第3章 天使薬デスティニー 第5話『煙』
「セレーネ!」
シルヴィはソフィアが一人で教会を出て行ったのを見て、教会へ飛び込んだ。真っ先に、祭壇の前に置かれた柩に目が止まる。
シルヴィは翼を羽ばたかせ、柩のもとへ飛んだ。
なんの躊躇もなくフタを外し、中にセレーネが沈んでいるのを見ると、悲鳴を上げた。
「いやぁっ! セレーネ! セレーネ!」
セレーネは既に事切れ、死んでいた。薔薇色の頬は青ざめ、唇も赤みを失っている。
シルヴィはセレーネを柩から抱え上げると、祭壇の床へ寝かせた。
「お願い、セレーネ! 目を開けて! 私と一緒に運命の人を探すって約束したじゃない!」
シルヴィの体に張りついた黒百合の花を忌々しそうに取り除き、泣きじゃくる。まだセレーネが死んだと、認めたくなかった。
最愛の人だったサマンサを失った時でさえ、こんなにも胸が苦しくはなかった。あの冷酷無比なソフィアに殺されたのかと思うと、ただただ悔しかった。気づけば唇を噛み切り、血が滲んでいた。
何度呼びかけても、シルヴィは目をさまさない。セレーネは最後の手段に打って出ることにした。
「……セレーネ。私の"影の双子"のお姉様。貴方が私の運命の人ならどんなにいいでしょう。だから、どうか目を覚まして頂戴」
セレーネはゆっくりとシルヴィの唇へ唇を寄せ、口づけした。
同時に、セレーネの唇に滲んでいた血がシルヴィの口へ滴り、喉の奥へと流れていった。シルヴィを鳥人たらしめている、カナリアと同じ成分の血は瞬く間にセレーネの体内を巡った。
「んっ……」
「セレーネ?!」
やがてセレーネの体がピクッと動き、目を覚ました。彼女と同じプラチナブロンドの羽根が皮膚を突き破り、全身から生えてくる。
シルヴィが驚いて唇を離すと、セレーネはキョトンとした顔で起き上がった。
「シルヴィ、どうしてここにいいるの? 私、死んだんじゃ……」
「えぇ、死んだわ! でも生き返ったのよ! 私と口づけして、生き返ったの! 貴方と私は運命の相手だったのよ!」
シルヴィは興奮した様子でセレーネに抱きつき、歓喜する。
セレーネもだんだん状況が飲み込めてきたのか、
「そう……そうだったのね!」
と嬉しそうにシルヴィを抱きしめた。
「ありがとう、シルヴィ! 私の運命の人! 未来永劫、貴方だけを愛するわ」
「どういたしまして、セレーネ! 私の運命の人! 私も貴方だけを未来永劫、愛するわ!」
二人は一旦離れると見つめ合い、再度キスをした。
祭壇の前という場所も相まって、誓いのキスをしているかのようだった。
長い長いキスを終えると、名残惜しそうに唇を離し、「ねぇ」とシルヴィが言った。
「これから二人で
「いいアイデアね、シルヴィ。でもその前にやることがあるわ」
「分かってる。私もアレを済ませておかないと、この国から出られないと思っていたの」
二人は熱っぽい顔で微笑み合うと、サッと顔色を変え、殺意剥き出しで口を揃えて言った。
「「さぁ、悪いケーキをこらしめに行きましょう」」
教会を後にしたソフィアは、電話ボックスからパラケルスス先生にセレーネ殺害を報告していた。
「あとは片割れだけです。なに、"運命の人"とやらを適当に見繕って差し出せば、すぐに食いついてきますよ」
「……そうか。後は任せた」
パラケルスス先生は最低限の指示だけを残し、電話を切る。しかしソフィアにとっては、それだけで充分だった。
ソフィアは受話器を下ろすと、恋する乙女のように赤面し、両手を頬に当てた。普段の彼女からは考えられない、うっとりとした目をしていた。
「パラケルスス先生が、私に全てを任せて下さるなんて……! いっそ、オリヴィエに一任させている『魔女狩り計画』とやらも、私に任せて下さればいいのに! そうすれば、パラケルスス先生とご一緒できる時間がもっと増えるのになぁ」
ソフィアはパラケルスス先生との甘い日々を妄想し、恍惚とする。
その時、外から発煙弾が投げ込まれた。電話ボックスの中は青い煙で一気に充満し、視界が悪くなる。
「げほっ、げほっ! なんだ、この煙は!」
ドアを開こうとするが、誰かに押さえつけられているのかびくともしない。
顔を上げると、不気味な笑みを浮かべながらドアを押さえているシルヴィとセレーネが見えた。
「ひっ?! 何で死んだはずのセレーネが生きているんだ!」
ソフィアは恐怖でドアから飛び退き、尻餅をつく。やがて二人の姿は煙で完全に見えなくなった。
「げほっ、げほっ、げほっ」
ソフィアは煙を大量に吸い込み、その場に倒れた。
朦朧とした意識の中、考えたのはパラケルスス先生のことだった。電話の繋がっていない受話器を握り、うわごとのようにパラケルスス先生に報告した。
「……パラケルスス先生、申し訳ありません。忌々しいことに、セレーネは生きていました。シルヴィも一緒です。私はもうダメかもしれません。ですがどうか、オリヴィエを愛さないで下さい。私だけを愛して下さい。私だけが、貴方を心の底から敬愛しているのですから」
煙の噴出が収まったのを確認し、シルヴィとセレーネは電話ボックスのドアを開けた。充満していた青い煙が一気に流れ出てくる。
セレーネは受話器を持ったまま床に倒れているソフィアを助け起こすと、彼女の唇へ口づけした。しかしソフィアはうつろな目を天井に向けたまま、ピクリとも動かなかった。
セレーネはソフィアから唇を離すと、穢らわしいものにでも触れたかのようにハンカチで唇を拭った。
「やっぱりソフィアは私の運命の人ではなかったわ。こんなことなら、早く確かめておけば良かった」
「運命の相手でもないくせにセレーネを独占していたなんて、最低な女ね。行きましょう」
「えぇ。これで心置きなく、旅立てるわ」
セレーネは唇を拭ったハンカチと、助け起こしていたソフィアを床へ捨てる。コンクリートの床とソフィアの頭がぶつかり、ゴッと鈍い音を立てた。
セレーネはソフィアとの別れを告げると、シルヴィと共に翼を羽ばたかせて飛び立った。
ソフィアは頭から血を流し、手足をあらぬ方向へ曲げたまま、誰にも見つからず、夜通し放置された。
ソフィアのパラケルスス先生への想いと同様に、電話ボックスに充満していた煙も、跡形もなく消え去った。
一方、シルヴィとセレーネは煙突から立ち上る煙よりも高く飛び、風の行くままに旅をするのだった。
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