レティシアのミイラ事情

 魔界の王女ローザの執事ライトが、ザマァ候補者として挙げたのが、異世界『パンデルミナ』の公爵家元令嬢レティシア・シュトーレン。


 育ちも良く、品行方正才色兼備。緩やかな金の巻き毛に、明るい翠の瞳。白磁の肌に薄桃の頬、朱を差したような唇。どこからどう見ても高貴な貴族の令嬢で美しいとしか言い様の無い美貌の主だった。



 そう、あの日までは…………。



 この世界パンデルミナ。



 煌めく光の女神パンデルミナが創り出したこの世界は、上位世界の神々の戦により墜ちてきた飛来物により、急激な世界の変革が起こり変容を始めていた。その変容を少しでも遅らせようと女神は封印の眠りへと付いたのだ。



 女神の眠りより二千年の時を経た頃……。




 トリンド王国、王都トリドルの貴族邸宅街。その中でも一際大きく壮麗な構えのシュトーレン公爵家にレティシアは誕生する。


 可憐な容姿。何不自由なく心穏やかに育った彼女は、心優しく穏やかな少女に成長をとげる。十六歳のデビュタントの年、社交界に華々しくデビューを飾ると、会場の紳士達の目を片端から奪っていた。


「白百合のごとく美しき君。僕はランディール・トレンド。この国の第二王子です。どうか一曲、僕と踊っては頂けませんか?」


 ランディール王子は、栗毛色の短いストレートの髪を後ろ手に撫で付けた髪型で、青い瞳が情熱的な色合いと、どこか野性味を感じさせる男だ。



「はい。わたくしはレティシア・シュトーレンです。シュトーレン公爵家の長女に御座います。宜しくお願い致しますわ」


 差し出された王子の手に私も手を重ね、軽く体を沈めそして導かれるままホール中央へと歩みだす。


 曲にのせ、軽快な足運びをなさるランディール王子。身を任せるように、添うように流れに任せ踊るダンスは楽しくてあっという間に曲が終わったとレティシアは、感じていた、。


 勿論その間、ランディール王子と小声で少しお話も楽しんでいた。



 それから程なく、王家からシュトーレン公爵家に第二王子ランディールとの婚約話が持ち上がり、当然ながらレティシアの父シューマッハはこれを了承する。


 お父様は、狂喜乱舞大喜びでこのお話をお受けになられました。


 その後何度か逢瀬を交わし交際は順調そのものでしたの。




 …………あの方が現れるまでは。




 その日、ランディール殿下は騎士団の皆さんと北の森へ瘴気の発生と魔物の調査に向かいましたの。

 森の中は鬱蒼として、人が分け入るには未整備の箇所が多く調査は難航したのですって。


 何度かの魔物との遭遇に対戦を経て、瘴気溜まりと言うのも何ヵ所か見つけたそうよ。


 もう少し奥を調査しようか、引き返そうか判断に迷っているとき………………彼女は現れた。



 パキッ!小さな小枝を踏みつける音が、甲高く、乾いた音を奏でる。

「誰だ!?」


 ランディール王子をはじめとした騎士団に緊張が走る。今日は、大分魔物と戦い、いかに屈強な騎士達とはいえ、疲労が蓄積し初めていた。小物ならともかく、狼種等の俊敏や屈強さを兼ね備えるような魔物とは、これ以上戦いたく無いのが本音だった。


「………あ、あの……わたし……」


 木の影からおずおずと怯えたように出てきたのは、水色の瞳にピンク色のクルクルと緩い巻き髪の少女だった。背中には、大きなカバンと大きな布にくるまれた包みを背負い。右手には道歩き用の杖と、やはり手荷物の入った鞄を下げていた。


 薄い灰色の所々解れが有るものの決してみずぼらしい訳では無い、可憐に見える少女。


「僕はこの国の王子ランディール。貴女は誰です?ここで何をしているのですか?」


 ランディールは、一目見るなりエリーナの繊細な面持ちに目を奪われていた。

 何と言うか、『必ず護らねばならない』そんな使命感めいた思いと、『常に傍に留め置きたい』止めようの無い渇望めいた思いがせり上げてくるのだ。


「エリーナともうします。ランディール王子様。その…私はこの森の奥に、お婆さんと二人で暮らしていたのですが…。先日、高齢のお婆さんが神の身許に召されまして、わたし一人で……魔物が…怖くて、怖くて……町に…行こっ………」


 エリーナの言葉は、最後まで紡がれず、代わりに透明の雫が頬を伝い流れ落ちた。


 年の頃なら十六歳。エリーナと名乗る彼女は、レティシアと同じ年頃だった。森の奥にお婆さんと二人で暮らしていたのだとか。けれど最近になって、そのお婆さんが亡くなり、瘴気や魔物に怯え町に出る決意をして出掛ける所なのだと言う。


「それはお辛かったでしょう。たった一人の肉親を亡くされて、森の奥深く一人きりで過ごすなど……。わかりました。貴女の事は、この国の王子であるこのランディール・トリンドが責任を持ってお世話いたしましょう!!」


 ランディールはこのとき既に、エリーナの全てを面倒見るつもりになっていたのかもしれない。

「まあ!よろしいんですか!?私なんて、こんなにもみずぼらしくて、小汚ない娘なのに………。あ、でもお城で働けるなら嬉しいです!」

 エリーナは謙遜しつつも、その後の繋がりを求めるかのように、文不相応な城での奉仕を願い出る。

 その姿をランディールは健気で律儀だと感じていた。そして、やはり心が寄せられる不思議な感覚も感じていた。婚約者であるレティシアには感じたことの無いその感覚は、彼に『これが真実の愛なのだ』と感じさせるのに相応しいもので。

 エリーナをこの先自信の傍にどうやって据え置こうかと思案を巡らせていた。


「エリーナ。君はとても律儀なのだね。だけど安心して、城でのエリーナの扱いはだから。さ、ここではゆっくりも出来ないね。みんな分担してエリーナの荷運びを手伝ってやってくれ」

「は、承知しました。エリーナ様。さ、その荷物をこちらに。華奢な御身では、荷が勝ちすぎでしょう?」

 ランディールがそう言うと、騎士達はにっこりと微笑み、エリーナに荷物を預けるよう催促した。


「ま、まあ………そんな。王国の騎士様にそんなことさせられませんわ………」

「エリーナ、何て君は謹み深いんだろうね。だけどエリーナ、そのままじゃ馬にも乗せられないじゃないか。頼むから荷物は騎士達に任せて、君は俺の所に来ておくれ」

「ランディール王子様………」

 エリーナは、ランディールの言葉に困惑気味の表情を浮かべる。


「エリーナ様。城への帰着が送れてしまいます。これ以上の我が儘はいけませんよ?ランディール殿下もお困りですから」

 諭すように騎士に促され、渋々と言った呈でエリーナは騎士に荷物を預けた。


「さあっ、支度は整ったな!エリーナ!僕達の城へ帰ろう!!」


「きゃっ!ランディール様!?」

 ランディールは、自らの騎乗にエリーナを引き上げ前に乗せると、城に着いた頃にはすっかり打ち解け、まるで二人は恋人同士で有るかのような親密ぶりを見せるのだった。


 他の騎士たちも同様で、城に着く頃にはまるでエリーナを貴族の令嬢の様に扱い始め、ランディールの帰還を迎えたレティシアは大いに困惑するのだった。


 馬からランディールによって下ろされたエリーナは、初対面のレティシアにこう言ったのだ。

「初めましてレティシア様。私はエリーナ。今日からランディール王子様の元でお世話になります」


 ペコリと勢い良く頭を下げただけで、優雅さも繊細さも無い、無作法な動き。


 そんな娘が、ランディール王子の側に?


「ランディール様、これはどう言うことなのでしょうか?」


 レティシアが静かに訊ねるが、ランディールは、眉をしかめて怒鳴り出す。


「ぼくのやることに文句があるのか!?いいかレティシア嬢!エリーナは、今日から僕だけの客人だ。それも何よりも大切なかけがえの無いだぞ!?だから、君もエリーナを敬い尊重するんだ。良いね?」




 ――――――おかしい。何かがおかしい。



 みんなが、エリーナさんを受け入れている。それも異様な早さで、異様な目付きで。



 それは、まるで崇拝。



 それは、あたかも敬愛。



 それは、まさしく愛情。



 けれど、どんなにこれがおかしくても、異常な状況だと感じても、私にはどうすることも出来ませんでしたの………………。




 異変は、それだけでは無かったわ。突如として神殿に神託が下ろされ、森で保護されたエリーナこそが厄災と瘴気から王国を護る『聖女』なのだと告げられたの。


 それからはもう、何が何だか。ランディール王子とは、まるで恋人同士で有るかのよな立ち振舞いをして、その癖わたしを見るたびに嫌なことを言うようになったわ。


「ほら!レティシア様がわたしを睨んだ!!きっとわたしとランディール様の間を邪推しているのね?」

 彼女がそう言えば、ランディール王子はレティシアに怒鳴る。

「そんな目付きは辞めよ!!僕とエリーナ様はそんな不純な関係ではない!それなのに嫉妬するとは、浅ましいにも程があるぞ!!」



 またある時は、勢い良く側に寄ってきて、直ぐそばで転んでしまい……。

「ひっどーい!レティシア様が足を引っ掛けて転ばせたのよ!!」

 何ておっしゃいますの。そうするとまた、ランディール王子出番です。

「レティシア嬢、幾らなんでも度を越しているな!?これは、王子妃の座に座る者の所業では無いぞ!?」

 そんな風に、レティシアが「誤解ですわ」「違います」と何度否定しても、取り合われることは一度たりともなかったのだ。


 一体何事なのか、レティシアには全く理解出来ず、困惑していた。



 そんなことが数日続いたある日、ランディール王子と私、それからエリーナ様とお茶を楽しんでいる時、突然エリーナ様が血を吐かれたの。


 カチャンッ!

「うっ………?」

 ポタポタポタ………。


 紅茶を含んだエリーナの手から、力なくカップの取っ手から滑り落ち、テーブルに紅茶のシミを作る。

 小さな呻き声を上げると、口元を押さえるが、隙間から口の端を伝い滴る紅い滴が。


 その後も苦し気に身を捩らせた後、静かに椅子から転げ落ちていった。


「エリーナ!?ど、毒か!!毒が紅茶に……!?」


 そして、床に倒れたエリーナをランディールが抱え起こすと、エリーナの震える手がゆっくりとレティシアを指差した。


「あ………レ……シア……さま、に………」


 それが、決定打となった。



「レティシア嬢を捕らえろ!!」


 ランディールの命を受けた近衛達によって、レティシアは、直ぐ様捕らえられ城の地下牢へと放り込まれたのだった。



 この間、ランディールとエリーナの北の森での出会いから、わずか五日後の出来事であっる。



 ◇◇◇



「レティシア・シュトーレン、聖女エリーナ毒殺未遂並びに障害・未遂の罪で北の森に封冊を命ず!!二度と北の森から出てこぬよう、常に監視が付けられ、森から離れられぬよう呪いが与えられるものとする!本来なら処刑と成るところだが、罪人はまだ十六歳と若い。存命させるのは、聖女エリーナ様の御温情である。己の犯した罪を反省し聖女エリーナ様に感謝の思いを忘れるでないぞ。森の奥深くで、慎ましく暮らすがよい」


 それから僅か三日後、北の森の奥深くエリーナの生家だと言う山小屋の様な家で、レティシアは暮らさなくてはならなくなった。


 レティシアに付けられた侍女は四人で、公爵家から馴染みの侍女を連れていくことは許されなかった。代わりに王宮から派遣されたわけだけれど、レティシアは見知らぬ者達でいささか心許なかった。



 そして、異変は直ぐ様に起き始める。

 朝目が覚めると体が重く、思うように動かないのだ。

「レティシア様、朝ですよ。朝食の用意が整いました。起きてくださいませ」

 どこか冷めた声音と冷たい視線の侍女がレティシアに突き刺さる。


「は…い。今、起きますわ………」

 この森に封じられて、たったの一日だと言うのに異様に怠く体が重いのだ。ノロノロと起き出し、心通わぬ侍女に手伝って貰いながらドレスに着替えを済ませた。


 それから数日後には、朝食の最中に急激な睡魔に襲われ、目の前がくらくらとグルグルと回り始め食事所ではなくなる。

「ごめんなさい………とてもじゃないけれど、気持ちが悪くて食べられそうにないわ………」


 そう言い残し、再びベッドへ。その間に何故か二人の侍女が消え、その後も食事をとろうとする度に吐き気に襲われていた。


 そんな日々が数週間。レティシアの状態は益々悪化し遂には、ベッドから動けなかった。


 何とか死なずに今日まで過ごすことが出来ていたのは奇跡的だった。。


 レティシアのやつれ度合いが目立ち始めると、自分達の立場も悪くなると感じ侍女達は考え始めた。感じたのか、ベッドから動けないレティシアを残して残りの侍女二人も姿を消していた。



 ただ一人残されたレティシアの体は、自力で動かせず、何時しか肌は黒ずみ、口は半開き、やつれ細ったミイラ紛いのレティシアが出来上がったのだある。




 誰も、いなくなった。名前を呼んでも、誰もここに来はしない。


 水は、水差しとベッドのサイドテーブルにある。だけどそれも程なくからになり、起き上がることすら出来なくなってしまったの。



 もうダメ………。



 何も、分けもわからずこうしてここで、私は死を迎えるんだわ………。





 何もかも諦めた―――そんな時だった。


 異世界の悪魔ライトが現れたのは。





「いつまでそうしているつもりです?悔しくないんですか?」




 それが、彼女の藁とも言える一本の光となった。

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