ刑務所に収監されていたパラケルススのもとへ見知った顔が訪ねてきた。

 ところどころに汚れが目立つ白衣を纏った若い女性で、みずみずしい薔薇のような真っ赤な髪が印象的だった。

「お久しぶりですね、先生。私のこと覚えてらっしゃいます?」

「……あぁ。覚えているよ、ローゼリア」

 思わぬ再会に、パラケルススは眉をひそめる。

 ローゼリアはかつて黒百合女学院にかよっていたパラケルススの教え子で、理科学倶楽部の一員であった。卒業後は医療科学系の研究所へ就職したそうだが、具体的にどのような研究をしているのかは不明瞭だった。

「なぜ君がここに? わざわざ面会しに来たわけではないのだろう?」

「大人しく従って下さるのなら、面会で済みますわ」

 そう言うとローゼリアはポケットから小瓶を取り出し、パラケルススに見せた。

 見覚えのある小瓶に、パラケルススの表情が険しくなる。それはパラケルススが自宅に隠し持っていた天使薬だった。

「……なぜそれを持っている?」

「警察の方から頼まれたんです。どういう薬なのか調べてくれって」

 ローゼリアは天使薬の小瓶を掲げ、ウットリと見つめた。

「面白い薬ですね、これ。生きた者に投与すると死ぬのに、死んだ者に投与すると低確率で蘇生するんですよ。どちらも狂気的な人格になってしまいますが、調整すれば誰にでも使える薬になるかもしれませんね」

「……それは、そんな夢の薬ではない。想い人への執着から生まれた、化け物の残りカスだ」

「残りカスだろうがなんだろうが、利用できるものは利用しますよ」

 ローゼリアは柵の隙間から手を伸ばすと、パラケルススの頬を艶めかしく触れた。

「他にもこういった薬を隠し持っていらっしゃるなら、渡して下さい。代わりに、ここから出してあげますから」

「断る」

 パラケルススはローゼリアの手首をつかみ、引き寄せる。

 ローゼリアの半身が柵に押し付けられ、皮膚に食い込んだ。ローゼリアは痛みに顔を歪めながらも、交渉をやめなかった。

「い、一刻も早くここから脱出しなければ、先生の大事な生徒達が皆殺しにされますよ?!」

「誰に? あの子達はそう簡単に殺されはしないわ」

 現在の理科学倶楽部の状況はオリヴィエからの手紙で知っている。

 ラミロア、ルイーゼ、レイチェル……いずれもパラケルススが最も信頼できる愛弟子、オリヴィエが選んだ生徒だ。彼女達ならば殺されるどころか、相手を殺しかねないだろう。

 するとローゼリアは「あははっ!」と笑った。

「ご存知ないの? そのうちの二人が既に殺されているんですよ。先生の大事なものを奪うことで復讐を成し遂げようとしている、憐れな亡霊によって」

「亡霊?」

「覚えていらっしゃらない? ユリアとヤナという女性徒達のこと。先生が黒百合女学院の生徒だった頃に、"殺人芸術家"として殺害した被害者達せすよ。二人とも花で飾り立てて、噴水に展示したじゃないですか。亡霊はその二人の同級生だったヨランダという女生徒の姪だそうです。健気ですよねぇ〜、大好きな伯母の恨みを晴らさんとしているなんて!」

「……あの二人を殺したのは、私じゃない」

 パラケルススは当時のことを思い出し、目を伏せた。

「噴水に行ったら、死体が放置されていたんだ。特に、一体目の損傷は酷かった。よほど恨みを持たれていたらしい。だから、傷が見えないように飾り立てたんだ。あんな状態の死体を放置するなんて、耐えられなかった」

「でも、その姪の方は貴方が殺したんだと思っているみたいですよ? 私のところへ先生について尋ねて来られました」

 なので、とローゼリアはニヤリと笑った。

「親切に教えて差し上げました。"パラケルスス先生は黒百合女学院の教師で、今は刑務所にいる。先生は理科学倶楽部の顧問で、そこに所属している生徒……中でもオリヴィエという生徒を気に入っている"とね。その方は今、黒百合女学院の保健医をされていますわ」

「なんだと……!」

 初めて、パラケルススの表情から焦りの色が見えた。

 彼女らしくない表情に、ローゼリアは「いいですね、その顔」と恍惚とした笑みを浮かべた。

「止めに行きたいなら、出してあげますよ。先程私が提示した条件を飲んで下さるのならね」

「……っ」

 なぜオリヴィエが手紙に本当のことを書かなかったのか、理由は分かっていた。

 彼女はパラケルススを心配させたくなかったのだ。その気持ちはありがたかったが、今回はそれが完全に裏目に出てしまった。

(もっと早く分かっていたら、さっさと脱獄したというのに!)

 パラケルススはローゼリアの提案に、頭を悩ませる。

 ローゼリアを一言で言い表すなら、「今世紀最悪のマッドサイエンティスト」だろう。理科学倶楽部に所属していた頃から、非人道的かつ非倫理的な言動が目立つ人間だった。学園へ来る前から「実験」「解剖」と称した猟奇的な殺人を繰り返し、全て家の権力で揉み消してきた。理科学倶楽部に入ってからはパラケルススによって管理されたものの、彼女から知識を得た分、より邪悪さを増した。

 パラケルススや理科学倶楽部の生徒達も薬をろくなことに使ってこなかったが、ローゼリアはそれの遥か上を行く人間である。隠し持っている薬を全て渡せば、何に使われるか分かったものではない。

「ほらほら、先生ぇ〜。早くしないと大事な大事な生徒達が惨たらしく殺されちゃいますよぉ〜?」


 次の瞬間、ローゼリアが全身に黒い羽根をまとった何かに拐われた。鋭い牙でのどを食い破られ、声にならない悲鳴を上げながら姿を消す。

 パラケルススが柵の隙間から覗き見ると、ローゼリアは通路の突き当たりで黒い羽根の何かに体を貪り食われていた。

「先生、助けて! 先生ぇ!」

 ローゼリアはパラケルススに助けを求め、泣き叫ぶ。毒や拳銃など、対抗手段はいくらでも持ち合わせていたが、既に両腕を食い千切られ、使い物にならなくなっていた。

 やがてローゼリアは無言になり、彼女がいた場所には真っ赤な血溜まりだけが残された。

「……」

 黒い羽根に覆われた化け物は獲物を食い尽くすと立ち上がり、パラケルススの方を振り返った。

 パラケルススと同じ囚人らしく、血で真っ赤に染まった囚人服を着ていた。小柄で、顔立ちからして十代前半から後半と思われる。背中には囚人服を突き破り、大きな翼が生えていた。

 そして彼女もまた、パラケルススにとって見覚えのある顔だった。

「クララ?」

 思わぬ再会に、パラケルススは驚いた。パラケルススは逮捕されるまでクララのクラスで理科を教えており、彼女とも顔見知りだった。

 クララはカナリアとキャロラインを殺害したとして、パラケルススと同じ刑務所に収容されていた。しかしながら、彼女の牢屋はパラケルススがいる場所とは別の棟にあり、所内で会うことは今まで一度もなかった。

(ローゼリア……既に投与実験を行なっていたのか。あるいは、天使薬の効能をよく知らない無能な研究者の仕業か?)

 変わり果てたクララの姿を目の当たりにし、パラケルススはかつての愛弟子が犯した罪の重さを痛感した。忌々しいとばかりに、唇を噛む。

 天使薬を投与されたことで蘇生した者は、簡単には死なない。実際、カナリアは瀕死になるまで全身を殴られても、血を抜かれても死ななかった。むしろ、より凶暴性を増し、人を襲った。このままクララを逃せば、再び悲劇は繰り返されるだろう。

(……まぁ、私には関係ないがな。クララに天使薬を投与したのも、クララの脱走を許したのも、全てここの職員の責任だ)

 クララはパラケルススに気づくと、翼を羽ばたかせ、彼女の牢の前に降り立った。

 パラケルススは柵から距離を取り、後ずさる。クララが見境なく人間を襲っているのなら、こちらに牙を向けるとも限らない。

 クララはパラケルススを食わんと、体を檻に叩きつけ、壊そうとした。天使薬の副作用か、顔見知り程度のパラケルススのことなど、完全に忘れてしまったらしい。

 彼女の目は虚ろで、生気がない。青ざめた唇を震わせ、うわごとのように嘆いていた。

「こんなはずじゃなかったのに……私とキャロラインは、これから幸せになるはずだったのに。私はキャロラインを殺しちゃいない……誰かが私を嵌めたのよ。警察に通報した匿名の誰か……そいつが、私とキャロラインを引き裂いたのよ。ねぇ、貴方知らない? 私を陥れた人が誰なのか」

「……私だ」

 パラケルススは素直に答えた。途端に、クララの動きがぴたりと止まる。

 淀んだ青い瞳をぎょろっとパラケルススに向け、凝視した。

「貴方が、私を?」

「正しくは私の指示を受けた生徒が、君を嵌めた。カナリアを化け物にしたのも、彼女だ。恨むなら関係ない一般人ではなく、我々理科学倶楽部を恨むといい」

 情けではない。これ以上、クララによる被害が広まれば、天使薬の存在が明るみに出てしまう。

 最悪の事態を阻止するためにも、パラケルススはクララの注意を自らに引きつけようとしていた。

「理科学、倶楽部……」

 しかしパラケルススの目論見とは異なり、クララは檻から背を向け、飛び立っていってしまった。

 コンクリートの天井を破壊し、刑務所から去っていく。おそらく、怨敵である理科学倶楽部がいる黒百合女学院へ向かったのだろう。

「……最悪の再会だったな。急いで戻らねば」

 パラケルススは歪んだ柵の隙間から脱出し、通路へ出た。クララの襲撃の影響か、刑務所内は妙に静かで、人がいない。

 その隙に、パラケルススは刑務所の裏から堂々と脱獄した。ローゼリアに押収された天使薬を探そうかとも思ったが、それよりもオリヴィエの安否が心配であったし、クララの他にも投与された検体がいるなら、それらを処分するのに時間がかかってしまう。ならばいっそ、ローゼリアが天使薬を開発したことにして、全ての責任を彼女に押しつけようと考えた。

 今のパラケルススにとって、久方ぶりに再会した教え子よりも、待たせている愛弟子の命の方が大事だった。

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