第44話 宿場

 草原での休憩を終えると、三人は再び歩きだす。

 草原を越えて細い街道を進むと、街道はほどなくイダンセに繋がるウクリ街道へとぶつかった。


 ウクリ街道はイダンセから北へ伸びる主要街道で、通る人も多くしっかりとした整地がなされている。ダーロンやルナークへ繋がる細い街道とは交通量も整備にかける資金も大きく違う重要な街道だ。


 ウクリ街道が主要街道であることもあって、イダンセまでの道のりには休憩や宿泊ができる宿場がいくつかある。ケルベたちと同行している時にはそれらには近づかないが、アイシスもいる今回の旅では宿場町に寄ることも考えていた。


 ウクリ街道を使った帰り道は順調だった。

 アイシスが野宿を気に入ったこともあり、ウクリ街道での一泊目は宿場町で食べ物などを買い、わざわざ野宿することにした。

 食料品は各自の好きなものを買い込み、焚き火を囲みながら好きなように食べる。野宿には変わりないが、キャンプのような気楽な雰囲気を3人は楽しんだ。


 それから、イダンセの手前のカショーという宿場町では宿に泊まることにした。

 イダンセには翌日に到着できる見込みであるため、最終日前に無事にここまで戻ってこれた自分たちへのご褒美とすることにしたのだ。


 カショーは街道の宿場としての機能を果たすため、休憩所、宿泊所といった施設が充実した町である。休憩は馬にも必要であるため、宿に併設された厩舎なども多く見られた。


 宿はカショーの町で一番質のよさそうなところを取った。

 一番いいと言ってもカショーはイダンセよりもずいぶんと小さい町だ。経済の規模も小さく宿代は『カッコウのとまり木』よりも安く済むぐらいだ。

 宿に馬を預ける場合には追加の料金が必要なので、宿としてはそちらで収益を上げる経営方針になっているのだろう。


 宿には三人部屋がなかったので、二人部屋に3人で泊まることにした。

 案内された部屋を確認すると幸いベッドは2つとも広めだったため、誰か一人が床ということはなく、リディとアイシスが同じベッドで寝ることにした。


 野宿用の大きい荷物などを宿の部屋に置き、三人は身軽になって町を散策する準備をする。

これから町に繰り出してなにかうまいものを食べようと話していたのだ。


 宿の主人にオススメの食事処を聞き、3人で向かう。

 紹介された店はバーカウンターのある小洒落た店だった。ここ数年でできた店らしく、外装も内装もまだ新しさの残るきれいな店だ。


 すでに日は沈んでいて、店内では魔石の灯りが壁際の柱ひとつひとつに灯されている。光量はあまり大きくなく、持続時間を優先したタイプのようだった。

 魔石の明るさ不足を補うために各テーブルにはオイルランプが灯されていて、ゆらゆらと揺れる炎に合わせて、店内の影も揺らめいていた。


 ランプの火の色を受けてオレンジがかった色に染まる店内には、本日の仕事を終えた人たちが集まっている。各テーブルでは数名のグループが、そしてカウンターにも何名かが座りマスターと会話をしながら酒を楽しんでいた。


 リディたちは店員に案内されて、店の奥の方のテーブルへと案内された。

 リディたちは女子供だけなので、酔っぱらいに絡まれないよう目立たない席を用立ててくれたようだ。


「リディはお酒を飲むのかしら?」


 メニューを見ながらアイシスが聞いてきた。


「そうだな、それなりに嗜むぞ。食事と一緒でその土地ならではの地酒を飲むのが好きだな」

「飲んでるところ、見たこと……ない」


 ニケはリディと出会ってからのことを思い返してみるが、リディが酒を飲んでいる姿を見たことがなかったので、リディの返事は少し意外だった。


「ん? あぁ、ニケと会ってからは飲んでないかもしれないな」

「なんで?」

「ニケ一人に酔っぱらいの世話をさせるわけにもいかないだろ」


 それはリディなりの配慮だった。

 ニケと旅していた間は、リディが酔っ払ってしまうと、その世話はニケがすることになる。リディとニケでは体格の差も大きく、リディを宿に運ぶことになればニケが大変だろうと、ニケに会ってからは酒を飲まないように配慮していたのだ。


「今日は私もいるし、飲んでもいいんじゃない? べろんべろんになっても私とニケ君で運んであげるわよ。ねっ!」


 そう言ってアイシスはニケに視線を送ると、ニケはこくりと頷いた。


「そうか? そう言ってくれるなら」


 お言葉に甘えてとリディはメニューの中から酒を選び始める。あれでもないこれでもないと悩みながら、リディはプラムワインを注文した。

 アイシスとニケは果汁の飲み物を、そしていくつかの種類の食べ物を注文する。ニケは以前のようにリディとアイシスに任せると言っていたので、リディは普段口にすることのできないこの地域の名物をアイシスに聞きながら選んだ。


 飲み物と一緒に料理が運ばれテーブルの上は一気ににぎやかになった。

 ライスや麺類などの主食に、バリエーション多めに頼んだおかず類。3人は『いただきます』と声を揃えて、それぞれ食べ始めた。


「リディこのお肉とっても美味しいの。私のオススメよ」


 そう言ってアイシスが勧めてきたのは薄くスライスされた肉だった。

 メニューを選ぶときにアイシスが強く勧めてきたこの地域の名物だ。


 リディは勧められるままに塩ダレがかけられた肉に、皿に添えられた柑橘の果汁を垂らしていただく。

 見た目は薄くスライスされた肉だが、食感が独特だった。絶妙な歯ごたえと、シャクシャクともサクサクとも形容し難い歯切れの良さ。リディが今までに食べたことの無い肉だった。

 塩ダレの絶妙な塩味に加え、肉そのものの旨味、そして脂をさっぱりとさせてくれる柑橘の果汁。すべてが絶妙にマッチしていた。


「うまいな、これ!」

「でしょ! リディならそう言ってくれると思ったわ」


 リディはその肉が甚く気に入り、パクパクと食べ進めた。


「お酒もじゃんじゃん言っていいわよ。旅のお礼も兼ねて私が介抱してあげるわ」

「ほんとか!?」

「えぇ、まかせてちょうだい!」


 ・

 ・

 ・


「――なんて言うんじゃなかったわ」


 アイシスは半刻前に言った言葉を後悔していた。


「すー、すー」


 目の前にはすっかり夢の世界に旅立っているリディ。


 酒を飲み始めて最初は陽気な雰囲気になっていたが、しばらくすると目が据わっていき、アイシスとニケをやたらと誉めていた。そして、最終的に夢の世界へと旅立っていったのだ。


「私とニケ君で運べるかしら?」


 リディを揺り動かしてみるが起きる気配はない。仕方なくアイシスは先に会計を済ませることにした。


「はぁ、信用されているとも取れるけど無防備なものね」


 アイシスはリディの荷物からお金の入った巾着をゴソゴソと探す。

 イダンセとカショーの宿代を払ってなお、ずっしりと重いそれはすぐに見つかった。


 アイシスは店員を呼ぶと勘定をお願いする。

 結構食べたと思っていたが会計は思いの外安かった。このコストパフォーマンスの良さがこの店の人気の秘訣なのだろう。アイシスはチップを弾んで提示された金額よりも少し多めの銅貨を出して支払いを行う。

 巾着から金を出す姿を何だか微笑ましく店員に見られていたのはアイシスにとって不本意だった。

 自分の財布ならもっとスマートに決められるのに、と思いつつアイシスは会計を済ませた。


「よい、しょっと」


 席に戻るとニケに手伝ってもらいながらアイシスはリディを背負った。

 『まかせてちょうだい』と言った手前、置いていくわけにも行かないし、置いていっても店の迷惑になるだけだ。


 リディの方がアイシスよりも幾分背が高いが、思ったよりもリディは軽く、リディを背負っているアイシスには割と余裕があった。


「思ったよりも軽いのね」


 旅の中でその存在が大きく見えていたが、リディの体格はアイシスよりも一回り大きい程度だ。

 そんな体でリディは今回の旅をずっと引っ張っていってくれた。アイシスは旅の間ずっとリディに頼りっぱなしだったが、自分は数年後にリディのようになれるだろうかと、アイシスは思いを馳せる。

 リディのような魔法や剣術を身につけるのはアイシスには無理かもしれない。しかし、アイシスはアイシスなりに自分の進むべき道を進もうと、今にもよだれを垂らしそうになっているリディの横顔を見て思った。


「むにゃ、フィリア……わたしが、たす……」

「はいはい、王女様はここにはいませんよー」


 リディの寝言に聞こえたフィリアという名前は、この国の王女の名前だ。

 以前リディが側仕えをしていたのを王女の生誕祭にてアイシスも見たことがあったし、寝言で名前が出るほどに親しい間柄なのだろうとアイシスは推察した。

 そんな王女に近しいリディと知り合えたことは、アイシスにとっては畏敬の念を抱くほどの出来事であるが、当のリディの人間性があまりそれを感じさせてはくれない。

 そういう風に振る舞っているのか、それともそれがリディ自身の素なのか、アイシスにはわからないが、リディという人間にアイシスが親しみを感じているのは間違いなかった。


 アイシスがそんなことを考えているとは知らずに、リディは幸せそうな寝息を立てている。

 そして、そんなリディの口元から一滴の雫がこぼれ落ち、アイシスの服を濡らした。


「あぁ! ちょっと、よだれが……よだれー!!」


 カショ―の夜にアイシスの声だけが木霊していた――。

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