第65話 評価

 お茶を飲んで人心地ついた後、リディ達は小屋の外へと出てきていた。

 ジャッカの小屋の裏手には、鍛造した剣を試し斬りするための広場のようなものがあり、今はそこに集まっている。


「さて、評価だったな」


 ジャッカは目を閉じて顎髭をいじる。


「ふーむ、何と伝えるべきか難しいとこだが……」


 ジャッカは閉じていた目を開きリディを見据える。値踏みするように見るその視線は、リディに居心地の悪さを感じさせる。


「戦士としては及第点ってとこだな」

「悪くはない、ということか?」

「まぁ、ゴーレムを一人で倒せてるからな」


 リディ自身の感覚としては、ゴーレムに対し今回ひどく苦戦したため、ジャッカのこの評価は意外なものだった。


「ゴーレムは洞窟からでねぇからあんまり危険視されねぇが、ありゃいっぱしの戦士でも苦戦することがあるめんどくせぇ魔獣だ。あいつを倒せりゃ腕前としては十分だろ」


 実際リディも自信が並の剣士よりも実力は上だと思っていたが、ゴーレムにはひどく手こずった。剣で体を削れども、ゴーレムの体は徐々に再生し、戦っている最中は終わりのない戦いのように感じられた。


「ジャッカはあっさり倒していたと思うのだが」

「そりゃおめぇ、俺がちょーつえーからよ」


 リディの言葉にジャッカは謙遜するでもなく『がっはっは』と大口を開けて笑った。


「まぁ、嬢ちゃんの一番もったいねえところは、その剣を使いこなせてねぇところだな」


 ジャッカの言葉を聞いてリディは、洞窟に入る前にジャッカが『もったいない』と言っていたことを思い出した。リディはあの時ジャッカの言った『もったいない』という言葉に引っかかりを覚えていた。


 リディ自身は剣を使いこなせている『つもり』ではあった、この剣はジャッカの言う『精霊石』というものによるものなのか、とても軽く、リディの思う通りに動いてくれる。

 だから、リディ自身もこの剣を使いこなしうまく扱えている、とそう思っていたのだ。


「疑っちまった詫びと、仕事を手伝ってくれた礼に剣の使い方を教えてやるよ」


 ジャッカはそう言うと広場にある大きな岩の近くへと向かう。


「嬢ちゃんの全力でこいつを斬ってみな」


 ジャッカは手でポンポンと岩を叩きながら、リディにその岩を斬るように指示を出した。


「ゴーレムのときにも言ったが、この剣では岩を斬るのは無理だぞ」

「……まずはやってみ。刃こぼれは気にしなくていい。万が一起こしても俺が治してやる」

「わ、わかった」


 ジャッカの有無を言わさぬような雰囲気に押され、リディは岩に向き直る。

 目を閉じ、呼吸を落ち着けてから剣を構え、『剣』に魔力を流し込む。リディの魔力に呼応して剣の刀身が淡い光を帯びる。


 集中が高まったところで、リディは目を見開き、狙いを定めて剣を思い切り振り下ろした。


 広場に甲高い音が響き渡り、剣を握っていたリディの手に衝撃が走る。剣は岩に跳ね返され、その反動でリディの体の軸がブレてよろけた。


 岩を見ると傷一つ入っておらず。リディの岩切りが失敗に終わったのは明らかだった。


 しびれが残る手を見つめて、リディは前にもこの感覚を味わったことを思い出した。

 リディとニケが初めて出会った時。そう、ケルベに斬りかかったときだ。


 あの時の強大な壁に跳ね返されるような感覚がリディの手に残っていた。


「今のが本気か?」


 手のひらに残る感覚に気を取られていたリディにジャッカが声をかける。


「あ、あぁ。私なりに思い切りやってみたつもりだ」

「剣を見せてみろ」


 リディから剣を受け取ると、ジャッカは剣を翳して刀身を確認する。ジャッカの目に写ったのは、あれだけ強く岩に叩きつけたにも関わらず刃こぼれ一つしていない綺麗な刀身だった。


「良い剣だ」


 ジャッカは目を細め、愛でるようにつぶやいた。


「だからこそ、もったいねぇ」


 剣を見ていた目をリディに向けて、ジャッカはため息を漏らしながら言葉を零した。


「『私』の何が、悪いのだろうか?」


 リディにもジャッカの言いたいことがわかってきた。ジャッカが岩を斬ることができて、リディが斬ることができないのは剣の違いが大きいとリディは思っていた。


 しかしそうではない。

 ジャッカは先程から言っている。『使いこなせていない』『もったいない』と。

 正すべきは『剣』ではなく『自分』。リディはどうすれば剣の力を引き出すことができるのか、その答えをジャッカに求めた。


「手本を見せてやる」


 ジャッカは剣に加えて、リディの腰にある鞘を借り受けると岩に向かって正対する。


 鞘に剣を収め、深く腰を落とし、洞窟でゴーレムを斬ったときのような集中を見せる。

 今日は暖かいはずなのに、ジャッカの周囲だけ冷気が漂うようにひやりとした感覚をリディは感じた。ジャッカのその雰囲気にリディもニケも目が離せなくなり、思わず息が止まる。


 ジャッカは眼光鋭く眼前の岩を見定めると、剣に魔力を流し込む。

 淡い緑の光を纏っていたリディの剣は、ジャッカの魔力を帯びて鞘から赤い光が漏れる。


「ふうううぅ」


 ジャッカは息を大きく吐き、ぴたりと呼吸を止める――。


 そして、一気に剣を振り抜いた。


 赤い閃光が一瞬だけ煌めいた。岩を薙いだのは一筋の赤い光。

 緊張が解け、リディが忘れていた呼吸を思い出した時、真っ二つに斬られた岩の上部が断面を滑り、大きな音を立てて地面へと落ちた。


「ま、こんなもんか」


 剣を鞘に収め直してジャッカはリディたちを振り返る。

 リディの口は開いたまま塞がらなくなっていた。


 同じ剣を使ったのに、使い手の技量によりここまでの差がでるのかと驚き。そして、今までの自分の剣の使い方は何だったのかと情けなさが湧き。それから、自分のジャッカのように扱えるようになれば、と喜びすらも湧いてきた。


「ほ、本当に使い方が違うだけなのか……?」


 リディはジャッカから受け取った剣を鞘から出し、剣をまじまじと観察する。

 ジャッカが込めた赤い魔力は影も形も残らず、元の淡い緑の刀身だけがリディの目に映っている。


「俺とこの剣は相性が悪いからな。この剣の本当の力はあんなもんじゃねぇぞ」


 リディの剣の精霊石は風の魔力、つまり緑色の魔力を帯びている。対してジャッカは炎の扱いが得意な赤い魔力の所有者だ。


 色の異なる魔力が重なると、魔力は濁り、本来の力を発揮できない。だから、ジャッカは己の魔力を使い、剣を赤い魔力で染め上げてから剣を振るった。だが、元々緑の魔力を持つものであれば、そんなことは不要であるし、さらには剣の魔力も自身の魔力に上乗せすることができるのだ。


「私も剣に魔力を込めているのだが、何が違うんだ……」


 リディは手に持った剣に軽く魔力を流してみる。ジャッカがやっていることと同じはずなのだが、やはり手に持つ剣で岩を斬ることができるイメージが沸かない。


「それだよ」

「え?」

「嬢ちゃん、『剣』に魔力を流すっていう感覚なんだろ? それがダメなんだ」


 リディの剣を持った手元を指差し、ジャッカは説明を始める。


「剣と自分が別物だという感覚だと、無意識に抑制が効いちまってしみったれた魔力しか流れねぇ。まぁそれは当然だ、魔力は基本的に自分の体にしか流れねぇからな。だから、そんな状態で剣に流れる魔力は、言わば『死んだ魔力』だ」

「だとすると、どうすれば……」


 ジャッカの言っていることは理解できる。だが、どうすればいいかがリディにはわからない。


「剣はな、体の一部なんだよ。嬢ちゃん怪我したところに魔力を循環させて、治癒力を高めることはできるか?」

「あぁ、できるが、それが?」

「それと同じ感覚で、剣を治すイメージで魔力を循環させてみな。剣は嬢ちゃんの腕であり、足であり、頭であり、そして、心だ。自分が大怪我を負ったと想定して全力でキズを癒すつもりでやってみろ」


 ジャッカからコツを聞き、リディは改めて剣に魔力を込める準備をする。

 剣のグリップに力を込め、手からさらにその先へ自分の腕が伸びているように意識する。


 そして、以前怪我を負ったときのことを思い出して、怪我をしたところへ魔力を流すイメージで、手のさらに先へと魔力を循環させてみた。


「うっ」


 違和感はすぐに訪れた。

 魔力で剣が光るのに呼応するように、リディの全身から力が抜けていく。

 だが、緑に輝く剣からはリディが今まで感じたことのない力が感じられる。


 ――今なら何でも斬れる。


 そう感じられる程の力だ。


「へばる前に剣を振ってみな」


 ジャッカが親指で岩を指し、リディにそう促す。

 リディは力が失われていく体に逆らい、鉄の塊のように重たくなった腕をなんとか持ち上げ、目の前に立ちはだかる岩を目がけて、剣を振り下ろした。


 岩に剣が当たった時、反動がなかった。


 まるで、切れ味の良い包丁で柔らかいものを斬るように、あっさりと刃が通っていく。

 剣はそのまま岩を両断し、それと同時にリディも地面へと倒れ伏した。


「はぁ、はぁ、何だ……これは?」


 リディは体に力を入れることができず、倒れたまま顔だけ横に向けてジャッカの方を見た。


「だっはっは、お前さん素直だな。そりゃ魔力切れだよ。少しすれば動けるようになる」


 深刻な状態と認識しているリディに対して、ジャッカは豪快に笑ってみせる。


「その状態になったってことは、俺の指示した通りに、剣に魔力を注ぎ込めた証拠だ。嬢ちゃんセンスあるぜ」


 ジャッカは地面で寝ているリディに向かってぐっと親指を立てて、白い歯を見せた。


 リディは元々剣に魔力を流し込むのが上手くできずに、剣の本当の力を引き出せていなかった。そこで、ジャッカの助言に従い、剣を体の一部と思うことでリディの体を流れる『生きた魔力』を注ぎ込むことができた。


 ただ、この『生きた魔力』を注ぎ込むのがリディは、初めてだったため、加減がわからず、剣に体中のありったけの魔力を注ぎ込んでしまい、今この状態になっている。


「初めはそれで正解だ。魔力を絞る加減は後で覚えていけばいい。最初から抑制した状態を覚えちまうと、自分の全力が把握できねぇからな」


 ジャッカはリディの近くに屈みリディの顔を覗き込む。


「今の感覚をよく覚えておくんだぞ。あれが嬢ちゃんが全力で剣の力を引き出した状態だ」

「だが、あんなのずっと維持できないぞ」

「そりゃそうよ。ありゃずっと魔力垂れ流しだからな。大穴が空いた樽と同じだ。すぐに空っぽになっちまう」


 人の魔力は有限だ。放出すればするだけ減っていき、一定量を出し切ると空になる。

 今のリディがその魔力が空になった状態だ。


「だから、剣に流す魔力を絞るんだ。剣は流す魔力が多いほど切れ味が増していく。だが、簡単に斬れる物のために大量の魔力を流すのは無駄だ。斬るものを見極め、必要最低限の魔力を流すのが、俺みたいな達人の技よ」


 ただ垂れ流すだけの魔力は多くが無駄になる。魔力を効率よく使うには、必要な魔力量を見極め、『絞り』を効かせることが重要なのだとジャッカは教えてくれた。


 そして、それは魔力の節約以外にもう一つ効果がある。水を入れた容器に小さい穴を開けて圧力を加えると、小さい穴から鋭く水が吹き出す。

 魔力もこれと同じで、出力を絞ることで鋭い魔力になる。ジャッカはこの技術をうまく運用して、魔力を節約しつつ、あの芸当を実現しているのだ。


「理屈はわかるが……練習が必要だな」


 士官学校でも、騎士団でもジャッカの言う魔力の使い方を習ったことはなかった。

 そもそも、魔力に使い方は普通に魔法を放つのに使用するのが一般的で、身体強化を行ったり、武器に流し込んで使うのは、魔力量の多い者に限られている。

 使用者の絶対数が少ないがゆえに、それに関連した技術の継承が上手くいっていないという現実があった。


「変えていかねばな……」

「あん?」


 ちいさく呟いたリディの声をジャッカは聞き取ることができなかった。


「いや、こっちの話だ」


 リディは心の奥に小さな火が灯ったのを感じながら、魔力が回復するのを寝っ転がったままのんびりと待った。

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