お祭りだ、お祭りだ!

 初夏の頃、首都デスキアではラベンダー祭りが開かれる。

 ラベンダーは軟膏に入れてもいいし、虫よけにも使える。寝る時、枕元にポプリを置いておけば、安眠が約束されるというわけで、重宝されているのだ。

 この祭りの期間は、ラベンダー色の品を身に着けたり、ラベンダーの香りをまとったりする。

もともとは、春の女神に花を捧げ、


 子供達にとっては、街中に出ている屋台でおいしものを食べるチャンスだ。


「兄様、早く!」


 シュタッドミュラー公爵家でも、毎年ラベンダー祭りの時期には城下街に出かけていく。

 父は、新しいラベンダー製品の中によいものがあれば、領地で取り扱うつもりでいるし、母も今までより肌に合う化粧水があれば乗り換えるつもりで探しに出るのだ。

もちろん、公爵家には商人達からそういった品々が献上されているのだけれど、こういう時に自分の目で探すのが楽しいらしい。


(たぶん、街中に出るための口実よねぇ……)


 アイリーシャだってわくわくしている。前世の記憶がよみがえってから、街に出るのは初めてなのだ。


(去年はどうしていたっけ)


 考えてみるけれど、去年は父の腕の中から出なかった気がする。

公爵家の子供達が、街中をふらふらする機会なんてそうそうあるはずもない。屋敷の門から出た瞬間、あまりの人の多さにびっくりしていたような。


「お父様、早く早く!」


 待ちきれない様子で足を踏み鳴らすと、父は蕩けそうな顔になった。


「もうちょっとお待ち」

「はぁい」


 駄々をこねてもしかたないので、おとなしく父の腕におさまる。

 母も今日は祭りの日のために仕立てた外出用ドレスを着ていてとても綺麗だ。

祭りの日、一回だけのために仕立てられたドレスは、普段身に着けているものより細身の仕立てだ。コルセットで締め付けなくても、ほっそり見えるよう工夫されている。

アクセサリーは最小限。もともとものすごい美女だから、余計なアクセサリーなど必要ないのだ。

 兄達も、動きやすい服装だ。家族そろって出かけることもまた珍しい。


「リーシャは去年、固まっていたな」


 長兄のルジェクが、こちらを見てにやにやしている。アイリーシャは、むっとした顔になった。


「固まってませんー!」

「しかたないよ、去年は赤ちゃんだったんだから」


 次兄のノルベルトはたぶん、救いの手を差し伸べてくれているつもりなのだ。

 けれど、全然救われた気にならない。去年は、四歳の誕生日を迎えたところ。赤ちゃんというには大きかったはずだ。

 本当なら座席に座らないといけないのだろうが、父がアイリーシャを離そうとしなかったので、ちゃっかり膝の上に乗ったまま。

 馬車の窓から見える景色に、アイリーシャの視線は一気に釘付けになり、機嫌も急上昇した。


「……わあ、すごい!」


街中を行く人々は、皆どこかにラベンダー色を身に着けている。たとえば、ブラウスだったり、上着のポケットに差し込んだハンカチだったり。

中には上から下までラベンダー一色の人もいる。そして、街中に漂う香りもいつもとは違っていた。


「……全部、同じ色ね」

「ええ、そうね。お母様もそうでしょう?」


 母は、ドレスの襟がラベンダー色だ。美人は何を身に着けても美人なのだなぁとうっとりしていると、父が母の頬にキスをする。

 ちらり、と兄達の方を見やれば、全員そろって絶妙に視線をそらしていた。どうやら、こういう場合は見て見ぬふりをするものだと意見が一致しているらしい。


「……お菓子、買っていい?」


 兄達は、やはり食い気の方が先に来るらしい。ラベンダーを使ったスイーツも、街の屋台に並んでいるそうだ。

 あっという間に街の中心部に到着し、一行は馬車を降りた。


「はぐれちゃだめよ、ついてらっしゃい」


 母が三人の兄達を整列させ、護衛達は遠巻きに見守る。父も母も最低限身は守れるし、問題はない。

祭りを楽しんでいる人達の邪魔にならないよう、護衛達は少し離れたところから警護するのが習わしなのだそうだ。


(……神様、今日はついてこなかったのよね)


 アイリーシャに"隠密"を指導してくれている神様は、気まぐれにふらりと現れる。神様が来ない時は自主訓練だ。


「お母様、あれ、欲しい!」


 商店街の商店も、祭りの時期にはラベンダー色の商品を多く扱っている。アイリーシャが指差したのは、白いリボンと布製のラベンダーでできている髪飾りだった。

ガラス玉もつけられていて、キラキラとしている。今日のドレスの雰囲気にもぴったりだ。


「買う?」

「うん!」


 兄達はというと、父に連れられて別の店を見に行っているようだ。気が付いたら、アイリーシャの側にいるのは、母だけだった。


「ふふ、似あうわよ」


 買ったばかりの髪飾りをつけてもらって、アイリーシャの機嫌は一気に上昇した。母としっかり手を繋ぎつつ、視線はきょろきょろとあちこち見回している。


(……最高!)


 前世では、こうやって家族で出かけたことなんてなかった。

 いや、家族で出かけたことはあったけれど、両親が天花寺家を盛り立てるために必要と思ったことを果たすのが主目的で、家族で楽しんだ記憶などない。

愛美――前世のアイリーシャ――の嫁ぎ先を見つけるのもその一つ。両親と外出して、楽しいと思ったことなんて一度もなかった。

 初めての経験で、あまりにも楽しかったからかもしれない。アイリーシャが、つい、母の手を離してしまったのは。


「お母様、ねえ、あれを見て!」


 ちょうど、ラベンダーの花を満載にした馬車が出発していくところだ。

 この花は希望者に分け与えられるのだけれど、この花を使って作ったポプリを枕の下に入れておくと安眠が約束されるのだとか。

 その場に集まっていた人達がいっせいに馬車の方に向かっていく。


「わわ、わ!」


 手をしっかり繋いでいなかったせいで、手が離れてしまった。そのままたくさんの人に流されて、母との距離が空く。おまけに見失った。


「お母様、どこ?」


 周囲を見回し、母の姿を探す。けれど、今日は皆ラベンダー色をどこか身につけていて、母の姿を見つけ出すのは難しい。


(……まあ、こういう時焦ってもしかたないわよね)


 少し離れたところに護衛もいるはずだ。うかつに動かない方がいい。

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