第66話 帰路
「さて、そろそろ帰らないと暗くなってしまうな」
魔力切れを起こしたリディの回復を待ち、その後はリディがジャッカに魔力運用のコツを習っていた。
しかし、話している時間はあっという間に過ぎるもので、もう日が傾いて来た。リディ達はそろそろ町へ戻らないと、日が暮れる前にヘニーノへと辿り着けなくなってしまう。
「ん、戻るのか?」
「あぁ、町でやることもあるしな」
もともとリディ達は最近流れ始めたという豪魔素材の話を探るためにヘニーノへとやって来た。あまりそちらが疎かになってもいけない。
「そういや、あんたらは旅人さんだったな」
「あぁ……そうだ! ジャッカなら聞いたことがあるんじゃないか?」
「何がだ?」
リディはヘニーノの町を訪れた経緯を説明し、ジャッカの知っていることを聞いてみる。
「なるほど、豪魔素材……ね」
「何か知っているか?」
「俺は素材は自分で採っちまうから、流通に関してはあまり詳しくねぇんだが。そう言えば剣の卸先の武器屋のオヤジが豪魔素材云々について言ってたな」
ジャッカは顎髭をいじりながら、思い出すように視線を虚空へと向ける。
「なんて言っていたんだ?」
「わからんって」
「えっ?」
「武器屋のオヤジがわからんって言ってたんだ。豪魔素材を売りに来るやつがいるのは確かだ。だが、そいつがどこの誰なのかがわからんらしい」
ジャッカが武器屋のオヤジから聞いた話をまとめると、ここ最近になってヘニーノに豪魔素材を売りに来る人物がいることは確からしい。
しかし、その人物と取引した素材屋の話によると、その男は名を名乗らず、どこから来たのかも明かさなかった。
ただし、その男が持ってきた素材は品質もよく、昔持ち込まれていた素材に勝るとも劣らない品だった。初めて現れて以来、その男は稀に豪魔素材を持ち込むようになったが、未だにその男が何者で、どこから素材を持ってきているのかは、誰も知らないとのことだった。
「まぁ、武器屋のオヤジも人づてに聞いた話らしいから、信憑性は低いがな」
ジャッカは最後にそう付け加えた。
「いや、豪魔素材を売りに来る人間が本当にいることがわかったことだけでも収穫だ。町に戻ってこちらで調べてみる」
「おう、帰り道気をつけるんだぜ。コジミにもよろしくな」
ジャッカは家の前まで出て、リディたちを見送ってくれる。
「っとそうだ。こいつを渡さねぇとな」
リディ達がその場を離れようとしたところで、ジャッカはポケットの中をゴソゴソと漁り、木製の首飾りのようなものを取り出した。木でできたタグのようなものに、首にかけられるように紐がついている。
ジャッカはその首飾りをリディに向かって差し出す。
「これは?」
「依頼完了の証だよ。ギルドでこいつを見せれば、完了扱いになる」
本来であればヒジカ退治のときのように、依頼者と受託者がギルドに報告して初めて依頼達成となる。しかし、ジャッカの場合はギルドまで遠いということと、ギルド職員と懇意にしていることもあり、ジャッカがギルドへ赴く代わりに、この首飾りをギルドへ提出することで、依頼者としてのジャッカの報告を省略してもよい手はずになっているとのことだった。
「ギルドの職員に渡せばよいのだな」
「あぁ、そいつを見せれば、あとは良いようにしてくれるさ」
リディはジャッカの首飾りを受け取ると、ジャッカに対して改めて礼を言い、ニケとともにジャッカの家を離れた。
町に戻るため、ケルベ達はまた散り散りになって行動し、リディとニケはヘニーノへと徒歩で戻るため、行きに通った獣道のような整備されていない道を辿っていく。
行きと帰りでは見える景色が変わる。見慣れぬ土地では、時折振り返って帰り道に見ることになる景色を確認しておくのが、迷わないコツだったりするのだが、ジャッカの家からヘニーノまではほぼ一本道であり、そんな豆知識はあまり役立ちそうにもない。
行きに通った森の中をリディとニケはずんずんと進む。行きはジャッカの家までかかる時間がわからなかったため、やたらと長く感じたが、帰りはどれだけかかっているかがわかっている。霧の中を歩いているような心持ちだった行きに対して、帰りの足取りが軽く感じるのは気のせいではないだろう。
そんな帰り道の道中だった。
道の先に行きにはなかったモノをリディの目が捉える。
自然に包まれた景色の中でソレは明らかに異質なものだ。これが町中だったならば違和感はなかっただろう。
森の肥えた腐葉土の上に敷物を敷き、その上には所狭しと装飾品の類の品が並べられているのが見える。
敷物の上にあるのは当然ながら商品だけではなく、品を商う商人がいる。
その商人はフードを目深に被り、顔はリディからは見えないが、小柄な体は年老いているようにも、子供のようにも見えた。
こんな、誰が通るかもわからぬ、いや誰も通らないかもしれない獣道の如き森の中でリディを待ち構える商人は明らかに異質だった。
リディとニケはその存在を確認しても歩みは緩めず、スタスタと歩いていく。
やがて商人との距離も近くなり、フードから覗く口元が見えてくる。その口元は口角がやや上がっていて、フードの下のしたり顔が透けて見えるようだった。
一陣の風が獣道を駆け抜け、木々の葉をカサカサと揺らす。
そんな風のようにリディとニケも森を進んでいき、商人の待つ場所へとたどり着き、そして……。
――素通りした。
「ちょいちょいちょーい!!」
通り過ぎたリディ達に、後ろから声がかかる。
振り向くと商人は敷物から飛び出して、リディたちの下へ駆け寄ってきていた。
「ちょっと! こんだけお買い得な品を並べてるのになんで寄っていかないんですか!」
「いや、こんなところでやっている露店など、怪しすぎて近寄りたくないのだが……」
町中に並んでいる露店ですら、品が確かなものか、値段は適正かということを気にするというのに、こんな怪しげな露店を警戒しない訳はなかった。
「まぁまぁ、そう言わずに見ていって下さいよ。損はさせませんよ」
「はぁ……まぁ、見るだけなら構わんが」
リディのその反応を聞くや、商人はリディの腕をぐいぐいと引っ張り敷物のところへと戻っていく。そうやって動きながらもローブの下の素顔は見せないのだから器用なものだとリディは思った。
「老婆みたいな喋り方は止めたのか?」
「えっ!?」
腕を引っ張っていた商人はリディの言葉を聞いてその動きを止める。
「な、なんのことです?」
リディの方は振り向かずに、商人は知らぬ存ぜぬの言葉を返すが、その様子は焦りがローブを透けて見えるようだった。
「そ、そんなことより、見ていって下さいよー。選りすぐりの商品を集めたんですから」
商人は今度はリディの背後にぐるりと回り込み、露店のところまで背中をグイグイと押して行った。
商人の言った通り露店の敷物には様々な品が並んでいる。
「疾風のイヤリングに大地のペンデュラム、業火の雫なんかもあるんですよ」
商人はスラスラと商品名を読み上げる。しかし、どれもリディが聞いたことのない品だ。それぞれ一点物の装飾品の類であるように見えることから、この商人が適当につけた名前の可能性もある。
ただ、それぞれの装飾品に使われている石は、リディの剣についている石と似た力を感じる。つまり、ジャッカが言っていた精霊石を使っているようにリディには見えた。
「これは、精霊石ってやつ……か?」
「よく知ってますねー。そうです! ひょっとして目利きとかできる人です? いやー、商売やりづらくなっちゃいますねー」
商人の怪しさは際立っているが、露店に並ぶ品は確かな価値があるものにリディには見えた。先程ジャッカの小屋で精霊石の剣の威力を見たばかりだ。精霊石が使われた品に対する好奇心が湧いてくる。
「これは、いくらだ?」
リディは商人が『疾風のイヤリング』と呼んだ品を指して、値段を聞いてみる。リディが使っている剣は風の精霊石があしらわれている。同じ種類のものを集めた方が良い気がした。
「えーっと360万ジルっすね」
「……は?」
「360万ジルっす」
「……」
「360ま――」
「そんな金あるかっ!!」
リディの大声を避けるように商人は両手でローブ越しに耳を塞ぐポーズをする。
リディの反応がわかっていたような、素早い反応だった。
リディの手持ちは10万ジルを切っている、だからヘニーノの町でジャッカの依頼を受けたのだ。商人の言う大金など持っているはずもなかった。
「ちっ、湿気ってますね」
「その湿気ってる奴を無理やりここまで押し戻して来たのはあんただぞ」
リディの言葉を聞いて、商人はひゅーひゅーと吹けない口笛を吹いた。
「ま、いいです。金持ってるなんて期待してないですから」
「じゃあ、何の用なんだ」
「これですよ、これ」
そう言って商人は懐からあるものを取り出す。
「これは、前にもらったやつか?」
「そうですっ! あ、いや。ま、前にもおんなじモノもらったんです?」
リディの前に掲げられたのは青い石のついたペンダントだった。
そして、同じものがリディの首元にもある。
リディは首元のペンダントを持ち上げ、受け取ったものと見比べる。
リディは鉱石の詳しいことはわからないが、両者を比べてみると個性の違いはあるものの、同じ種類の鉱石のように見えた。
「なんで、もう一つくれるんだ?」
「……その石、持っていてよかったですよね?」
商人はリディの問いには答えず、逆に問いかける。
「あぁ、これがあって助かった」
ふざけた印象のない真摯な問いかけに、リディは素直に返事をする。
イダンセでキドナが侵された瘴気を祓うことができたのは、この石のおかげだ。
この石に助けられたのは疑いようのない事実だった。
「だから、あげます。あぁ! 今ならオマケにこいつも付けちゃいますよ!」
そう言って商人はローブのポケットから小袋を取り出すとリディの手のひらに乗せる。
リディが袋を開いて中を見ると小さい丸薬のようなものが一粒入っていた。
「なんだ、これ?」
「薬です。家の倉庫を整理してたら出てきたんです。どんなキズもたちどころに治すって書いてあったんすけど、ホコリかぶってて自分では食べる気にならないんであげます」
「そんなものくれるな」
「まぁまぁ、タダなんだから貰っておきなさいよ」
「タダより高いものはないともいうぞ」
「損はしないですよ……たぶん」
そのまま押し切られてリディは小袋をとりあえず、自分のポケットに入れておいた。
後で宿のゴミ箱に捨てようと思ったのは、商人には気取られなかったようだ。
「さてと、用事も済んだし店じまいっすかね」
商人は、商品を載せたまま敷物の四隅をまとめ、畳み始める。当然商品はグシャグシャにまとまって敷物に包まれるが商人がそれを気にする素振りもない。
その状態のまま敷物を風呂敷代わりに荷物をまとめ、まとめられた商品を背負う。
「じゃ、私は先に王都に戻ってるんで、この先も気をつけてくださいね―」
歩き出した商人はすれ違いざまに、リディにそう告げた。
「あぁ、……ってお前やっぱり!」
リディが振り返ったときには、今そこに居たはずの商人の姿はもうなかった――。
「……やっぱり、変な人だね」
「あぁ、変なヤツだな」
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