帰宅、そして王立魔術研究所へ

 首都の屋敷に戻るのは十年ぶりだった。


(あいかわらず、ここは賑やかねぇ……)


 転移術が使えるのは、ごく一部の魔術師だけだ。

そんなわけで、アイリーシャ達は馬車に大量の荷物を詰め込み、都まで十日ほどの旅をしてようやく戻って来た。

 街は、十年前と変わりないように見えていた。いや、十年前より栄えているだろうか。最後にこの場所を見た時は五歳だったから、記憶があやふやだ。


(……そう言えばあの時)


 男の子を誘拐しようとした犯人達は、あのあとどうなったのだろう。アイリーシャには、詳しい話は聞かせないと決められていたようで、どうなったのか知らされていない。

見つかったのだろうか、見つかっていないのかさえも不明だ。


(今さら聞いたところでどうにもできないしね)


 アイリーシャは、窓の外を見つめた。

中央通りは、多数の店が軒を連ねている。このあたりに並んでいるのは、いわゆる高級店だ。店の前に停められている馬車も、貴族の紋章入りのものが多い。

頼めば屋敷まで商品を持ってきてもらえるのだが、こうやって店を訪れるのを好む人も多いのだ。


「そんなに窓に張りつかないの。お行儀が悪いわよ」

「だってお母様、どのお店も楽しそう。領地には、こんなにたくさんのお店はなかったじゃない」


 公爵家の領地と言うだけあって、父の領地は栄えていた。だが、やはり都の賑わいとは違う。


(近いうちに、遊びに行ってみようっと)


 無力だった十年前とは違う。今は自分の身を守ることもできるし、こっそり見て回るくらいなら大丈夫なはずだ。


(ミリアムとダリアにも久しぶりに会いたいし……)


五歳の誕生日に友人となった二人。彼女達との友情は、十年たった今でも続いている。


「でも、しばらくは無理よ。王太子殿下の成人のお祝いが終わってからでないと。王宮に上がる時のマナーをもう一度おさらいしないといけないし」


 窓にべったり張りついているアイリーシャを、母がなだめた。


「殿下は、まだ成人式をなさっていなかったの?」


 この国で成人として認められるのは、十五歳を過ぎてからだ。十五歳になると同時に成人のお披露目をするのが大半である。

 王太子であるエドアルトは、アイリーシャより二歳上だったはずだから、とっくの昔にお披露目はすませたものだと思っていた。


「殿下は、剣術の修業をなさっていてね。それで、一人前になるまでは、お披露目は待っていそうだ」


 アイリーシャの疑問に、父が答えを返してくれる。


(ダリアとミリアムに聞けばいいわね)


「屋敷に入ったら、すぐにドレスの準備をしないといけないわ。最高の品を揃えなくてはならないもの」


 馬車の中で、母はぐっと拳を握りしめている。

というのも、アイリーシャはずっと領地にいた。母も、この十年、領地に遊びに来てくれた友人以外と会話する機会がほとんどなかったのだ。

美しく成長したアイリーシャを連れて歩いて自慢して回りたいらしい。


(お母様は、わかってないから……!)


 アイリーシャが、頭を抱えているのにも気づかずに。

 そうこうしている間に、馬車は屋敷に到着していた。


(……ここに戻ってくるのも久しぶりよね)


 五歳で、ここを出発してから一度も戻らなかった。五歳の誕生日当日、記憶がよみがえってから、この屋敷で過ごした時間はさほど長くない。

 けれど、帰って来たという思いが一気に押し寄せてくる。


「アイリーシャ、久しぶりだな」

「ルジェクお兄様!」


 アイリーシャが馬車から降りた時には、長兄が出迎えに来ていた。次兄と三兄はここにはいない。二人とも、王宮で働いているからだ。


「一年ぶりだったかな? こんなに大きくなって」

「そんなに大きくなったわけではないわよ、お兄様」


 両手を身体に回され、強く抱きしめられる。


「あら、ルジェク。私とも一年ぶりだと思うけれど?」

「お帰りなさいませ、母上」


 アイリーシャを離したルジェクは、母の方に向き直って頭を下げた。


「……屋敷を、任せきりにして、悪かったわ。あなたも、よくやってくれたと、報告を受けていてよ」

「やるべきことをしたまでです」


 アイリーシャが領地に引きこもってからも、兄達は首都の屋敷に残っていた。もう、王宮に出入りするようになっていたため、領地に戻るわけにはいかなかったのだ。

 両親がアイリーシャにつききりになっていたため、兄達は放置されていたという面もある。その点については、兄達に申し訳ないことをした。


「そうそう、ノルベルトが王立魔術研究所に来るようにって。ミカル殿から、話は聞いているんだろう?」

「許可が出たの? よかった!」


 父にも挨拶をしてから、ルジェクがこちらを振り返る。

 長兄のルジェクは、公爵家の跡取りとして修業中。次兄のノルヴェルトは、王立魔術研究所の職員として勤務。三男のヴィクトルは王立騎士団の騎士団員だ。

 ノルヴェルトとヴィクトルは勤務中のため、今はここにはいない。


(十年の間に、お兄様達はしっかりと自分の道を歩み始めている)


 アイリーシャに求められるのは、能力を国のために役立てるか、公爵家の娘として社交上の付き合いを広げていくかの二つに一つだ。

 そして、社交上の付き合いを広げるという選択肢は、最初からアイリーシャには存在しなかった。そんなことをしては、地味に目立たず生きていくという野望が、無駄になってしまう。


「ミカル先生が、研究所においでと言ってくださったから、大丈夫だとは思っていたけれど」

「お前、四属性が綺麗に均等なのは変わらないんだって?」

「ええ。研究所には昔の文献が山のようにあるけれど、読めないものも多いんですって」


 王立研究所には、古の魔術師達が記した書物もたくさん置かれている。だが、中身を簡単に読めないように、様々な魔術的保護が施されているものも多い。

 保護魔術を解読すればすむものはまだよいのだが、火属性と風属性を一定以上持っている者でないと、開くことすらできない本もある。

 アイリーシャならば、属性的保護が施されている書物については、とりあえず読めるのではないかということから、ミカルから研究所に誘われていたのである。

 今ルジェクが伝えてくれたのは、職員として採用が決まったということであった。


「残念。一緒に出掛けられると思っていたのに」

「お母様にも、お付き合いはするわよ……ほどほどに、だけれど」


 これから、母も忙しくなる。地味に目立たずその他大勢に紛れられる範囲というのを原則に、そちらも支えていかなくてはならない。


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