異世界生活15―Ⅲ
「陛下……兄上……。……お戻り、でしたか……」
緊迫した空気が漂う白百合の間に、フラフラとした足取りで現れたのは、第二王子のランディール。その瞳は、生気の無い淀んだもので、ジークベルトや国王ミハエルが国を出るときに見送った明るく澄んだ輝きは無くなっていた。肌も青白く、少し窶れたのか頬が痩けているのが見て取れた。
だからと言って、レティシア嬢にした行いを咎め無いわけはない。
「ランディール!貴様!自分の婚約者にしたレティシア嬢に、何て言う仕打ちをしたんだ!!」
バキッ!!…………ドサッ!
「……っ!!」
ランディールを一目見た瞬間、ジークベルトの中に湧き上がったのは、強い怒りだった。フラつくランディールの胸ぐらを掴み、その感情のままに殴り付けていた。
けれど、一発殴っただけで怒りが治まる訳もなく、床に倒れたランディールの上に馬乗りになった。
「答えろ!ランディール!!お前はどういうつもりだったんだ!!?」
「……兄上……ぼ……ぼくは……僕は……」
問いただすジークベルトに虚ろな目で譫言の様にしか言葉を発しないランディール。その様子が、余りにも身勝手な感傷に見えた。
「ふざけるなよ!?ランディール!!お前には、全部話す義務があるんだ!!答える義務が!!レティシア嬢に何をしたのか話して謝罪して………。ちゃんと話せ!ランディール!!」
「ぼ……僕の、僕の本意じゃないんだ……。本心じゃない。…………あれは間違いだったんだ……」
「ふざけるなっ!!」
バキッ!!バキッ!!バキッ!!
「うぐっ……!…………がぁっ!!」
「いけません、ジークベルト殿下!!」
問い詰め、得られたランディールの答えは逃げだった。その言葉に、怒りを通り越した感情が湧き起こる。ランディールを数度殴った所で慌てて騎士達に止められ、ジークベルトはランディールから引き剥がされた。
ランディールを数度殴り付けた。それでもジークベルトの怒りは、簡単に収まら無い。
「くそっ!ランディール、ちゃんと話せ、どうしてこうなった!?何でレティシア嬢に酷いことをしたんだ!?」
「うっ……ぼ、僕は…………」
ランディールがジークベルトの怒りを受けるのは、これが初めての事だった。普段、ジークベルトもランディールも温厚で声を荒げる事など滅多に無い。何時も四歳年下のランディールを気遣い、優しく話しかけ、間違いも諭す口調で接してくれていた優しい兄。
その兄が、怒りに狂っている。そんな鬼の形相で、床に転がる自分を見下ろしている。
怖かった。ただただ、ジークベルトが怖かった。同じように、いや、それ以上に壇上から陛下が向ける、感情の見えないその碧い瞳が恐ろしくてたまらなかった。
自分は、一体何を違えてしまったのか。何処から間違えてしまったのか、それが分からなかった。
この二日間、頭は何かから解き放たれたかの様な明瞭とした感覚で、過去の記憶が鮮明に追いかけるように呼び起こされた。はっきりと理解した、その事実に驚愕するばかりだった。
そして知った。知ってしまった。自分が、この自分こそが、レティシア嬢の命をを追い詰めていた。
二日前までの日々は、まるで夢の中の出来事の様で現実味がなく、常の自分にはあり得ない行いばかりだった。
僕がレティシア嬢以外に熱を帯びた目を向ける事も、愛を囁くこともあり得るはずが無い。それなのに、あのエリーナと言う少女を愛していた。その逆に、レティシア嬢を酷く憎み目の敵にしていた自分がいた。
これは、どう言うことだ!?
一体、この感情の変化は変貌ぶりはどこから来たのか。何故の変化なのか、理解すら出来なかった。
ただ貪るように溺れるように甘美の世界に浸りそして、レティシア嬢を北の森に追放していた。
――――――あり得ない!!
そんな事は、絶対にあり得ないのに、それが現実に起きていた。
その事実を、言葉にする?どうやって?
僕自身が、まだこの事実を受け入れきれていないと言うのに……どう言えば良いんだ?
何て伝える?
どういう言葉で?
どうすれば、良いんだ……?
僕は、どうすれば…………。
僕が夢の中の様な心地で、エリーナに溺れ、レティシア嬢を北の森に追放したと?それ以上に、再三に渡ってその死を渇望し、騎士団を刺客として差し向けていたと……そう、言えば良いのか?
レティシア嬢を追放した北の森は、瘴気が蔓延している。それ故、魔物の出現も多いのだと。
再三差し向けた騎士団は、『レティシア嬢は、命からがら生き延びている』と、報告してきた。
あれから何日経った?
もう、数日は経過している。それも自分の目でレティシア嬢の生存を確認した訳じゃないと言うのに。
最後に差し向けた騎士団、北の森に辿り着いて、レティシア嬢の命を断った頃なのだろうか?
僕が最後に差し向けた騎士団。彼らはまだ戻っては来ていない。
だから、レティシア嬢の死は、未だ確認されていない。本当に、生きているのか、死んでいるのかすら分からない。
それなのに、事実を言えばそうしたら、許されるのか?
誰が許す?
いや、許されない。
僕は、決して許されるべきではない。
それだけの事をしたんだから……。
最悪僕は、死罪だ。もしくは何処かに幽閉なのだろう。
死ぬまでずっと、本意じゃない現実を後悔して生きるんだ。
死んだように……。これから先の人生、生きている間中ずっと。死んだ方がマシだと思いながら……死ぬことも許されずに、最後まで……。
「僕は……僕は……。僕が、全部悪かったんだ……。惑った……惑わされた、僕が……」
一旦は騎士達に抱え起こされたランディールだったが、言葉を発すると共に再び床に崩れ落ちた。
その声も、覇気はなく絞り出すような微弱な音を紡ぐばかりで、よくよく耳を傾けない事には聞き取ることも出来ないほどだった。
「自分が何をしたのかは、わかっているようだな」
国王ミハエルの感情の読めない低い声が、広間に響く。
「はい……。僕が……レティシア嬢を死地に追いやりました……」
「弁明は……?」
「不要です……。喩えその時の感情がどうであれ、不義と裏切りを働いたのは僕の方ですから……。レティ、レティシア嬢は今……無事、なのですか?」
「お前が知る必要は無い」
ピシャリと、言い切ったのはジークベルトで、その瞳も声も未だ収まらぬどす黒い炎を燃やし続けていた。
「そんな……」
自分がやった。その現実と静かに向かい合い、これは現実なのだと認めはじめたランディール。その胸中を推し量ることは出来ないが、その姿は、絞り出された声は、聞いているだけで痛々しいものだった。
幻想から覚めて、真実を知って、大事な人を喪ったかもしれないなんて、苦しいよね。辛いよね。
何せ彼もまた、操られていただけなのだから。操られているときの事を問うと言うのもなかなかに厳しいものだ。
現に、ライセルさんだって………まだ、苦しんでいるみたいだもの。
「レティシアさんは、生きていますよ」
だからせめて、レティシアさんの生存だけでも伝えてあげるべきだと私は思うわけで。
レティシアさんも、『もし、ランディール様がわたくしの事を気に掛けてくださるのなら、生きていると伝えて欲しいのです』って、言ってくれたし。
幾ら父親や兄が必要ないと言っても、まだ十六歳の男の子に、重い十字架を背負わせる何て可哀想。罪を償うのは当然の事だけど、被害者の無事の有無ぐらい教えてあげないと心が弱ってしまう。
「真理殿!!」
何故教えたのだ!?怒りをたぎらせ続けたジークベルトが、ギリっと真理を睨む。
おおー、怖っ……!!お兄さん、美形の一睨みは怖いよ!!
ランディールは、突然レティシア無事を知らせてくれた声の方へノロノロと振り返った。
そこには、見たことの無い服装の黒髪の女性が立っていて、隣にはレティシア討伐を命じた第三騎士団の団長ライセルが立っていた。
「あなたは……?」
「感謝するんだな。その人がいたから、レティシア嬢は助かったんだ」
諦めた声のジークベルトが、真理について語る。
逆を言うなら、彼女が居なかったらレティシア嬢は助からなかった。
そう言うことだった。そこまで、追い詰めていたのだ。僕は…………。
「あんた!あんたのせいなのね!!よくも私の邪魔をしてくれたわね……!!許さないんだから!!」
「こらっ!暴れるな!!」
「大人しくしないか!!」
ジークベルトの言葉で、自分達の計画が失敗に至った最大の要因は、真理の存在だと理解したエリーナは、怒り狂った形相で暴れだした。取り押さえようとする騎士達も、突然の動きに慌てて取り押さえ直す。
「ちょっ!離しなさいよ!!私は聖女なのよ!それなのに、この仕打ちは何よ!!」
再び取り押さえられたエリーナは、未だ自らを聖女だと主張する。けれど、その形相は弾劾を受けた醜い魔女の様相だった。
「お前のような者が、聖女である筈が無かろう。聖女であったとしても、我が国では願い下げだ!!その者を牢に放り込んでおけ!!」
「なっ!?この私を牢に入れるですって!?そんなこと、許さないわよ!離しなさいよ!!この木偶の棒が!!ランディール何をボサッとしているの!?この役立たず!!肝心な事は何にも出来てないくせに、あっちの方は一丁前で、ちゃんとレティシア殺しなさいよ!!この、この……!!」
ランディールを罵倒するエリーナの前方の空間が、グニャリと歪んだ。歪んだ中に、何かの魔方陣らしき紋様が浮かび上がる。そこから黒い影が伸び、再び一つに集束すると人影が現れた。
薄い灰色の髪を後ろに撫で付け、暗めの紅い瞳の色をしている。黒の執事服を着た最近見かけない顔だった。
「何者だ!?」
「あ、悪魔か……!?」
突然現れたその存在に、周囲はざわめき立った。
「えっ……ライフさん!?」
だから、真理の声もライフまでは伝わることはなく掻き消される。精々が、隣立つライセルに届いた程度だ。
「知っているのですか?」
「ええ。私をこの世界に来れるようにしてくれた魔族なの。こことは違う世界の魔族だって言っていたんだけど……」
最近は、全然見掛けてないんだよね。どうしていたんだか。
「異世界の魔族ですか……」
突然現れた、異世界の魔族。その様子をライセルは訝しげに観察していた。
突然現れたその男に、騎士達に緊張が走る。剣を抜き放ち、その男を取り囲み剣を構えていた。
しかし突然の闖入者は、そんなことには動じない。飄々とした口調で、勝手に自己紹介をはじめた。
「あ~、お取り込みのところ申し訳有りません。わたくしエタノールハインドと言う異世界の魔王様の姫君の執事を勤めます、ライフと申します」
「異世界……?魔王の姫の、執事……?」
ジークベルトが、ライフの単語を理解し、眉間に深いシワを寄せた。
「その、異世界の魔族が何の用だ?」
ミハエルが、ライフに出現の目的を問いただす。
「あははっ、そうカリカリしないで下さい。別に害意があっての出現では有りませんから」
「…………で?」
「そちらのエリーナさん、でしたっけ?彼女に関して幾つかお願いと、こちらとしても是が非でも取り返したいものが幾つか御座いまして」
「取り返したい物?」
「はい。彼女が身に付けている、緑の石が嵌め込まれた指輪と耳飾りそれから首飾り。この三点なんですけど、我が主の家から盗まれた品々でして、本来王家の宝物庫に在るべき品々なんですよ」
この場には似つかわしくない、人の良さげなにっこりとした笑みを浮かべるライフ。
「それは……構わないが…………」
そんな宝飾品に何の価値があるのか、ミハエル達には想像も付かない。ライフ自身も、宝飾品の子細を回収前に語るつもりもないが、間が空くと興味が湧くのが人間の悪い癖。
『構わない』その言葉と同時に、エリーナの首と両の耳と指から宝飾品が独りでに外れ、ライフの手中……正確には、手の上に載せられた紅い布が敷かれたトレーの上にそっと鎮座した。
「それは、一体何なのだ……?」
「特別な魔道具です。指輪が肉体を奪い、耳飾りが運命を奪う。首飾りは他者を支配する……魅了の力を宿します」
「そんな物騒な魔道具をどうしてその娘が持っていたのだ?」
「さぁ、それはなんとも……。こちらとしても調査中ですので、詳細は申し上げられませんが……。そうだ!代わりに一つ良いことを教えてあげましょう。そこのエリーナさんですが、肉体は確かにエリーナさんですが、中身は全然違いますよ?ですから彼女の肉体はなるべく傷付けないであげてくださいね?」
「どう言うことだ……」
「その器は、隣国のとある貴族家の血筋に当たりますからね。下手に殺してしまうと後々厄介の種になりかねませんよ?」
「隣国の……!?」
訝しげに答えの続きを求めれば、魔族のライフからもたらされた内容は驚きを隠せない内容だった。
まず、エリーナの肉体と中身が別人であると言う事。そして、エリーナの肉体には隣国の貴族筋の血が流れていると言う事。
信じる信じないはともかく、早計な判断の元、下手な処分は避けるべきだ。
「して……真実のエリーナの魂とは、今何処に?」
その答えは、ライフも持ち合わせてはいないのか、困った顔を浮かべるだけだった。
「さて、何処でしょうねぇ?ですが、そう遠くないうちに帰っては来ますよ?ですからそれまで、その肉体は大事に保管してくださいね?……それではまた」
ライフは、言いたいことだけ言い終えると、答えは残したと言わんばかりに姿を消し去る。
「あはははっ……!!それなら、 私は傷付けられ無いわよねぇ?……そう。エリーナは、隣国の貴族の血筋なのね?それなら、私を隣国に送りなさい!!器の実家に乗り込んでやるんだから!!」
トリンド王国では、エリーナは傷付けられ無い。それなら私は、残り少ない時間、自由を手に入れて好きにするわ!!
そう、エリーナの肉体に宿る魂は思い直したのだろう。
「その者の処遇は、改めて沙汰する。それまで地下牢に放り込んでおけ!!」
「なっ!?結局地下牢なの!?ふざけるなよ!ふざけるな!!私は隣国の貴族なのよ!?身分があるのよ!?貴賓室を用意しなさいよ!!この唐変木!!くそジジイ!!
ランディールも、何ボサッとしてるの!?本当に役に立たないんだから!早く私を助けなさい!!あれだけこの体を好きにさせてやったでしょ!?最後の最後ぐらい役立ちなさいよ!!この役立たずの木偶の棒が!!」
ミハエルの命でエリーナは、白百合の間から引きずり出されるように連れ出された。最後まで抵抗し、姿が見えなくなるまで罵の言葉が止まることはなかった。
エリーナの叫び声を聞いていたランディールは、床を見る。正確には床を見ているわけではない。ただ、顔をあげることが出来ないんだろう。
そして、益々顔色を悪くさせている。肩が小刻みに震え、握りしめた拳からは僅かに紅い雫が流れ出していた。
ポタポタと床に広がり始める紅い色彩が、彼の心を語っているようで痛々しくてならない。
エリーナの言葉が事実なら、ランディール殿下はあの人と関係を持ったと言うこと。レティシアさんと婚約していて、それを破棄。ただの心変わりなら未だしも魅了さ正気に戻った……から、その時に訪れる沸き起こる懺悔や後悔とは如何様なものなのか。私に想像出来るものではない。
「ランディール。事の粗方は分かった。で、あれば相応の罰を与えねばならない。わかるな?」
「……はい。…………陛下」
掠れた、震える声を何とか絞り出すようにランディールは答えた。
「ランディール・トリンド。……そなたは廃嫡の上、西の離宮に生涯幽閉とする」
王の言葉は、まるで死刑宣告のように重く静かな音で耳に響いた。そこに父親としての情を感じさせない、感情の一切を排した冷徹な為政者の響きだった。
その言葉をランディール王子はどう受け止めたのか、最後まで言葉を聞き終えると、まるで支えを失った人形のように床に倒れた。
「ランディール……?」
死刑宣告のように宣言した先程とは打って変わって、倒れた息子を心配する色を滲ませる。ミハエルの声が上擦り、瞳が動揺に揺れていた。
「心労と過労によるものでしょう……」
医師の見立てでは、魅了が解けた事で今までの経過が鮮明に蘇り、その事実を受け止めきれなくなったのだろう、と。
ランディールもまた、レティシアに対しては加害者であると同時に、今回の一件での被害者でもあるから。
「元々……責任感が強くて気が弱い部分があったんだ。……だから、もしかしたら今回の一件が耐えられなくなったんだろうな」
王子の寝所には、国王ミハエルとジークベルト王子、そして何故か私もここにいる。
眠っているランディール王子の顔は、悪夢を見続けているのか苦悶に歪んでいる。粗い呼吸と時折魘されて、額から汗が滲んでいる。
ランディールを見下ろすミハエルの顔は、今はただの父親としての顔を覗かせている。
「だからと言って、許されるわけでは……」
ジークベルトも、ランディールを見下ろしているが、何処か冷めた目を向けている。
かといって、こちらも可愛がってきた弟だ。今すぐ許すことは難しくても、何時かは落ち着くときが来るのだろうけど……。
だけど、もしも逆の立場なら?と、考えてしまう。エリーナの魅了果たしてそれにジークベルトは抗えただろうか?国王ミハエルは?
もしかしたら、真理が居なかったら。異世界から持ち込まれた御守りが無かったら、レティシアが死に全てがエリーナの思いのままの世界になっていたかもしれないのだから。
何処まで、この少年の罪を問えると言うのだろうか?
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