Christmas of Melancholy

Hoshimi Akari 星廻 蒼灯

1

 クリスマスイブの今朝、この日一番見たくなかった夢を見て目が覚めた。

 キリスト教本場の国では、日本のようにクリスマスを恋人同士で過ごすだなんてことがまかり通ってなどいないらしい。聖書なんて読まず、教会の教えを聞いたこともない日本人だからこそ、外国の祝祭をこんなふうに曲解してしまえるのだ。日本の12月25日はクリスマスであってクリスマスではない。言ってみれば”クリスマス”は海外から輸入され巷の洗礼を受けた、和製英語の一つなのだ。

 書きかけの日記を片付けて服を着替え、夕方に近づいた街の通りへと出かける準備をした。

 昨日までは暖かかったけれど、今日は冬らしく気温の低い日になった。息を吐くとメガネの端が曇る。ボロボロの自転車に乗ってコートを羽織り、人気のない、新築の家ばかりが立ち並ぶ街路を漕ぎ出した。無駄に広い歩道と、車が通るには狭すぎる道路。都心から外れた郊外の街も、古い家屋や林が取り除かれて次々と新しい建物が立ち並ぶようになった。都心外れの田舎だったこの街が妙に小綺麗で整った姿へ変わっていくのを、俺はどこか寒々しい思いで眺めてた。生まれ育った街が見覚えのない異郷に変わってしまう前に、俺もそろそろ親元を離れて都会にでも引っ越したほうがいいのかもしれない。一人暮らしをすればそれはそれで苦労も増えるだろうが、いつまでも身辺の取り扱いを覚えないままでいるわけにもいかない。もういい大人なのだ。

 大学のサークル仲間から、12月24日のクリスマスイブに集まって鍋をしようと誘いの知らせが来た時には、どんなものか、と思った。卒業してからまだ二年経ってないとはいえ、いつまでも大学生のノリを引きずって生きるのはどうかと思ったのだ。

「んなこと気にすんなよ。めったやたらに会ってるわけでもあるまいし、たまの機会にこうやって顔合わせんのもいいじゃんか」

「だからってクリスマスイブに集まらなくたっていいだろ。繁忙期で来られないやつも多いだろうし」

「そこんとこは大丈夫。あとはお前が来れば大体メンツは揃うんだけどなあ」

 大学にいた頃は彼女のいない男たちで集まって毎年同じように鍋をつついていたものだった。それが一年の頃から続けているうち、メンバーの彼女だとかも混じって、いつのまにか小さなサークルの集まりみたいになってしまった。

 電話越しになんだかんだと言いくるめられた末、俺はこうして、家から二つ駅の向こうにある、大学近くの友人の家へ自転車で向かっていた。なんだかんだ言っても、俺はあいつらと別れたことが寂しかったのかもしれない。社会人になってからできる人間関係と学生の間のそれがまるで別の世界のものだということに、あのころはまだ気づいてなかった。だから多少乱暴でないがしろに接しても、どこかで新しい仲間を作ることができるだろうだなんて、考えることができた。

 集まる前に鍋の材料を買っていかないといけない。今日はスーパーも混んでるだろうけど、七面鳥やケーキならともかく、肉や白菜、しいたけや水菜が買い占められてることはあるまい。そうタカをくくっていたのだが、いざスーパーに着いてみたら、鍋の材料もそこそこに棚から消えていた。世間ではもしや、俺たちと同じような鍋の集会がそこかしこで開催されているんだろうか。

 夢に出たあいつは、今日この日を、どこで何をして過ごしてるんだろう。

 不意をついて浮かんでくる想像を首を振って追い払い、鍋の具材をカゴに詰めてレジへ向かう。

 店を出て自転車に乗り、再び線路沿いの道を、日が沈む方向とは反対側に漕ぎ出した。この分だと少し早く着いてしまうかもしれない。空はようやく暖色へ移り変わり始めたところで、イルミネーションの灯りもまだ目につかない。大学時代の今日のことを思い返して考えながらふと線路の向こう側に視線をやった時、俺は妙な人影がそこに立っているのを見つけた。

 一瞬、まるで影帽子が地面から起き上がって直立しているかのように見えたが、よく見ればそれは黒い服を着た普通の人間だった。それでも俺が〝妙な〟と思ってしまったのは、男が天に向かって手を掲げて、空にある何かを見つめていたからだ。

 よせばいいものを、なんとなく自転車を停めて、その男の様子を眺めてしまった。何をしてるんだろう? 凧揚げをしてるわけでもない。なぜか、俺は、神々しいと言うのも違うが、人智を越えた遠い別の世界の行いのようなものを、男の所作のうちに見てるような気がした。

 そう思わせてるのは、男の手に握られたライトであるということにしばらく経ってから気づいた。メガネも掛けてて視力はいいほうじゃなかったけれど、遠くにあるその小さな光だけはいやにはっきりと輝いて見えた。

 男は突然腕を下ろした。

 こっちに気付かれる前に自転車を漕ぎだそうと思った俺のほうを、空を向いていた男が視線を下げていきなりまっすぐ見た。俺が見てるのに気づいていたのか。気まずくなって、ごまかすようにすぐ自転車を漕ぎ出そうとしたところ、ポケットの中にしまっていた携帯が震えだした。

 電話の着信だった。仕方なしに自転車を止めて、携帯を取り出す。

 電車が線路に現れ、走り抜けていった。

 着信相手の名前を確かめて一瞬面食らう。長いこと連絡を取っていなかった学科の後輩の国枝からだ。通話ボタンを押して「もしもし」と言ったが、電車の音で返事が聞こえない。こんな日に一体何の用だ?

 ようやく最後の車両が過ぎ去ると、線路の向こうにいたはずの男の姿はどこにも見当たらなくなっていた。

「先輩? 駅にいるんですか?」

「いや。線路沿いだけど」

「今なにしてるんですか?」

「なにって別に、鍋の買い出しをしてたとこだよ」

「クリスマスに鍋ですか」

「わるいか」

「悪かないですけど、どんなもんなんでしょう」

「それは俺も思うところではある。何の用だよ」

「さっき駅で立花先輩を見かけたんですよ。せっかくだから先輩に知らせておこうかなと思って」

「立花……?」

「大学にでも戻ってきてたんですかね? 急いでて、さっき電車に乗って行っちゃいましたけど」

「それを俺に知らせて何になる」

「後で言ってなかったって知られたら先輩に怒られそうじゃないですか」

「なんでだよ」

「ともかく用はそれだけです」

「お前、今日なにしてるんだよ?」

「やー、暇してます。だから大学にでも寄ろうかと思って、そしたら立花先輩とたまたま出くわして。犬も歩けば棒に当たるっていうか、なにが起こるかわかんないもんですね」

 何か話したかとか、たずねようと思ってやめた。知ったところで意味があるわけでもない。

「先輩、街はもうイルミネーションで溢れ返ってますよ」

「まだそんな時間じゃないだろ」

「何言ってるんですか。外はもう真っ暗ですって」

「俺も外にいるけど」

 まだ陽は沈んでいない。空も明るいし気の早い電飾の一つも見当たらなかった。

「いやいや、だってもう6時ですよ?」

「は? まだ4時前だろ」

「先輩今ロシアにでもいるんですか」

「時計をよく見ろ」

「いやだって…やっぱり6時ですよ。24時制で言うところの18時です」

「そんなわけあるか」

 腕時計を見てみるも、やっぱりまだ4時にさしかかったところだった。陽も沈んでいない。これが見間違いだとしたら、俺はまず自分が人間か屍鬼かどうかを疑わなければなるまい。

「でも、もし先輩がまだ4時にいるんだったら立花先輩にも会えますね。立花先輩が駅にいたの、ついさっきですから」

「たしかにな」訂正するのもめんどくさくなって俺は冗談に乗った。「自転車で行っても間に合う」

「会ってたらなに話しますか?」

「別に友達でもないのに。話すことなんて無い」

「せっかく学科の同級生と再会したんだったら話すことぐらいあるでしょう」

「いや、なんもないよ」

 何もないのだ。

 適当な所で電話を切って、再び線路沿いに自転車を走らせ始めた。そういえばさっきの黒づくめの男はどこへ消えたんだろう。空に手をかざすあれは、何か意味があってやっていたことだったんだろうか?

 どこから出てきてどこに消えていったのか分からない人が、この街には多すぎた。

 雲はほとんど無く、良く晴れている。空に浮かんでいるものがあるとすれば、今日この日を覆い尽くしている、俺が感じる憂鬱くらいのものだった。

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