一人前

吉川 「一体いつになったら一人前に認めてくれるんですか?」


藤村 「まだわからないようだな。確かにお前の腕ならどこに出してもやっていけるだろう。でもこの店でやるからにはまだまだと言わざるをえない」


吉川 「ヘンッ! そんなこと言って、俺の実力をひがんでるんじゃないんですか? あっという間に上手くなったもんだから」


藤村 「やれやれ、一度痛い目に見ないとわからないようだな。理容というのは単なる客商売じゃない。客の喉元に刃物を突きつける、その信頼関係の上で成り立ってるものだ。思い上がった傲慢な小僧にはまだ早いというのだ」


吉川 「そんなことはわかってますよ!」


藤村 「いや、わかってない」


吉川 「なんて頑固なんだ」


藤村 「うちの店がどんな店だかわかってるのか?」


吉川 「1000円カットの店でしょ?」


藤村 「そうだ。その1000円カットの店に来る客というのはどういう客だ」


吉川 「そりゃ、急いでるとか。あんまりお金をかけたくないとか」


藤村 「違うな。1000円カットの店に来る客と言うのはな、できれば髪を切るのに金なんか払いたくないという最悪のキモ人間だ」


吉川 「え、それは言い過ぎじゃ……」


藤村 「ファッションには一円たりとも使いたくないが、髪が伸びて同しようもないかしょうがなく来たという清潔感をドブに捨てたようなクズどもだ」


吉川 「そういう人ばかりじゃないと思いますよ?」


藤村 「そんなやつらしか来ない」


吉川 「やつら。お客様ですよ、一応」


藤村 「頭だっていつ洗ったんだかわからない。風呂だって入ってるのかわかったもんじゃない獣以下のクサクサ妖怪だ」


吉川 「偏見ひどくないですか? そういう気持ちでいつも切ってたんですか?」


藤村 「そんな相手にお前はきちんと技術を使って整えようとしてる。あいつらは適当に目をつぶって切ってればいいんだ」


吉川 「どう考えても俺の方が正しい気がしますけど」


藤村 「なんだったらちょっとくらい耳を切ってもいい」


吉川 「ダメでしょ。なんてこと言ってるんですか」


藤村 「そういうやつら相手でも嫌な顔ひとつしないでカットすることができる。それこそがプロに求められるものだ」


吉川 「嫌な顔してるじゃないですか。そもそもそんな風に思わないですよ、普通は。お客様なんだから」


藤村 「どんなに技術を尽くした髪型にしようと、顔も服も体型も全部ダサいからこっちの仕事を台無しにされる。そんな相手でも断れないんだぞ」


吉川 「そんな言い方ないでしょ。このお店に来るだけいいじゃないですか。ここにすら来ない人だっているんですよ。せっかく来てくれたお客様に対してそれはないでしょ」


藤村 「それはもう人とは言えないから」


吉川 「言えるよ。それも人だよ。どうしたんですか? 仕事が忙しすぎて精神が病んできてるんじゃないですか?」


藤村 「そんなクソみたいな客の前に手塩にかけて育てたお前を出すことなどできない!」


吉川 「深い愛情! 急にそういう関係性出してきた。けど、あまりにも客のことを下に見すぎてて全然受け入れられない。頑張りますよ、俺。だから少し休んでてください」


藤村 「そうか。独り立ちの時が来たか。今までどんな客が来ようと我慢に我慢を重ねて耐えてきたが、そんな日も今日で終わりか」


吉川 「これからは俺が頑張りますから」


藤村 「だったらまずこれを切ってくれ」


吉川 「なんすかこれ。チョキンッ」


藤村 「堪忍袋の緒だ」


吉川 「次の客で惨劇が起こるじゃないですか!」



暗転

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