解呪
王宮を出て、まずは神殿に戻る。馬車の中でアイリーシャは考え込んだ。
(……そうよ、まずは神官長を味方につける――とまではいかなくても、おとなしくさせておかないと)
これからアイリーシャがやろうとしていることは、神官長にとっては腹立たしいだろう。
エドアルトによって、脅された挙句、今後、呪いの解除に費用をおさめさせることができなくなるからだ。
「エドアルト様。まずは、神官長と話をしましょう。神官長に邪魔をされては困ります」
アイリーシャの言葉に、エドアルトはむっとした顔になった。
「だが、あの男は信用できない」
「しばらくの間でいいんです。すべての呪いを解き終わるまで神殿がおとなしくしてくれていればそれで」
神聖魔術には目覚めたものの、アイリーシャのところには"あの武器"が届いていない。戦乙女の持つ聖槍だ。
神様が探しに行ったから大丈夫だとは思うけれど。
「大丈夫、アイリーシャならできるわよ」
膝の上にいるルルは、元の大きさに戻っている。この方が、余計な詮索をされなくていいのだそうだ。
「そう言えば、ルルって所長が苦手なの?」
アイリーシャに問われて、ルルは首を傾げた。
「所長って?」
「ほら、魔術研究所で、時々お話をしたでしょう。あなた、いつも所長にだけ噛みつこうとして」
「……そうだった? たぶん、苦手な臭いがするのよ。もう一度会ってみないとわからない」
半端な状態で呼び出されたものだから、ミカルが苦手な理由を上手に説明することができないらしい。
「苦手な臭いって何かしら」
「わからない」
ルルにも生理的に苦手とか、そんなものがあるのだろう。そう解釈して、アイリーシャは納得しておくことにした。
神殿に戻ってくると、何人もの人が治療の順番を待っていた。人手が足りないのか、神官長も治療院あたっているようだ。
先ほど出て行ったばかりのアイリーシャ達が戻って来たことに、神官長はあまりいい顔をしなかった。
だが、ここで神官長を敵に回したいわけでもないし、大事なのは今困っている人を助けることだ。
アイリーシャはルルを抱いて神官長の前に進むと、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。神官長のおかげです」
「わ、私の……?」
いきなり頭を下げられたので、神官長も面食らったようだ。
こちらに、人の目が集中するのがわかる。
(あまり、一目にはつきたくないんだけど、しかたないわよね……)
前世では、こういったことには慣れていた。親に言われてしぶしぶやらされていたけれど、要領はしっかりと覚えている。
「ええ、もちろんですとも! 神官長が協力してくださったおかげで、聖獣を呼び出すことに成功しましたの。これで、病にかかっている人達を治すことができますわ!」
いつもより声を高くし、優美な微笑みを浮かべるのも忘れない。
その声に、最初は注意を払っていなかった人も、こちらに向き直るのがわかった。
(我慢我慢……)
手のひらがじんわりと汗をかいている。
「よろしければ、私にも治療をさせていただけませんか?」
「……でしたら、こちらに」
できるのかという疑問が、神官長の顔に浮かんでいる。アイリーシャは構わず、彼について奥に入っていった。
そこには、ベッドがずらりと並んでいる。皆、ぴくりとも動かない。
回復魔術をかけることによって、かろうじて命をとどめているという状況だ。
「まずは、こちらの女性を」
「――呪いを、解除します」
アイリーシャは、目を閉じたままぴくりともしない女性の胸に両手を置いた。
(――大丈夫、できる)
「戦乙女の名において、悪よ立ち去れ!」
他の人には聞こえないよう、小さな声でつぶやく。身体からぐっと魔力が引き出され、女性の身体に流れ込んでいくのがわかった。
アイリーシャの手が白く光り輝き、その光は女性の身体全体を包み込む。
「――終わりました」
アイリーシャがそう口にするのと同時に、女性は目を開いた。
「ここは……?」
「あなたは、倒れたんですよ。ここは教会です。まだ、本調子ではありませんから、ゆっくり養生してくださいね」
アイリーシャの言葉が理解できているのかいないのか。彼女はこくりとうなずいた。
アイリーシャは次のベッドに横たわっている人の方へと歩み寄る。
また、同じことが繰り返された。呪いを解いて回りながら、考える。
(誰が、どうしてこんなことをしたのかしら……)
アイリーシャが、呪いを解けると知ると、その場にいた人達はわぁわぁと騒ぎ始めた。
それは聞こえないふりをして、次のベッドへと向かう。広間にいた人達全員を目覚めさせた次は、客室にいる人だった。
ここにいるのは、特に高い寄付金をおさめている人なのだそうだ。最初に入った部屋で、アイリーシャは目を見開いた。
「――ヴァレリア、あなた、どうしてここに」
「母が、倒れたから」
アイリーシャが、今回の呪いに関わっているのではないかと騒ぎ立てたヴァレリアが、ベッドの側に置かれた椅子に腰かけていた。
「――そう。たしか、そんなことを聞いたわ」
それを教えてくれたのは、ミリアムだったか。
たしかに、母親が倒れたら、アイリーシャに一言言ってやらねばという気になるのかもしれない。
「……大丈夫。呪いは解けるから私に任せて」
「あなたの助けなんか、借りたくないのに」
ヴァレリアが悔しそうにそうつぶやいたけれど、気にしないことにした。
今、大切なのは、そこではない。
今までと同じ工程を繰り返す。
「ここは……? ヴァレリア、私はどうしてここにいるのかしら?」
「お母様! お父様にすぐ連絡するわね!」
目を開いたフォンタナ公爵夫人が、ヴァレリアに問いかけるのを耳にしながらそっと部屋を出た。
(普通の親子って、ああいうものよね)
アイリーシャの両親達も、もし、アイリーシャが倒れたら同じように嘆くだろう。
(あとは、教会が神官を派遣している家を一軒一軒回るしかないわね……)
このために、神官長の協力を得たのだ。
聖獣のルルを連れ、すべての家を回るのに一週間かかった。
アイリーシャに聖女という呼び名がつくまでは、さほど時間はかからなかった。
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