第4章 聖女倶楽部エンジェルホーリィ 第5話『手紙』

 聖女倶楽部の証である黒百合のロザリオをつけている生徒が、つけていない生徒を上回った頃、トパーズの下駄箱に一通の手紙が届けられた。パラケルススからの指令だった。

『君に聖女倶楽部への潜入調査を頼みたい。彼女達の影響は絶大であり、理科学倶楽部の中にも入信を希望する者もいる。くれぐれも我々の存在が向こうに露見しないよう、気をつけて』

「……聖女倶楽部、か」

 トパーズは焼却炉に手紙を放り、吐き捨てるように言った。

「反吐が出る。痴女倶楽部の間違いだろう?」


『ママは愛に生きることにしました。トパーズもパパと仲良くね』

 そう手紙を残し、トパーズの母親は愛人の女と共に家を出て行った。

 やがてトパーズの父親は再婚したが、新しい母親はことあるごとにトパーズをいびり、屋敷から追い出そうとした。時にはトパーズの実母を語って手紙を出し、ひと気のない場所へ誘き寄せて殺そうとしたこともあった。

 侍女の多くは新しい母親に逆らおうとせず、彼女のやることを見て見ぬふりをしていた。中にはトパーズに嫉妬し、自ら手を下す者もいた。

 唯一、トパーズの二つ年上のメイドだけは優しく接してくれたが、彼女は夜ごとトパーズの寝室に忍び込み、眠っているトパーズの体に触っていた。

『私、お嬢様のことを心からお慕い申しております。もしお嬢様も私と同じ気持ちなら、どうか共にお屋敷を出て、二人きりで暮らしませんか?』

 メイドが辞めさせられた後、枕の下に残されていた恋文を見つけた際には、あまりの気持ち悪さにその場で吐いた。恋文はすぐに捨て、部屋も変えた。

 女によって人生を狂わされ続けたトパーズは、いつしか女を嫌うようになった。そうとは知らない父親はトパーズの将来を考え、由緒正しい婦女が多く通う黒百合女学院への入学を勝手に決めた。

 入学して以降のトパーズはなんとか退学しようと悪事を繰り返し、実際何度か停学を食らった。

 あと一回停学を受けたら退学、というところまで来たある日、パラケルススと出会った。

「私の手伝いをすれば、授業を受けずとも単位をあげよう。卒業後の進路も、君の望むものを提供する」

 パラケルススはトパーズが今まで出会ってきた女達とは根本的に違った。

 自らを飾り立て、他人を蹴落とし、嘲笑う女達とは、別の生き物のようだった。

「へぇ? そりゃ、好都合だな」

 トパーズはパラケルススに興味を持ち、理科学倶楽部の一員として彼女を手伝うようになった。

 パラケルススからの指令は毎回手紙で届けられる。

 おかげで、女と同じくらい苦手だった、「女からの手紙」も克服しつつあった。


 放課後、トパーズは指令通り、教会へ向かった。そこには見知ったオリーブ色の髪の女子生徒がいた。

「……オリヴィエ。何でお前がここに」

「あんたのヘルプよ。パラケルスス先生から、教会の前で控えているように言われたの。女を拒絶するあんたならきっと大丈夫だろうけど、もしものことがあったら、なんとかしてするようにって」

 オリヴィエは少し棘のある言い方で、答える。大概の女子に対して好意を抱く彼女にしては、珍しい対応だった。

 トパーズも「嫌なら来なきゃいいのに」と睨み、教会へ入っていく。

 手紙と同封されていた黒百合のロザリオは、事前に首にかけておいたため、すんなり中へ入れた。

「……さようなら、トパーズ。無事に戻って来られるよう、ここから祈ってるわ」

 その後ろ姿を、オリヴィエは冷たく見送っていた。


 教会には大勢の信者達がいた。ミサが始まるのを今か今かと待っている。

 皆、大人しく長椅子に座り、静かに談笑しており、別段おかしなところは何もなかった。

「初めての方ですね? どうぞ、懺悔室へ」

 トパーズは入口に立っていた信者に誘導され、懺悔室へ入った。

 ミサが始まる前に信者達から情報を聞き出したかったが、「さっさと懺悔とやらを終わらせればいい」と割り切った。

 懺悔室に入って早々、柵の向こうのシスターはトパーズにこう言った。

「貴方は理科学倶楽部の方ですね?」

「なっ?! 何で知ってんだよ!」

 トパーズは動揺し、椅子から立ち上がる。

 シスターは「私の信者達の情報網を甘く見ないでくれます?」と笑った。

「ハイネに伝えておいて。私はずっと待ってるから、いつでも殺されに来て頂戴、って」

「誰だよ、そいつ」

「パラケルスス先生? に言えば分かるわ。まぁ、無事にここから帰れるかどうかはわからないけど」

 次の瞬間、懺悔室のドアが外から勢いよく開け放たれ、修道服に着変えた信者達がなだれ込んできた。

「ひぃッ?!」

 トパーズは反射的に部屋の隅へと退避する。

 しかし信者達は次から次へとトパーズの元へ押し寄せ、興奮した様子で彼女の制服を引きちぎった。

「貴方が今夜の生贄ね!」

「なんて美しい髪! まるで夕焼けのようなオレンジだわ」

「この子にも私達の制服を着せてあげましょうよ。きっと似合うと思うわ」

 トパーズは女の波に飲まれ、好き放題に触られる。

 無数に向けられる高揚した笑みと、否応なしに伸びてくる手は、トパーズのトラウマを抉るには充分だった。

「いやぁぁっ! お父様! パラケルスス先生! 誰かぁぁっ!」

 トパーズはあらん限りの声を上げて泣き叫び、助けを求める。

 その哀れな少女の姿を、シスターは柵の隙間から覗き見ながら微笑んでいた。

「貴方に快楽は与えてあげないわ。苦しんで、苦しんで、最後には壊れてしまいなさい。その方がハイネ……は苦しんでくれるはずだから」


 日が昇り、信者達が立ち去った後、オリヴィエはトパーズが一向に出て来ないのを不審に思い、教会へ足を踏み入れた。

 嗅ぎ慣れた異臭が漂う中、バージンロードの中央に、ボロ雑巾のようになったトパーズが仰向けで倒れていた。

 髪は乱れ、体のあちこちに血が滲み、アザが出来ている。

 制服はビリビリに破かれ、代わりに修道服を着せられている。修道服は簡単には脱げないよう、皮膚に縫いつけられていた。

「あらまぁ、なかなかいい格好になったじゃない」

 オリヴィエは半笑いでトパーズに近づき、わざと怪我を蹴りつける。

 トパーズは痛みを感じていないのか、黙ったまま虚ろな目で天井を見つめていた。

「で? 何か分かったことは?」

「……た」

「た?」

 トパーズはオリヴィエに手を伸ばし、訴えた。

「助けて……ここから出して……パラケルスス先生に会わせて……」

「断るわ」

 オリヴィエはトパーズを冷たく見下ろし、即答した。

「私、あんたのことが大嫌いなの。女性恐怖症だかなんだか知らないけど、女の子同士で付き合ってる子達を無理矢理別れさせたり、女の子に気のある子をいじめたり、散々好き放題してくれたじゃない! いい気味だわ」

 でも、とオリヴィエはニヤリと笑みを浮かべると、トパーズの顔を思い切り踏みつけた。

「私のペットになるなら、ここから出してあげる。どう?」

「助けて……ここから出して……パラケルスス先生に会わせて……」

 トパーズは先程と同じ文句を繰り返す。彼女にはもはや、物事を判断することは出来なかった。

 オリヴィエもそれを承知の上で、「決まりね」とトパーズの意思に関係なく、彼女をペットにすると決めた。

「それじゃあ、私の家に帰りましょうね。他のペットの子と仲良くなれるといいけど」

 オリヴィエはトパーズの足を引き、教会の外へ連れ出す。

 トパーズは最後まで抵抗することなく、バージンロードの上を引きづられながら教会を後にした。

 二人が去った後、シスターは祭壇の下から顔を出し、目を細めた。

「あんな面白い子もいるのね。是非、聖女倶楽部に入ってもらいたいわ」


 後日、パラケルススの下駄箱にオリヴィエから報告書が届いた。

『聖女倶楽部は想像してたより、遥かに怖ぁい場所でした! ミサと称して、他人には言えないあんなことやこんなことまでしちゃったり、シスターという謎の女性を崇拝したり! 現場の写真も同封しましたので、是非ご覧になって下さい。なお、トパーズは今回のミッションで廃人になってしまったので、私の屋敷でさせることになりました。彼女からも手紙を預かっているので、良ければ読んでみて下さい。研究資料くらいにはなるんじゃないでしょうか?』

「手紙……」

 パラケルススは封筒の中に入っていたトパーズからの手紙に目を通す。

 そこには赤色のインクで、こう書き殴られていた。

『助けて好きここから出して好きパラケルスス先生に会いたい好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き』

 明らかに気が狂っている文章だった。事情を知らなければ、イタズラだと思うだろう。

 それがトパーズの人生で最初で最後の、ラブレターだった。


 パラケルススはトパーズからの手紙には特に反応を見せることなく、続けてオリヴィエが撮影した写真を確認した。

 教会の窓やドアの隙間から撮られており、望遠レンズを使っているおかげで、遠くからでもよく撮れている。

 異常な行動を見せる信者達、枚数を重ねるごとに狂っていくトパーズ……聖女倶楽部の実態を証明するには十分過ぎるほどの証拠だったが、その中でパラケルススが目を止めたのは、たった一枚だった。

「ホーリィ……」

 パラケルススは憎悪と悲しみを混ぜ合わせたような複雑な表情を浮かべ、写真を撫でる。

 それはシスターが懺悔室から出て来た瞬間を偶然、捉えた写真だった。

 写真の中のシスターは、パラケルススに向かって穏やかに微笑んでいた。

「……最悪の手紙だよ、ホーリィ。まさか、君が復活したことを知るなんて」

 パラケルススは手紙と写真を封筒に戻し、ポケットへ押し込んだ。

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