王子殿下の婚約者候補とか聞いてない!

(あれ、あっちざわざわしてない……?)


 不意に庭園内がざわざわし始めたのに、アイリーシャも気づいた。どうして、こんなにざわざわしているのだろう。


「……アイリーシャ・シュタッドミュラー嬢」


 こちらに歩いてくる少年は、いったい誰だろうか。

赤い髪が印象的だ。青い瞳は、まっすぐこちらに向けられていた。


(……ん?)


 けれど、周囲の空気がおかしい。少年とアイリーシャを見るまなざしは、微笑まし気なものだ。

アイリーシャの友人候補……にしては、年が離れている。兄達よりも年上のようだし、友人ではなさそうだ。

となると、どこかの家の跡取りが挨拶に来たとかそんなところか。


「お誕生日、おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます……?」


 少年が差し出したのは、巨大な薔薇の花束だった。五歳児に贈るにはちょっと大きすぎやしないか。


(……でも、お花に罪はないし)


 この国の貴族がどういうものかよくわからないけれど、消え物だしちょうどいいんじゃないだろうか。なんてアイリーシャは気楽に花を受け取った。


「ばあや、お部屋に飾って?」

「は、はい! ただちに!」


 乳母を呼べば、慌てた様子で花束を受け取る。ということは、目の前の少年はけっこうな家柄の人物と推測できる。


「私は、ミカル・ブリード。王子殿下の名代で参りました。アイリーシャ様に、心からお祝い申し上げます」


 "王子殿下の名代"という言葉に顔が引きつりそうになる。

 ミカルは、にこにことしながら、アイリーシャと目線の高さを合わせてきた。


(……あれ?)


 ミカルを見ていると、なんだかもぞもぞと落ち着かない気分になる。そっと半歩あとずさったら、ミカルは困ったような笑みを浮かべた。


「アイリーシャ様は、魔術の素質があるのかもしれませんね。私の魔力が、不快に感じられるようです」

「ごめんなさい……?」


 そうか、これは不快なのか。というか、お祝いの品を持ってきてくれた人を嫌だと思うなんてどうかしている。


「いえ、謝らないでください。私の魔力を感じ、自分の魔力と違うと感じることができるのは、魔術の才能があるということなのですよ。アイリーシャ様が、もう少し大人になって、制御のしかたを覚えれば、問題ありません」

「そう?」


 せっかくの使者に不愉快な思いをさせないですんでよかった。


(となったら、エクストラスキルとやらに目覚めるのも、そんなに難しくないかも?)


 ゲームの中では、すべてのスキルを使用するのに、MPを使用していた。これがこちらの世界では魔力と呼ばれているらしい。体内にためる魔力の量が多ければ多いほど、たくさんの魔術を使うことができるというわけだ。

 先ほど、神様から聞かされた言葉を、完全に理解しているわけではないけれど、普通のスキルの上位レベルってことなんだろうと解釈している。


「はい。もし、その時が来たら――私が、魔術をお教えしましょう」

「はい!」


 ミカルは丁寧に一礼し、それからその場を立ち去った。これ以上、長居するつもりはなかったようだ。


「ミカル様って、宮廷魔術師の筆頭でしょう。たしか、まだ十五歳だと聞いているわ」

「王子殿下の側近なのよね」


 アイリーシャの周囲にいた女性達がひそひそとささやき合う。


(……え、あれで十五……! お兄様達よりは年上だろうなと思ったけど!)


あの落ち着いた物腰で十五歳。さらに宮廷魔術師の筆頭。具体的な能力を理解していなくても、なんだかすごいことだけはよくわかる。


「では、あの噂は本当なのかしら?」

「アイリーシャ様を、王子殿下の婚約者にという話? でも、早すぎるのではなくて?」

「いえ、こういうお話は、どれだけ早くてもいいものよ」


 噂の中心が自分だとわかれば、ついつい聞き耳を立てたくなるというものだ。


(うわぁ、聞いてないぃ……! でもそういう可能性も……)


 言われてみればそうだ。アイリーシャは公爵家の娘。たぶん、兄達三人は王子の側近候補だろう。

そして、アイリーシャも、王子とはお似合いとか言われてしまう年頃だ。婚約者候補の筆頭でもおかしくない。

というか、他に婚約者候補いるのだろうか。

ざっと頭の中で先ほど挨拶をした面々を思い浮かべてみる。公爵家に匹敵する家柄の娘……いない。

ひょっとしたら、対抗馬はここには招待されていないのかもしれないけれど、それにしたって、王子がわざわざ誕生祝を使者に持たせるというのは、そうそうないことだろう。


(聞いてない、聞いてない、聞いてない……!)


「リーシャ、大丈夫?」

「う、うん」


 友人になったばかりのダリヤとミリアムが声をかけてくれる。アイリーシャは、改めて周囲の視線が自分に注がれているのに気付いた。


(……って言うか!)


 こんなにも見られていたのか。王子の婚約者筆頭ともなれば、ますます周囲の視線はアイリーシャに集中することになるのだろう。

――でも。

不思議と自信がわいてきた。

今、ミカルも言っていたではないか。アイリーシャには魔術の才能がある、と。

それに、神様自ら指導にあたってくれるというのである。

完璧に隠れることさえできたら、怖いものはない。


(――よーし、頑張って隠れるぞ!)


 王子殿下の婚約者候補だなんて聞いていなかったけれど、目立たず過ごしていればきっとやり過ごすことができる。

猫神様との修行を一生懸命やって、全力で隠れることに集中しよう。アイリーシャは、自分が間違った方向に走り始めているのにはまったく気づいていなかった。

記憶を取り戻して一日目。早くもずいぶん馴染んでしまったようである。

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