風邪

実況 「さぁ! 吉川、ふらつく足取りで今、ゆっくりと体温計に手をかける!」


解説 「検温ですね」


実況 「そして今、脇にガッチリと決めたー!」


解説 「いい位置に決まってますよ」


実況 「絶叫! 情念! 吉川の血が滾る! 情熱の炎がその身を焼き尽くすのかーっ!?」


解説 「電子音がなりましたね」


実況 「躍動する上腕二等筋! 人類が機械に望んだ結果が今! 出ようとしているーっ!」


解説 「37.3℃ですね」


実況 「微熱だー! まさに、人間火力発電所! その体温はとどまることを知らないのかーっ!?」


解説 「おや、これは……」


実況 「そして吉川! 目の前のお椀を高々と持ち上げたーっ!」


解説 「おかゆですね」


実況 「そして、右手でスプーンを……」


解説 「いや、よく見て下さい」


実況 「これは、レンゲだーっ! おかゆを目の前にしてレンゲで挑むとは、この男、どこまで挑戦的なのか!」


解説 「予想外ですね」


実況 「そして、レンゲを今、おかゆに差し込み、肩まで持ち上げるーっ!」


解説 「銀シャリです」


実況 「吉川、口を大きく開き、レンゲに噛み付いたーっ!」


解説 「あぁっ! これはいけません」


実況 「噛み付いたと思われたが、慌てて口を離す!」


解説 「アツアツですね」


実況 「吉川予想外のダメージ! おかゆもただではやられない。秋田産まれの気概を見せ、反撃に転じたーっ!」


解説 「気をつけないといけませんね」


実況 「しかし、吉川、またもやおかゆに挑む、その姿はまるで、風車に挑むドンキホーテのようだっ!」


解説 「今度は慎重ですね」


実況 「吉川、肺一杯に息を吸い込むと、おかゆに吹きかけたーッ!」


解説 「フーフーですね」


実況 「自然の持つ脅威か!? 吹きかけられる豪風により、瞬く間におかゆが冷却されていくーッ!」


解説 「いいですよー。食べごろです」


実況 「そして、一口に飲み込むと、これでもかとばかりに咀嚼する! この男、どこまで噛み砕けば気がすむのか! こめかみが、オートメーションのように絶え間なく上下する。その姿は、まさに一人産業革命だーっ!」


解説 「食べるペース速いですね」


実況 「絶え間なく、途切れることなく、食べつづける。この男を突き動かすものはなんなのか!?」


解説 「食欲ですね」


実況 「そして今、最後の一口を飲み下す。人類誕生400万年。その、一つの結果として、おかゆが胃の中にすいこまれましたっ!」


解説 「お百姓さんに感謝しなければなりませんね」


実況 「そして、あぁーっと! 今度は薬瓶に手をかけたーッ!」


解説 「飲みやすい糖衣錠です」


実況 「そしてそのキャップを、渾身の力をこめてひねる! まるで首をねじ切らんとばかりに、どこまでも容赦しない男。俺は開けるんだ、どうしてもキャップを開けてやるんだ。その決意の表れか! キャップにかかる加重が、ついに臨界点をむかえるー!」


解説 「開きました」


実況 「そして、錠剤を……一粒! 二粒! 三粒!」


解説 「大人ですからね」


実況 「すばやく口の中にほおりこむと、油断するまもなく、水を飲み込んだー!」


解説 「水道水です」


実況 「まさに口の中は大洪水状態! ノアの箱舟はどこに行ってしまったのか!? 彷徨える子羊は、一体どこに行こうとしてるのかーっ!?」


解説 「あぁっ! これは……っ!」


実況 「おおっとぉ! しかし吉川、ここで全ての力を使い果たしたのか、ダウン! ダウンですっ!」


解説 「就寝です」


実況 「その身をベッドに横たえ、目をつぶる! 立てない! 吉川立てない! ここで終わってしまうのか! 伝説は、ここについえるのかーっ!?」


解説 「おやすみなさい」


実況 「カウントテン! 吉川、立てず! ついに宿敵、風邪の前に膝を屈する形になりましたーっ!」



暗転

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