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 どんな風に自室へとたどり着いたのかすらを、もはやおぼえてはいなかった。

 おぼつかない足取りで階段を一段ずつ登り、機械的な決まりきった仕草で鍵を開けると、乱暴に上着を脱ぎ捨て、なだれ込むようにベッドの上へと身体を投げ出す。

 着古した上着のポケットの中には、差し出すことも出来なかったままのポストカードが所在なさげにたたずんでいる。


 ひどくショックを受けていたのは確かだった――何よりも、そんな風に身勝手な感傷に身をやつしてしまっている自分自身にだ。

 聞かせてほしい、いつか話せる『その日』が来た時で構わないからと、そう願ったのは自分のほうだったのに――押し寄せる途方もない無力感を前に、心はぶざまに打ちひしがれるばかりだ。

 彼がいまもなお、ひどく傷ついていること、臆病で孤独な幼い子どもを胸のうちに宿らせたまま『大人』にならざるを得なかったこと、それでもちゃんと、前を向いていまを生きようとしていること――そのひとつひとつに救われていたのは、ほかならぬ自分のほうだ。

してあげられることだなんて、はじめからなにひとつないはずだった。寄り添うように隣にいさせてもらえること、心を砕くようにして、胸にしまったかけがえのない言葉を聞かせてもらえること―そのたびに感じる、息の詰まるような心地よさとおだやかさに触れさせてもらえること。

 こんな自分にももしかすれば、返せるものがあるのかもしれない――そんな傲慢な思い上がりが生み出したまがいもののおとぎ話は、果たしてほんとうに「彼のため」のものだと言えたのだろうか。もしほんとうのことを知ることがあるとすれば、彼はどんな風に思うのだろう。

 幾重にも絡まった想いは、ますます迷いを加速させるばかりだ。


 机の上にはまだ送られてきた時のまま、中身を開かれていないクリスマスを特集した文芸誌が置かれている。

 表紙にはクリスマスツリーの飾られた部屋でストーブにあたりながら絵本を読んで貰う幼い姉弟とその父親、そのようすをうれしそうに見守る母親の姿が子どものころに目にした絵本のような素朴な絵柄で描かれている。――ひどくありふれたものである『はず』の、おだやかで幸福な、安らぎに満ちた光景だ。


 自分にもまた、よく似た時間があったはずだ――そこには『弟』ははじめからいなくても、それでも――幼い子どもだからこそ赦された魔法が、それを守ってくれる人が自分の周りにはたくさんいた。

 まるで同じだ――悲しみの入り込む隙間の一切閉ざされた王宮で生涯を終えた『幸福な王子』と。

 僕はまるで知りもしなかった、知ろうとさえもしなかった―はじめから『それ』を取り上げられたまま生きるほかなかった悲しい子どもたちがいたことを。

 そんな風に身も心も費やすようにしながら生き延びてきたかつての子どもたちが、もしかすればすぐ隣にいたことにすら気づけなかったのかもしれないだなんてことを。


 なにもかもを取り上げられた不幸な少年に、ある日突如転機が訪れる。

 帰る家を失くしてうずくまることしか出来なかった彼を見初めた紳士がいたのだ。

 あまりある富を持った彼は、少年がいままで手にしたことのなかった数多の宝物を彼へと惜しみなく分け与えてくれる。

 ――隙間風に悩まされない快適な住処、身体ごとやわらかに沈み込むかのような、雲の上にいるような心地にさせてくれる快適なベッド、きちんとサイズのあった清潔な衣服、三食ごとの栄養価に富んだあたたかな食事、そしてなによりもの、あふれるほどの一心に注がれる愛情を。

 願ってやまないもの、おとぎ話の中でしか出会えないと夢見たもののおおよそすべてを与えてやれるのが『彼』だった。

 それでも少年が選んだとっておきの思い出は、彼を省みることのなかったはずの父親が気まぐれのように与えてくれたクリスマスの贈り物だった。

 どうしてそんな風に言えるのだろうか。ただ一晩のあたたかな思い出を作ってやることすら出来ないまま、申し訳程度にこなした『サンタクロース』のつとめ、そんなことくらいが、すべてを帳消しに出来るわけなんてないのに。


 端から見てしまえば、どんなにささやかだったとしてもすがるほかない何よりもの数少ないあたたかな思い出がそれだったから? 

 それがどれだけ残酷なことなのかなんてことを、考えることすらきっと出来なかったくせに。

 いつしか心を覆い尽くしていく鈍い鉛色の雲を前に、僕はただ力なく唇を噛みしめるようにしたまま言葉にならないため息を洩らす。

 ――きっと誰よりも傲慢で残酷な人間なのは、こんな風に身勝手な断罪を落とすことで溜飲を下げようとするほかならぬ僕自身だ。

 赦すことや受け入れることよりも、拒絶することのほうがずっと簡単だ。心を守るにはそのほうがずっとたやすいから。愛すること、与えられたものをただまっすぐに受け止めること、それらすべてを叶えることが出来るのは、ほんとうの強さとやさしさを持った人間だけだ。

 どれだけ傷つけられても裏切られてもそこにあったものをまっすぐに受け止めて信じることが出来るそんな彼のまぶしいほどのひたむきさが、いまはただこんなにも悲しい。

 きつく瞼を閉じれば、いくつもの彼の姿が浮かぶ。笑ってくれていた、いつだって――どこか苦しそうに、それでも、どんな時でもとっておきの、心をそっと預けてくれるようなおだやかさで。

 彼に喜んでほしかった、これ以上悲しい気持ちを呼び起こしたくなんてなかった。きっかけはきっとそんな些細なことに過ぎなかったはずで、彼はいつだってそれを叶えてくれていた。あんなにもたくさんのものを受け止めさせてもらったのに―僕はまだ、なにも彼に伝えることが出来ていない。


 ねえ、君はどんな物語が聞きたい?


 きつく閉じた瞼の裏にぼんやりと浮かぶ姿を前に、僕は頼りなげにそっとそう問いかけてみせる。

 そこに見えるのは、出会うことなど叶わないはずの、幼い彼の姿だ。





  

 物語を届けたい。受け取ってくれたその人の心をそっと照らせるおだやかな光のような、静かに降り注ぐあたたかな雨のような物語を。

 心に浮かんでいたのは、いつしか見失いかけていたそんな子どもじみた無垢な衝動にもよく似た感情だった。

 作り事が取り返しのつかない過去を塗り替えることは出来ない――彼から奪われたものは、残された傷はもう二度と元には戻らない。それでも彼はそのすべてを受け入れて、愛すること――ただそれだけを選ぶことが出来た。どれだけの不安や迷いに襲われたのだとしても、自分を失わずにいられる確かな強さを持っていた。その糧になっていたもののひとつに、遠い場所にいるはずの、会うことすら叶わないような誰かの届けてくれた言葉や想いがあったのだとすれば。

 取り返しのつかない過去を塗り替えることは誰にも出来ない。それどころか、目の前に迫り来る『現実』ですら、手なづけることはひどく困難だ。やすやすとは乗り越えさせてくれない複雑に絡まった感情を、願うことすらためらうような切実な祈りをすくい上げてくれたのが僕にとっての物語だった。

 どうして失くしてしまえたんだろうか、そんなふうに、いつだって側にいてくれたはずの大切なことを。ふかぶかと息を吐きながら、僕は手にした本の表紙をぱたりと音を立てるようにして閉じる。視線をあげたその先に広がるのは、自分の背丈よりもうんと高い本の山――そこに自身の書き記したものがいくばくかは置かれているだなんてことが、いまさらみたいに信じられないけれど。

 町外れに佇む、赤茶けた煉瓦作りのご立派な図書館。もう何度も通ったはずのその場所で目にする見慣れた光景を前に、いまさらのような感慨が僕を襲う。

 誰かの残した記憶や想いを書き記されたものはこんなにも世の中に溢れていて、自分にほんとうに必要なもの、心を動かしてくれる大切なもの、心の片隅に縫い止めるようにした『いつか出会いたかった本』に生涯を閉じるまでに出会える可能性は、きっと驚くほどに少ない。

 僕が自らの手で残せるようなものはきっと、もうほかの誰かによって、よりすぐれた形で送り出されているはずだ。

 ――それでも形にしたいものがあった。こうして出会えた大切な相手に向けて、そしてその向こうに数多いるはずの、傷を抱えたまま生きるほかなかったかつての子どもたちへ向けて。

 それがどれだけおろかで傲慢なものだとしても、僕には何よりも必要なものがそこにはあると、ただそう信じていた。

 物語の中でしか、書き記した言葉の中でしか生きることの出来ない感情はいつだって、僕を動かしてくれる確かで信じられる力だったからだ。

 途方もない話だ、といまさらのようにそう思う。自分を信じるだなんてことこそが、一見シンプルに見えて何よりも難しいことなのに。痛いほどにわかっていて、だからこそ何度も見失いそうになって―だからこそ、手をのばしたいと思わずにはいられないのだろう。

幾重にも絡みつくような迷いを振り切るようにしながら、周囲を行き来する人たちの姿をぼうっと眺める。

 真剣な面もちでページをめくる人たち、手にとっては戻して、を繰り返しながら何よりも大切なものを示してくれる運命の一冊を探す人、期待に胸を膨らませたようすで積み重ねた本の束を手に歩く人、目を輝かせるようにしながら大切な一冊を胸に抱えて歩くちいさな子ども――。

『本』を求める理由も、それがもたらしてくれるものも、すべてはひとりひとりにとって千差万別で、作り手の込めた想いと受け手のそれがいつ何時もぴったりと合致するとは必ずしも限らない。

それでも、読者という受け手の存在によって、心の中でひっそりと育まれてきただけのものだったはずのそれはみるみるうちに姿を変えてくれる。

 ――いつか出会えるのかもしれない。自らの、そして、受け止めてくれた人の世界を色づかせてくれるような新たな色彩に。

 そのためにすべきことがあるとしたらたったひとつ―手を動かすこと、心を研ぎ澄ませること、耳を傾けること。繰り返し、呪文のようにそう言い聞かせながら開いたままのノートに思いついたことを端から書き殴るようにする。


どんな人に読んでもらいたい?

(彼に。また、この世界にあたまいるはずの彼のように、傷を抱えたまま大人にならざるを得なかった人たちに。迷い、立ち止まることを選ばざるを得なかった自分のような人たちに。願うことがゆるされるのなら、傷つき、おそれ、不安を抱えている子どもたちへ。)


登場人物は?

(やわらかく無垢な、子どものこころを持った人。必ずしも子どもではなくても構わない。現実の自分とはすこし立ち位置が違っていて、それでいて親しみを持ってもらえるような。)


どんな場所で物語は開かれていく?

(誰も訪れたことのない、それでいてどこか懐かしさを感じさせてくれるところ。すぐそこにある遠い場所。現実の世界とまるで異なっている必要はないけれど、あまり現実に則しすぎているのも好ましくない気がするから。)


物語の目指す目的、終着点は?

(立ち止まることを選ばざるを得なかった人がもう一度歩み出せるような。ただおだやかな、優しい気持ちに包まれるような。)



 不思議だ、あんなにもなにもかもを投げ出してしまいたいと思っていたそのはずなのに、でたらめに思いつくままを書き記していくこと――ただそれだけで、心の奥に巣食った曇りがたちまちに晴れていくような心地になれる。

 目指した場所にほんとうにたどり着けるのかなんてことは、いまの自分にはまだわからない。それでも確かなことは、この胸のすくような想いに何よりも勇気づけられているのだということ、それに尽きるのだから。

 どこか誇らしい気持ちになりながら、まだ白紙のままのノートの隅をそうっと指先でなぞる。

 新しい旅が、こんな風にしてもう始まっている。






 助けになってくれそうないくばくかの本を手に図書館を後にしたその後、ずっしりと肩に食い込んだトートバッグの紐をかけ直すようにしながらふらりと歩いていれば、さまよう足取りが自然と、定められた順路をなぞるかのように彼のいる教会へと向いていることに気づく。

 ――情けない、まったく。ふかぶかとため息を吐きながら、土埃の立つ大地をぎゅっと踏みしめる。懲りずにまたつきあわせようとしている、答えの出ないはずの答え合わせに。

 会わないとそう決めたわけではなかった。思い上がりかもしれないけれど、彼がそう望んでいるとも思えないから――でも、それだけなんかじゃない。

 せめてもうすこしだけ、答えらしきものに近づくことが出来てから、彼にかけることの出来るとっておきの言葉を見つけられてから。そう思っていたはずなのに。

 足下のちいさな石ころを踏みしめるようにしながら、頭の片隅を探るようにしてもっともらしいいいわけを探す―ほら、きょうはたしか彼女とのデートの日だったはずだから、じゃまをするのもよくないし。

 くるりときびすを返すようにして歩き始めたそのタイミングを見計らうかのように、背中越しに高く澄んだかわいらしい声がこちらを呼び止める。

「あーっ」

 驚きと喜び、それらを混ぜ合わせたような歓声にもよく似た呼び声。それに続くのは、制するようなおだやかな大人の女性の声。

 ああ、きょうは『そう』なんだ。姿を確かめることなどなくとも、すぐさまそれは伝わる。

 精一杯のよそいきの笑顔を用意してからゆっくりと向き直り、僕は答える。

「こんにちは、いいお天気ですね」

「こんにちは!」

 おおきなリボンのついた赤いベレー帽におさげの髪、胸元には猫のブローチ。めいっぱいのおめかしで傍らの女性の掌をしっかと握りしめたまま、彼の『ガールフレンド』は答える。

「ディディに言われてたの。あなたに会ったら教会で待ってるからって伝えてねって。来れなくてもいいけど、待ってるからって」

「……そうなんだ」

 ぎこちない会釈とともに答えれば、満面の得意げな笑顔がみるみるうちに花を開かせる。

「ちゃんと行ってあげてね、そうじゃないと寂しがるからね。約束よ?」

「ありがとう」

 こくりと頷くようにして答えながら、傍らに佇む女性へと遠慮がちな目配せを送るようにする。

「ママ、ウィンストンさんよ。ディディとわたしの友だちなの」

「こんにちは」

 赤みがかったこっくりとした焦げ茶の髪に、濃紺のニット帽。すこしだけいぶかしげに細められていた鳶色の瞳は、馴染みの名前を聞いたおかげか、すこしだけおだやかな色を灯してくれている。

「娘と仲良くしてくださってありがとうございます」

「教会で知り合ったんです、ディディのガールフレンドだとお聞きして」

「ディディの友だちならわたしの友だちでしょう?」

 得意げに告げられる言葉に、心はふわりと羽根が生えたように軽やかに舞い上がる。

「――すみません、いつもこんな風で。お気を悪くされていらっしゃらなければいいんですが」

「……いえ、そんな」

 ゆっくりとかぶりを振るようにして答えれば、たちまちにほどけるようなおだやかな笑みがかぶせられる。

「ありがとうございます、ほんとうに」

 ぽとりと吐き出した言葉は、あたたかな滴のように静かに胸の内で波紋を広げ、おぼつかない足取りを後押しさせてくれるかのような力をくれる。


 どっしりと重い木製の戸に手をかけ、静かに息を吐くようにしながら扉を開く。

 蝶番の軋む音とともに広がる見慣れた景色の中、探し求めた人影を追うように視線を揺らせば、主のほうからゆっくりとこちらへと向き直ってくれる。

「……やあ」

 いつもよりもすこしだけおぼつかない声――どこか子どもじみた危うさを含ませたその響きは、途端に静かなざわめきの波紋を胸に広げてくれる。

「待ってて、そのまま」

 制するようにそう声をかけ、一歩一歩、確かめるような足取りで歩みを進める。

「ありがとう、わざわざ。寒かったでしょう?」

「すこし慎重になりすぎたくらい」

 わざとらしくおどけたように答えながら、すこし厚手のセーターのすそをひっぱって見せれば、途端にしどけない笑顔が返される。

 隣、いい? いつかの彼とおなじように問いかけてみれば、おだやかさだけを溶かし込んだ優しい笑顔がそれを受け止めてくれる。

「リディアに会ったんだ、お母さんといっしょだったよ」

「セディさんだね。きょうは仕事が早く終わる日だから迎えに来てくれたんだ」

「あぁ、」

 曖昧な笑顔をこぼしながら、続く言葉を遠慮がちに紡いでいく。

「教えてくれたんだ。君が待ってくれているからって。きっと寂しがるだろうから会いに行ってあげてねって」

「……彼女らしいや、すごく」

「ねえ?」

 笑いかけながら、すこしだけひきつった指先をぎゅっときつく握りしめる。

「――ごめん、ほんとうに。でも……そう言わなきゃいけない気がして」

「いいよ、そんなの。気にしないで」

 おぼろげな口ぶりで答えながら、ローブをまといながら慈愛に満ちた笑みを浮かべるマリア像の姿をぼうっと眺める。

「あれからね――、」

 視線を合わせないようにしたまま、ささやくような頼りなさで僕は答える。

「新しい物語を書こうと思ったんだ。きょうはその準備をしていて―もうすこしちゃんと、形にしたいことが見えてきたら君にも聞いてもらいたくて、そのつもりだったのに―おかしいよね、気が付いたら足がこちらに向かっていて。引き返そうって思っていたら、彼女が呼び止めてくれたんだ」

「……そうなんだ」

 あたたかな言葉はまるでささやかな滴のように音も立てずに心にこぼれ落ちると、静かな波紋を広げていく。

「神様に言われてるんだろうなって思ったんだ、無理をして遠ざける必要なんてないんだよ。君がほしい答えに近づける方法がきっとあるはずだよって」

「親切な神様がいたんだね、感謝しないと」

 そっと盗み見るようにのぞき込んだ横顔には、花が咲きこぼれるようなやわらかな笑みが広がっている。

「ありがとう……すごくうれしい」

「うん、」

 覚悟を決めるようにと深く息を飲み込み、僕は答える。

「これからどうなるのかなんてまだすこしもわからなくって、でも―そのことすらなんだかうれしくって。わくわくして。久しぶりだったんだ。もしかしたらこういう気持ちのことも聞いてもらいたかったのかもしれない―君だから」

「言ってもいい? わかるよって」

「……うん」

 なによりも必要としていた言葉は、こんなにもあっさりと届けられてしまう。

「まだわからないけれど―そんなに長くはかからないと思う。頼まれたわけでもないから、どこかに載せてもらえるのかもわからない。でもきっと、そういうものが必要だったんだと思う。気づけていなかっただけで、随分前からずっと」

「読ませてもらってもいい? 僕にも」

「もちろんだよ」

 願いを込めるようにきっぱりと僕は答える―そのために書こうと思っただなんてことは、言えるわけもないけれど。

「久しぶりなんだ、ほんとうに。書いても構わないのか、これを送り届ける意味は何なのか――誰かに聞いて、一緒に考えてもらって。そりゃあそうだよね、世の中に必要としてもらうためのものなんだから。そんな立場にいさせてもらえること自体、ほんとうに贅沢なことだと思うんだ。だからいまでもほんとうは戸惑っていて―でも、無駄なことなんかじゃ絶対にないはずだからって、そう信じている自分もいて」

「すてきなことだね、すごく」

「そうなのかな」

「信じて」

 かすかな目配せとともに贈られる言葉は、魔法のような軽やかさでたちまちに心の片隅でくすぶった憂いを流していく。

「また会いにきてもいい?」

「僕のほうからお願いしたいくらいなんだけど」

「そんなこと、」

 かすかに耳が熱くなるのを感じながら、わざとらしく視線を逸らすようにする。

 おぼろげに見えてきた物語がいつの日か実を結んだら、それからは―答えはもうずっと前から決まっているそのはずなのに、なぜかもどかしく胸の奥は詰まって、幾重にも重なった言葉をきつく封じてしまう。

「今年のクリスマスプレゼントは決まりだね、それじゃあ」

 おどけたような口ぶりでかけられる言葉をやわらかく遮るように、僕は答える。

「任せてって言いたいけれど―まだすこし厳しいと思う。それまでには」

「ごめんごめん、言ってみただけだから」

「ありがとう、でも。うれしいよ」

 照れ笑いまじりに答えれば、しどけない笑みはすべてを包み込んでくれるようにやわらかに広がる。

「クリスマスの夜にはね、毎年教会でミサをやるんだ。パイプオルガンのコンサートと、合唱団が歌をうたってくれるんだよ。信者の人じゃなくても歓迎しているから、毎年町の人たちみんながたくさん来てくれるんだ」

 うっとりと瞼を細めるようにしながら、プレゼントの入った箱のリボンをほどくようなやわらかな手つきでの優しい言葉が続く。

「はじめて参加させてもらった時、すごく感激して、それからすごくびっくりしたんだ。こんなにもおだやかで、誰もがゆるしあえるような時間があるんだなって。集まる人みんなが、たとえどんな事情を抱えていたのだとしても、その日その時はとても優しい顔をしてめいめいに神様への感謝と祈りを捧げて、『おめでとう、よいお年を』を言い合って帰るんだ。もっとはやくこんな場所にたどり着けたらよかったのかなってそんな風に思うくらいで――でもきっと、遅すぎるだなんてことはなくって」

 ところどころがほつれたおぼつかないささやき声には、隠しようのない追憶が幾重にも滲んで浮かぶ。

「……楽しみだね、今年も」

「うん」

 子どものように無邪気に答えてみせる姿に、胸の奥ではいくつもの名もない花がしずかに咲きこぼれる。

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