第2話 騎士リディ
酒場で飲んだ翌日、リディは旅立ちの準備を終え、泊めてもらった宿の主人に挨拶をしていた。国中を回るにはそれなりに時間が必要だ。タイムリミットまでに回り切るためには、あまり長く一つの村に留まっているわけにもいかない。
「じゃあ、ご主人お世話になりました」
「いやぁ、こっちもいろいろ手伝ってもらって助かったよ。道中気をつけてな」
宿屋の主人に別れを告げ、リディは街道へ続く村の出口へと向かった。季節はもう夏だが、日差しはそこまで強くなく、日が天頂になる前とあって心地よい空気だった。
村の門の付近は商隊などが待機できるよう、少し大きめの広場になっている。そこには商隊のものと思われる幾つかの馬車と、立ち話をする村人の姿があった。村の規模の割には馬車や人の数も多く、賑やかというほどではないが、寂しい景色ではなかった。リディは村人たちの中に、酒場でよく出会う中年の男性を見つけた。
「おじさん、こんにちは」
「おう、姐ちゃんじゃねぇか。なんだい、もう旅立っちまうのかい?」
「えぇ、おじさんにもお世話になりました」
「いやいや、俺は何にもしてねぇよ。こっちこそ姐ちゃんが魔獣退治に参加してくれていろいろ助かったぜ」
リディにおじさんと呼ばれた男が、宿屋の主人と同じようなことを言ってくる。リディは気恥ずかしくなり、朝起きたまま整えていないボサボサの頭をポリポリと掻いた。
「こっちの街道を行けば、アサイクに着きますよね」
「おう、あってるぜ。ここから徒歩だと丸一日かかると思うが大丈夫か。強い魔獣は出ないが、飯の用意とか、それなりに準備をしてったほうがいいぞ」
「いえ、途中で適当に木の実とか動物とか捕まえて食べるんで大丈夫です」
「だっはっは、豪快な姐ちゃんだな。あんたのこと気に入ったぜ。酒場では自己紹介してなかったな、俺はグルザってんだ。姐ちゃんがいつかまたこの村に来ることがあったら、また酒場で一杯やろうぜ」
「そりゃ、もちろん」
二人が挨拶を交わしていた時だった――。
「た、大変だー!!」
広場に声が響いた。街道から商隊のものと思しき馬車群が、村へと雪崩れ込んできた。全速力で駆けさせられたのだろう、馬車を率いていた馬たちは息を荒くし、滝のような汗を流し、見るからに疲れきっていた。
焦る彼らの様子を見てグルザが歩み寄り、御者に話しかける。
「あんたらは……、朝に出てった商隊だな。どうした、何があった!」
「こ、この先に……グリフォンが……」
「グリフォンだと……!!」
その話を聞いてグルザの顔色が変わる。魔獣には種族ごとにおおよその強さがある。例えば昨日退治したブータであれば強い個体でも人が十人程度集まれば、けが人は出たとしても倒すことは難しくない。
しかしこの世界には一般人が束になってかかろうとも倒せない強さを持った種族の魔獣がいる。グリフォンもその一つだ。以前王都付近に突如現れたグリフォンを『追い返す』のに、装備を揃えた王城兵士の一個小隊を派兵したと言われている。それが事実だとすると今の村の戦力ではグリフォンを倒すことはおろか、追い返すことも難しいだろう。
「この村へ向かってきてるのか!?」
「わ、わからない……街道を進んでいたら、遠くに微かに見えて、慌てて引き返してきたんだ」
よほど恐怖に感じたのだろう、御者は声を震わせながら引き返してきた理由を話した。グリフォンにとって人間など、鷹にとっての鼠に等しい。もしグリフォンに目をつけられれば人間は餌としか思われない。商隊の後にグリフォンが続いていないということは、おそらくグリフォンに発見される前に逃げることができたのだ。
「そうか、知らせてくれて助かったぜ。あんたらはこのままこの村を抜けて隣町まで行きな。そこでグリフォンがこの村を襲って満足することを祈っててくれ」
「あ、あんたらはどうすんだ」
「こんな辺鄙な村でも、生まれ育った村なんでね。やれるだけやってみるさ」
「む、無理だ!あっさり殺されて終わりだぞ!!」
「この村の連中だけならそうかもな。――姐ちゃん、悪ぃが今日もまた、魔獣退治に付きあってくれるかい?」
「しょうがないですねぇ、今夜はおじさんの奢りですよ」
「あぁ、とびっきりをおごってやるよ」
そう言ってグルザは白い歯を見せた――。
広場に集まっていた商隊が隣の村へ避難していく。グルザとリディは彼らが残す土煙が徐々に小さくなっていくのを見ながら、これからについての話を始めた。
「さて、さっきはカッコつけてあんなこと言っちまったが。――姐ちゃん実際のところどうだい。勝ち目はあるのかい?」
村から逃げていく商隊を見送った後、グルザはリディと向き合い、そう問いかけた。グルザは自分の目でグリフォンを見たことがなく本当の強さを知らない。リディの目から見て本当に勝てるのかを確かめたかった。
「グリフォンは群れずに単独で行動する習性があります。一匹だけなら頑張れば追い返せると思いますよ」
「そうか、あんた。本当にすげぇ人なんだな」
「だから、昨日も言ったじゃないですか。王都では私なんて大したことないんですって」
「だとしたら、王都はグリフォン以上の強さの連中がゴロゴロいる魔物の巣になっちまうぜ」
数回の魔物退治を通してリディの強さを見てきたグルザには、未だにリディの言葉が信じがたかった。グルザ自身王都には何度か行ったことがある。さらに王都だけでなく高齢で体力の落ちた村長に代わり、村の代表として王城に出向いたこともある。そこで目にした兵士たちは正規の訓練を受けているだけあり、村の警備隊よりも洗練されていた。しかしリディの戦いぶりを見たグルザは、彼らがリディよりも強いとはとても思えなかった。
「まぁ、上には上がいるって言うことですよ。私もコテンパンにやられたことがありますから」
リディがそんな言葉を発する。確かにグルザが目にしたのは王城の一般兵の訓練風景である。精鋭と言われる王直属の近衛兵や、隊長格の兵士ではない。リディをコテンパンにできる強さを持った者が、階級が上のところにいるのだろう。
「そうか。だが、上には上がいても姐ちゃんのグリフォンに勝てるっていう強さは本物だろ。それは、誇ってもいいと思うぜ」
「ありがとうございます。でも、グルザさん、一つ訂正させてください。『勝てる』ではなく『追い返せる』ですよ」
「何か違うのかい?」
「えぇ、本気になったグリフォンには私の力では到底勝てません。最初からで全力でぶつかって、相手をするのが面倒くさいと思わせるしかないです。強い魔獣は賢くもありますから、……グリフォンがキレずに逃げてくれることに期待しましょう」
リディの言葉にグルザが息を飲む。強い者は相手に心を読ませないため、表情を殺す事ができる。グルザからはリディの表情はずっと平静に見えていた。しかし、今の言葉でわかった。リディは余裕ではない。むしろ勝ち3、負け7ぐらいの分の悪い賭けにベットしようとしている。
「……俺の考えが甘かった。ヤベェことに巻き込んじまったな。姐ちゃんも村の連中と、今からでも逃げてくれ」
「いえ、このままグリフォンが来れば、おそらく村は破壊されます。私が戦うことで村に被害を出さずに済む可能性があるなら、私はそれに賭けたいです」
「だが、あんたは村の人間じゃあない。村のことであんたを危険に晒すのはこっちとしても本望じゃないぜ」
「私はこう見えても騎士の端くれですからね。国民を守る義務があります。それに、無事追い払えたら奢ってくれるんですよね。今晩のお酒、期待してますよ」
ギャンブルの掛け金は自分の命かもしれないのに、リディが受け取るリターンはグルザが奢る酒だけだ。ハイリスク・ローリターンもいいところだ。だが、この女冒険者リディは本気でそんなことを言っている。
「――あぁ、本当にとびっきりをご馳走してやるよ」
グルザは再び白い歯を見せ、グッと親指を上げてみせた。
「よし、俺は村の連中に逃げるように伝えながら、自警団の連中を掻き集めてくる」
グリフォンと戦うのに、リディだけを行かせるわけにはいかない。商隊の話ではまだ幾分時間はあるはずだが、急ぎ作戦を立てる必要がある。
「あ、ちょっと待ってください。集めるのは弓を使える人だけにしてください」
背を向けたグルザに、リディが声をかける。
「剣や槍を使える連中はいらないのかい?」
この村へリディが来てからの魔獣退治は、ずっとリディと自警団の共闘だった。基本的にはリディが先陣を切り、倒しきれなかった魔獣を村の自警団が止めを刺すという戦い方だ。自警団にとってはリディがほとんど致命傷を与えてくれているので、全く危険を感じない仕事だった。
しかし、今回は強敵だ。グルザは危険は承知のうえで自分を含めた自警団のメンバーにも戦わせるつもりだった。
「えぇ、誰にも死んで欲しくありません」
リディの目がスッと細くなり、商隊が逃げ帰ってきた方向を見つめる。
「今回に限っては、――邪魔です」
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