第4章 聖女倶楽部エンジェルホーリィ 第2話『月』
「んーっ! 全っ然、抜けない!」
「頑張って〜」
ターニャは教会の地下に閉じ込められていた修道服の女、シスターと一夜を共にした翌朝、彼女の手足を貫いている杭を抜こうとしていた。
「シスターを自由にしたい」という気持ちはもちろんあったが、それ以上に「シスターが自由になれば、もっといいことが出来る」と期待していた。
しかし杭は大きな鉄の塊で出来ており、ターニャ一人の力では重くて抜けなかった。
「シスター、ごめんなさい。今夜、また来ます。今度は人を連れて来ますから」
「えぇ、待ってるわ。授業、頑張ってね」
ターニャは一旦諦め、教会を出て行った。
シスターは笑顔でターニャを見送り、壁にかかった時計を見た。
「あと十二時間で、私は自由になれる……楽しみだわ。月を見るなんて、何年振りかしら」
放課後、ターニャは帰宅しようとしていた友人のチェルシーに声をかけた。
「チェルシー、今から一緒に教会に来てくれない?」
「えっ、今から?」
チェルシーは怯えた様子で、首を振った。
「い、嫌よ! ターニャ、知らないの? 夜の教会に近づくと災いが降りかかるのよ?!」
「そんなの迷信よ。だって昨日の夜、教会に行ってきたけど、そんな目に遭わなかったもの。むしろ、その逆。とっても幸せな一夜だったわ」
ターニャは昨夜の出来事を思い出し、恍惚とした。
「知ってた? 教会の地下には天使様がいらっしゃるのよ。とっても美しくて、素敵な方なの。チェルシーも一目見たら、きっと恋に落ちてしまうわ」
「こ、恋? ターニャ、貴方どうしてしまったの? 恋愛なんて興味ないって言ってたじゃない」
チェルシーは友人の心変わりに戸惑う。
ターニャは子供の頃、片想いしていた近所のお姉さんが、自分の兄と結婚して失恋して以来、恋をしないと決めていたのだ。
「そうだったっけ? それより、早くいきましょう。シスターが待ってるわ」
「ちょ、ちょっと!」
ターニャはチェルシーの手を取り、無理矢理教会へ連れて行った。
空に月が顔を出した頃、祭壇の仕掛けを作動して地下へ降りた。
チェルシーは依然として噂に帯びてはいたものの、教会の仕掛けに驚き、興味を抱いていた。
「すごい仕掛けだったわ。いつからあったのかしら? そもそも先生方は仕掛けのことを知ってるの?」
「さぁ? もし知ってたとしたら、天使様を閉じ込めたのは先生の誰かってことになるわね」
二人で手を取り合い、階段を下りる。
チェルシーは階段の薄暗さと噂の恐怖から、震えた。思わずターニャの腕にしがみつき、身を寄せる。
「ターニャ、離れないでね」
「分かってるわ、チェルシー。でもそんなにくっつかれると、襲いたくなっちゃう」
「え?」
チェルシーは耳を疑った。思わず友人の顔を見て、真意を窺う。
ターニャはターニャで、「そんな目で見られるとは思わなかった」とでも言いたげに、目を丸くした。
「……本気じゃ、ないわよね?」
チェルシーはターニャから離れ、後ずさる。しかし逃げようにも、祭壇は自動的に閉じてしまったため、逃げようがなかった。内側から開ける手段を知っているのは、ターニャだけだ。
ターニャはシスターを思わせる、蠱惑的な笑みを浮かべ、「おいで」と手招きした。
「シスターに会えば、答えが分かるわ」
「……」
チェルシーは「杭を抜いたら、無事に帰してもらえるよう、シスターという人に頼もう」と心に誓った。
ターニャとチェルシーが地下室に現れると、シスターは「いらっしゃい」と微笑みかけた。
その笑みを目にした瞬間、チェルシーの中の何かが消え去った。
(な、何? この感情は……!)
人生で初めて湧き上がる衝動に、足がすくむ。
ターニャが話していた天使が実際は天使ではなかったことも、彼女が杭によって地面に磔にされていることも、無数の白骨化した死体が床に転がっていることも、どうでも良かった。今はただ、自分の奥深くから湧き上がる欲望を抑え込むのに精一杯だった。
その場にしゃがみこみ、熱を帯びた体を抱きしめる。心臓が張り裂けてしまうかと思うほど、胸が苦しかった。
そんな友人の姿を見ても、ターニャは微笑み続けていた。しゃがんで動かなくなってしまったチェルシーの前で膝をつき、彼女の顔を覗き込むようにして言った。
「チェルシー、一緒にシスターの杭を抜いてくれる? 貴方が本当に女に興味がないのなら、簡単に出来るわよね?」
「あ……当たり前でしょ」
チェルシーは生まれたての子鹿のような、おぼつかない足取りで立ち上がり、シスターのもとへと歩み寄ると、杭を両手でつかんだ。
しかしいくら引っ張っても、杭はビクともしない。
「ん、重い……」
「私も手伝うわ」
すると、ターニャがチェルシーの手の上から手を重ねた。じんわりと熱を帯びたターニャの手に、チェルシーは思わず「ひっ」と悲鳴を上げる。
反射的に杭から手を離そうとしたが、上からターニャに握られて逃れられなかった。どちらかといえばチェルシーの方が力が強いはずだというのに、いくらもがいてもターニャの手は動かなかった。
「や、やっぱり無理! 離して!」
「大丈夫、二人でやればすぐよ。せーの、」
ターニャは掛け声を発し、チェルシーの手ごと杭を引っ張る。チェルシーは抵抗するばかりで力は全く入れていなかったが、不思議と杭は抜けた。
「まずは一本ね。あと三本、頑張りましょう。全部抜いたら、シスターがご褒美くれるから」
「ご、褒美……?」
魅力的な言葉だった。それがどのようなもののことを指しているのかは分からなかったが、今の自分をどうにかしてくれるような気がした。
シスターを見下ろし、「ご褒美ってどんな?」と尋ねる。
シスターは解放された左手を懐かしそうに眺め、チェルシーに微笑みかけた。
「とってもいいことよ。貴方が割れずにいる殻を、私が割ってあげる」
チェルシーはシスターの言葉に突き動かされるかのように、ターニャと共に残りの杭を抜いた。
一本抜くごとに、心臓の鼓動は穏やかになり、体に帯びていた熱が均一になっていく。
冷静さを取り戻してきた、というよりは、今の自分に起きている異変を受け入れつつあるといった風であった。
現に、二本目の杭を抜く際にもターニャがチェルシーの手の上から手を握っても、今度は逃げようとせず、一緒に力を入れて抜いた。
三本目にはターニャに手を握られた瞬間に頬を赤らめ、四本目には自らターニャの指と指を絡めて杭を抜いた。
「ハァハァ……」
全ての杭を抜き終わり、二人は汗だくになって視線を交わす。どちらからともなく顔を近づけ、キスをした。
「……ターニャ。私、貴方のことを友達以上には見れない」
でも、とチェルシーは熱っぽい眼差しでターニャを見つめたまま、切なそうに身をよじらせた。
「私の体は、貴方を求めてるみたい」
「チェルシー……」
ターニャもまんざらでもなさそうに、チェルシーの体をうっとり見つめる。
桃色の雰囲気の二人に、自由の身になったシスターが「ねぇ、二人とも」と立ち上がり、言った。
「こんな薄暗いところじゃなくて、もっと明るい場所に行きましょうよ」
階段を上り、教会へと出る。
祭壇の蝋燭を消すと、壁のステンドグラスから差し込んだ月の光が、教会の中を青白く照らしていた。
「二人とも、私を助けてくれてありがとう。お礼をしなくちゃいけないわね」
シスターはターニャとチェルシーの頬にキスをし、微笑む。
ターニャもチェルシーも恍惚とした表情でキスを受け入れた。
「ターニャの言った通りだったわ。今夜はとっても幸せな夜になりそう」
「私も嬉しいわ。チェルシーと過ごせる夜が来るなんて」
二人は熱く視線を交わすと手を取り合い、近くの長椅子へと倒れた。
「フフッ、若いっていいわねぇ」
シスターは仲睦まじい二人を微笑ましく見つめる。
しかしふいに、悲しげに目を伏せると、バージンロードを歩いて教会の扉を開いた。
そのまま外へ出ようと一歩、足を踏み出したが、「バチッ」と音を立て、見えない壁に阻まれた。
「残念。ここからは出られないのね」
シスターはさして残念でもない様子で呟いた。
「大丈夫。ここからでも、女の子達は救えるわ。あの子達を使って、もっとたくさんの女の子達を呼び込まなくちゃ」
シスターは体いっぱいに月光を浴び、空に浮かぶ月に向かって微笑んだ。
今夜は綺麗な満月で、手を伸ばせば届きそうなほど大きかった。
「待ってて、ハイネ。私……今度こそ貴方を殺すわ」
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