第54話 もう遅すぎるわ

 頼みの綱のエルがやられてしまった。俺は未だに動けないでいる。


 城崎は木をどかしていた腕を止め、視線はそのままに呟く。


「私が時間を稼ぐ。あなたはその間に何とか抜け出して、エルさんを連れて逃げなさい」


 やっぱり、今の城崎は変だ。まるで、自分を犠牲にしてまで俺を助けようとしているみたいじゃないか。


 精悍な顔立ち、そして凛々しい佇まいで振り返り、赤髪と対峙する。その瞳には恐怖や怯えは一切感じられなかった。


 ……信じがたいが、本気で俺を庇っているのか?


 どんな心境の変化があったのかはわからない。だけど、目の前の少女は俺に暴力を振るって気を晴らしていた頃と同一人物とは思えなかった。


「ヴォルドバルド、次は私が相手になるわ。かかってきなさい」


 城崎の強気な態度を認めた赤髪は、ほんの少しだけ哀愁を帯びた表情を浮かべた。


「レイカ……やっぱテメーは特別だったな。腕っぷしだけのジジイや甘ちゃん共と違って魂がつえーンだ。暗く閉ざされた日々を経験しなければ、そんな目にはならねー。だから、気が合うと思った。傍に置いてやってもいいかと思ったんだが……今更だな」


「……そうね、もう遅すぎよ。あなたには、ずっと周囲のすべてが敵に見えていたのかもしれない。誰も信じることができない……それどころか誰かを信じるという概念すらなかったのかもしれない。それは私も同じだった。今まで他人と触れ合う気持ちなんて知らなかったの。彼らと出会って、私は……それがとても心地よいと感じた。あなたは、どう感じたのかしら?」


「……鬱陶しくて、落ち着かなくて、不愉快だっただけだ。他人を信じるやつはバカだ。他人に自分の身を委ねるやつは……とんだマヌケ野郎だぜ。俺様は自分以外は絶対に信じねぇし、俺様には他人のために使う無駄な感情は必要ねぇ! 俺様はぜってー間違えたりしねーンだ!」


 己に言い聞かせるように叫ぶ。


「そう……それなら、仕方ないわね。私はあなたを止める。元仲間として、罪を重ねようとしているあなたを見捨てることはできない」


「それだッ……その仲間だか、思いやりだか、訳わかんねーもんが気持ち悪くて堪らねーンだよ!!」


 圧倒的な走力を惜しげなく披露し、城崎に急接近する赤髪。


 城崎は足元に突き刺さっていたエルの刀を拝借し、構えた。


 俺は城崎が稼ごうとしている時間を無駄にはしまいと、身をよじり必死に這い出ようとしているが、のしかかる重圧がひどくて満足に進まない。


「無理だ! 俺はいいから早く逃げろ!」


 スペックが違い過ぎる。戦うなんて無謀だ。


 しかし――予想外の事態が起こる。赤髪は、突然足を止めた。


「――――なンだよ、それは……」


 城崎を前にした赤髪は怯むように身体を遠ざける。


 それから少し遅れて、俺にも異変が伝わった。


 周囲の空気が焼けるように熱い。湿った草木に炎がくすぶり始めている。


 単に城崎が空気を熱しただけでは、こんなにも得体の知れない恐怖を感じることは無いだろう。熱気はとどまることなく、皮膚が焼かれるような感触が芽生えだした。


 城崎は――エルの刀を加熱していた。それは、測るまでもなく尋常ではない温度だとわかった。城崎の手が添えられている刀身は太陽のように白い輝きを放っている。鳴り響く白色の放電が凄まじい熱量であることを象徴している。


 赤髪は焦りの色を見せて、遠く離れた場所でただならぬ様相を伺っていた。


「わからねぇ……何が起こってやがる」


 自身の衣服や足元の草花が激しく燃え盛る中、城崎は涼しい顔で佇んでいる。


「その反応は正常よ。今この刀の温度はプラズマが発生するほど高くなっている。よほどのことがない限り、物体はこの状態にならないわ。私もこの刀にそこまでの耐熱性があるとは思いもしなかった」


「わかんねぇ……、なんだよ……! なんなんだ、それは……ッ!」


 俺も未知の熱気に恐れを感じているが、赤髪は俺以上にそれを感じているようすで、全身を震わせて冷や汗を流していた。


「あなたは人より鋭い本能を持っているから、自然燃焼の範囲を遥かに超える熱量を持つ物質の存在感を、誰よりも敏感に感じ取ってしまったようね。多くの動物が火を恐れるのと同じ、火を支配した人類であっても見慣れず正常な判断ができない現象には恐れを抱かざるを得ないのよ」


 赤髪は弓を引き絞って城崎に狙いをつける。


「無駄よ」


 そう言うと、城崎は星のごとき輝きを放つ刀で宙を切り裂いた。


 すると、視界が揺れ、空間がぐにゃりと曲がった。城崎はそれに紛れるように、姿を隠した。


 どこからか声を発する。


「陽炎よ。熱い空気が生み出す光の屈折現象。といっても、この言葉の意味はあなたに伝わるかしら?」


 その問いには答えず、赤髪は弓を引き絞って放ったが、矢は見当違いの方向に突き刺さった。


「ある程度は自動で照準を補正してくれるみたいだけれど、照準が大きく対象から外れている場合はスキルが発動しないようね」


 赤髪は揺らめきに囲まれ、城崎を見失った。


 次の瞬間、城崎は赤髪の左側から強襲を仕掛けた。が――赤髪は見えもしないのに右手を大きく動かして剣を左手側に振り、それをガードした。


「へぇ……そんな無理な姿勢でも止められるなんて、便利なスキルね」


「…………気づきやがったか」


「ええ、あなたのスキルは【対象感知】ではない。今、私の不意をついた攻撃を防いだのが証拠。広場で後ろ向きに矢を放ち鳥を射貫いたのも、視界が悪い中で氷の刃を弾いたのも、エルさんの不意打ちを振り返りもせず防いだのも、全部同じあなたのスキルだったのね。元々ベルトスさんの神器と相性が良さそうという判断には違和感があった。そして、エルさんの連撃を受け流していた時も、異様なほど的確な動作をしていた。あなたのスキルは――自動的に攻撃、防御、射撃等の補助を行うものだと判断したわ」


「……そンだけかよ」


「自動補正の適応範囲はブレスレットを装着している右腕のみ。あなたの奇妙な体勢の防御を見たら一目瞭然よ」


「そこまでバレてんなら隠す必要はねーな。俺様のスキルは【自動戦闘オートマチック・コンバット】だ。なかなかつえー能力だろう?」


 赤髪は惜しげもなく答える。


 城崎は、一瞬俺に目配せをした。注意を引き付けている間に何とかしろってことだろう。


 待ってくれ、あと少しなんだ。ケツの部分が引っかかって上手く抜けないんだよ……


 先ほどまで白く輝いていた刀は、徐々に光量が減り、今はうっすらと赤みがかっていた。


「なんだか知らねーが、時間切れみたいだなァ! その程度なら大したことねーよ!」


 魔力を使い果たしたのか、急激に刀の熱量を失った城崎は、赤髪に押され始めた。


 ヤバい! 何とか抜け出さないと!


 必死にケツを前後にスライドして、反動を強めて引き抜こうとする。


 情勢が急変した眼前では城崎が刀を弾かれて、後ろに倒れた。


「やらせない! 今度は俺が助ける番だ!」


 エルには何度も助けられた。城崎にも今しがた庇って貰った。


 いつまでも守られてばかりではダメだ! それに、絶対に城崎とエルを殺させはしない!


 歯を食いしばって限界まで力を振り絞る。一瞬、木が浮き上がるほどの力を込めた後、ようやく全身が解放された。


 伏せっぱなしでなまった身体を起こし、大地に立つ。


「相棒、新技は――やれるのか?」


『自らの欲望を信じてください。自分は必ずマスターの欲望に応えます』




 だったらやってやる。あいつに振り回されるのはもううんざりだ。今ここで俺が終止符を打つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る