第3章 天使薬デスティニー 第3話『影』
「セレーネ、次の授業は理科室だろう? 一緒に行かないか」
「えぇ、ぜひ」
セレーネは差し出されたソフィアの手を取り、共に教室から廊下へ出る。
廊下には二人の姿を一目見ようと、他のクラスの生徒や後輩達が集まっていた。
「セレーネお姉様とソフィアお姉様って、いつ見ても素敵よね」
「あんなに仲がいい方、他にいらっしゃらないもの」
「やっぱり、お付き合いされているのかしら?」
セレーネとソフィアは仲良く談笑しながら、次の教室へと移動する。時折、他の生徒と目が合うと、「こんにちは」と、にこやかに挨拶をした。
二人は終始、笑顔を振りまいていたが、まだ誰も来ていない理科室へ入った途端、顔から笑みが消えた。呆気なく手を離し、それぞれの席へと座る。
ソフィアは先程とは打って変わり、つまらなさそうに窓から校庭を見下ろす。校庭には体育の授業へ向かう生徒達が、歩いて移動していた。
セレーネも持参した文庫本を開き、目を落とす。
二人は他の生徒が来るまでのわずかな間、一切視線を合わせることも、会話することもなかった。
セレーネとソフィアは偽りの恋人同士だった。
黒百合女学院に入学したての頃、初対面だったソフィアから提案されたのだ。
「なぁ、君。私と付き合うフリをしてくれないかい?」
「え?」
セレーネは最初、ソフィアが何を言っているのか分からなかった。
「どういうこと?」と聞き返すと、「そのままの意味だよ」とソフィアは冷たく笑った。
「私だって、本当は誰とも付き合いたくはない。でも、こう毎日交際を申し込まれちゃ、迷惑なんだ。だからいっそ、相手がいることにしてしまおうかと思ったんだよ。君はものすごい美人だし、ちょうどいい。それに君だって、迷惑しているんだろう? さっき後輩から『お姉様になって下さい』って言い寄られてたの、見てたぜ」
ソフィアは青い髪と精悍な顔つきが印象的な美人だった。女にしては声が低く、男装すれば男に間違えられそうな雰囲気だった。
セレーネもまた、ウェーブがかった長いブロンドの髪と、慈愛に満ちた微笑が印象に残る美人で、ソフィアと並ぶと、まるで本当の恋人のようだった。
セレーネは最初、ソフィアの申し出に呆気に取られていた。
しかし彼女の他人を馬鹿にしたような、それでいて屈託のない笑顔に惹かれ、最後には頷いていた。
「分かったわ。これからよろしくね」
それから二年が経ち、セレーネは本心からソフィアに恋をしてしまった。
「私達、本当に付き合わない?」と打ち明けようとも思ったが、セレーネはその提案が受け入れられないことをよく分かっていた。
「ひっ、ひぐっ……」
放課後、セレーネは屋上で泣いていた。
日が沈むと共に、塔屋の影が伸び、彼女を覆う。セレーネは「このまま影に飲まれて消えてしまえばいいのに」と思った。
「このまま影に飲まれて、消えてしまえばいいのに……そうすれば、もう彼女のことで苦しまずに済むのに」
その時、頭上からバサバサと音が聞こえ、影が濃くなった。見上げると、銀色の羽根を生やした女子が塔屋の上に立ち、セレーネを見下ろしていた。
「苦しいの?」
「キャッ?!」
セレーネは悲鳴を上げ、後ずさる。
銀色の羽根の女子はニコォと不気味に笑うと、セレーネの上に覆い被さった。
「私の運命の人かもしれない貴方、どうしてそんなに苦しんでいるの? 私のように、運命の人と出会えなくて悲しんでいるのかしら?」
「運命の人?」
その言葉を聞き、セレーネの脳裏にソフィアの顔が浮かぶ。
しかし、ソフィアの視線の先には別の人物がいた。白衣を着た、長身の女性……セレーネもよく知る理科教師だった。
二人の姿を思い浮かべると、また涙があふれ出てきた。
「……そうかもしれない。ずっと運命の人だと思っていたのに、その人には別の相手がいたんですもの」
「まぁ!」
銀色の羽根の女子は口に手を当て、息を呑んだ。心底、セレーネに同情しているようで「それは辛かったわね」と一緒になって涙を流し、セレーネを抱きしめた。
「そんなひどい人は、私が懲らしめてあげる。話してみて」
「……ありがとう。銀色の天使さん」
「シルヴィよ。貴方は?」
「セレーネ……」
世界が影へと落ちていく中、セレーネはシルヴィにソフィアとの関係と、彼女の裏の顔を打ち明けた。
「……ソフィアは毎日、放課後に理科室へかよっていたの。そこには理科教師のパラケルスス先生と、数人の生徒達がいたわ。彼女達は大きな鳥籠を囲んで、楽しげに何かを話し合っていた。おぞましいことに、その鳥籠の中には人間がいたの」
「人間?」
「そう。私と同じ、黒百合女学院の生徒が二人。彼女達は『実験をする』と言って、瓶に入った薬を二人に飲ませた。二人は悲鳴を上げて、苦しんでいたわ。なのに、ソフィア達はその姿を見て、笑っていたの。彼女のあんな邪悪な顔を見たのは初めてだった……ううん、あのソフィアこそが、本当のソフィアだったのね。私も他の子達と同じように、彼女の表層だけを見て、惹かれていたんだわ。そして、本当に彼女のことを理解していたのは、パラケルスス先生だけだったのよ」
セレーネはソフィアがパラケルスス先生と話していた時の表情を思い出し、顔を曇らせる。
それは今までセレーネが見たことのないソフィアだった。恋をする乙女のような、神に心酔する信者のような、悪魔に心を奪われた人間のような……セレーネがソフィアに求めていた何もかもが、既にパラケルスス先生によって奪われていたのだと思い知らされた。
「ずっと誤魔化してきたけど、もう限界! でも、ソフィアを裏切るなんてできないし……ねぇ、シルヴィ。どうしたらいいと思う?」
「……セレーネはソフィアを運命の相手だと思いたいのね」
シルヴィは薄く笑い、言った。
「だったら、ソフィアを殺してみればいいのよ。そしてソフィアにキスをするの。本当に運命の相手なら、ソフィアは目を覚ますはずよ」
「そんなこと出来るわけないじゃない!」
セレーネは即答した。
あまりの気迫に、シルヴィは目を丸くする。
「どうして? 運命の人かどうか確かめたいのでしょう?」
「だからって、殺せるわけない! ソフィアは私にとってかけがえのない、大切な人なのよ!」
「……」
セレーネの言葉を聞き、シルヴィの脳裏でサマンサの顔がよぎる。
シルヴィもまた、かつてはセレーネと同じように考えていた。想いは届かなくとも、彼女が存在しているならそれでいい、と。
だが、彼女の恋慕は次第に歪んでいき、遂にはその手でサマンサの命を終わらせるに至ってしまった……。
シルヴィはセレーネにかつての自分を重ね、複雑な気持ちになった。セレーネの恋を応援したかったが、それ以上にセレーネを救いたいと思った。
「じゃあ、私と一緒に運命の相手を探しましょう? ソフィアが運命の人じゃないのなら、きっとこの世界のどこかにいるはずよ」
「……それって、ソフィアを裏切ったことにならない?」
セレーネは不安そうに尋ねる。
シルヴィは「平気よ」と微笑んだ。
「先に裏切ったのはソフィアの方だもの。貴方は悪くないわ」
「そう……そうよね?」
セレーネもシルヴィと同じように微笑む。
その目は夜の
セレーネがシルヴィと出会った夜、学校帰りの女子生徒が次々に殺された。
街のいたる場所で殺されており、捜査中にも他の女子生徒が殺されるという、人間技とは思えないスピードで殺されていった。
現場には銀色の鳥の羽根が残されており、どの遺体の唇にも被害者以外の二人分の唾液が付着していた。
翌日も、その翌日も殺人は繰り返された。警察は二人組の殺人鬼として捜査を進めることに決めた。
月明かりの届かない、建物の影で殺害されることから、巷では二人を「影の双子」と呼んでいた。
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