ランディールの朝

「エリーナ……?」

 朝、目を覚ますとベッドにエリーナの姿が見えなかった。昨夜、欲望赴くまま彼女を貪るように抱き潰した。その自覚があったから、目が覚めたときこの腕の中に彼女の姿がない。その事で不安に駆られる。


 やり過ぎたかな……。

 求め過ぎて、嫌われてしまったのだろうか?

 だから、この腕の中に彼女はおらず呼んでも返事はない。


「エリーナ、何処だ?」


 起きながらベッドサイドに放り出されたままのガウンを拾い上げ羽織ると、ランディールは歩き出した。


「エリーナ!?エリーナどうしたっ!?」

 歩き出して十歩にも満たないところで、ランディールはエリーナの姿を見つける。

 床にうつ伏せに倒れていたのだ。彼女もガウンを纏っていたのだろう。しかしそれは、前が留められていないのか、はだけて広がっている……だけならまだしも、赤茶色に変色した色が、転々と滲み上がっているのが見えた。


 血だ。エリーナは、血を流している!?


 ランディールは、慌てて駆け寄りエリーナわ抱き上げた。そして言葉を失った。床に倒れた彼女のはだけて露になった前面、胸元から下腹にかけて赤く擦れて色が変わっていた。一部は化膿が始まり、黄色ばんだ膿が滲んでいる。また、無数に細かな赤い筋が残って傷が塞がりきらず、うっすらとだが、まだ出血させていた。


 痛ましいものを見た。

 彼女の絹のような手触りの柔らかく滑らかな素肌が赤く擦れた色に染まり、細かな傷が無数に付けられていた。首には、絞められた痕もある。紫に変色した圧迫痕と抵抗して出来たのであろう縦に走る爪で掻いたような傷跡が痛々しい。


「何が、有ったんだ……。一体何が……!?」


 息はある。胸も弱々しく感じるが上下に動いているのが見てとれた。エリーナは死んではいない。

 傷付いて、弱っているが生きている。

 その事だけに、酷く安堵を覚えたが、彼女を傷付けた相手に対しては深い怒りの念を覚えた。


 賊が侵入したのだろうか?そして、エリーナと遭遇した。エリーナは捕まり、これ程傷付けられ、抵抗虚しく倒れてしまった。そう言うことだろうか?それなら、俺は何故起きなかった?どうして無事だったのか。そして何より、何故、俺に助けを求めなかった!?



 そこまで、情況判断と自問自答をしたところで、床に寝かせたままではエリーナが可愛そうだと思い至る。慌てて、エリーナを抱き上げ、ベッドへと運んだ。

 ランディールは侍医を呼び、その処置を任せた。


 その間、昨夜の出来事を反芻する。エリーナとの情事を終えた後、ランディールはベッドに横たわった。エリーナと何か話をしていた様だったが、途中からが上手く思い出せない。


 何か、そう何か……。


 あの時、猛烈な睡魔に襲われた……それは、覚えている。


 何だ?あの時のあの異様なまでの眠気は……?



 侍医の手当てを終え、エリーナは侍女達によって身を清められ、ベッドの中に寝かされている。


「エリーナ。一体君の身に何が起こったと言うんだ……」

 エリーナの眠るベッドの脇に力無く座り込むランディール。

『早く目を覚ましてくれ』

 そう願い続けるがエリーナは、中々目を覚まさないままだった。




 ***




 夕刻、執務を終えたランディールの姿は、未だ眠り続けるエリーナの傍らに有った。

 ランディールの祈るような願いが通じたのか、その日の夜遅くエリーナは漸く目を覚ました。


 すぅっ…と、エリーナの水色の瞳が開くと朧気に視線を彷徨わせ、数瞬後にその視線がランディールに定まった。


「ラン……ディール……さま……?」


 ランディールの姿を認識したのか、エリーナは弱々しくその名を呼んだ。


「ああ。エリーナ、目を覚ましたのか。良かった……君がもう目を覚まさないんじゃないかと不安で一杯だったんだ……!!」


 ぐしゃり、潰れたように歪んだランディールの顔に、エリーナはうっすらとした微笑みを浮かべる。


「ごめん……なさ……」

「謝らなくていい!謝るのは、寧ろ謝らなくてはならないのは俺の方だ。エリーナが襲われているのに気付きもしないで……俺は……!!」

 ランディールの握る拳からは、余程強く握りしめたのか赤い滴が滴り始めていた。

「ランディール、さま……」

 エリーナはそっと、その手を握り、『癒し』の魔法を掛けていった。


「そんなに、握り締めてはいけません。傷がついてしまいます」

「エリーナ……!!君は、君の方が余程酷い傷なのに何て優しいんだ……」


 ランディールはエリーナの手を両手で包むと己の額に当てる。


 暫くその状態でいたかと思うと、ランディールの顔が上がり、エリーナの瞳を覗き込む。

「誰が、君にこんなことをしたんだ?昨夜、ここで何が起きた?」


 ランディールの言葉に、エリーナは怯えた色をその瞳に灯した。体か小刻みに震えている。


 辛い事を思い出させた。それでも、これ以上エリーナを傷つけない為には必要な事だとランディールは問うた。


 ―――何故、君がこんなにも傷付いたのだ、と。




「魔族……」


 ポツリと、エリーナは言った。


「魔族……?まさか、魔族がここに来たと言うのか!?それで、エリーナを襲ったと!?」


「はい……」


 コクリと一つ頷き、涙を滲ませ震える唇をエリーナは開く。


「レティシア様が……きっと、レティシア様が魔族と通じているのです。私の聖女の力を奪うために……。ランディール様、私怖いの。レティシア様が、もう手段を選ばなくなってしまったみたいで……」


 ポロポロとエリーナの瞳からは涙が零れていた。震える肩をそっと抱き寄せ、ランディールは、心の奥底からレティシアに対する憎しみを滾らせていった。


「…………や……る……」

「…………?」

「必ず、レティシアを殺してやる……だから、安心してエリーナ」


 ランディールの腕の中、抱き締められたエリーナは、体を震わせたままその口許は思い通りに事が動いたと満足げに弧を描いた。



「お願いね……。ランディール様」





 ***





「騎士団を招集せよ。北の森の大逆人、レティシア・シュトーレンの討伐を行う」


 王宮内の兵士・騎士達は、怒りに燃えた目をしていた。



 聖女エリーナ。



 瘴気が蔓延り始めた北の森で奇跡的に生き抜いてきた奇跡の少女。トリンド王国第二王子ランディールが保護し王宮に連れ帰った『聖女』。

 このトリンド王国の聖女に度々嫌がらせをしたり、傷付ける行いと毒殺容疑により北の森へ追放となったレティシア・シュトーレン。


 瘴気が蔓延した森で生き続けて尚、聖女エリーナの命を狙う大罪人。今回、レティシアは魔族を使ってエリーナを襲った。


 即ち、レティシアは闇に堕ち魔族と手を結んだ王国の敵である。


「はっ、殿下。至急編成を組み討伐準備に入ります!!」


 編隊を組み、物資を整え出発までに凡そ半日程で済むだろう。そこから北の森までは人数を確保すれば差ほどかからずにたどり着けるだろう。


 またしてもエリーナを傷付けた罪、許しがたい!!

 レティシア・シュトーレン。今回こそは、その命を持って償ってもらうぞ……!!

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