瓶詰め

Meg

前編

 部長と部下はオフィスの打ち合わせ用の机をはさみ対面していた。

 部長は書類を部下の目の前にかざし乱暴に指で叩いた。

「お前この部分計上ミスしてるぞ。何度言ったらわかるんだ、このバカ!」

 怒りに顔を歪ませ部長は怒鳴った。他の社員はしらんぷりしている。

 部下はへこへこと頭を下げた。

「すみません」

「前にも同じこと言ったろ。ほんと使えねえな」

 部下はうつむいて沈黙した。そのうじうじした態度にいらいらした部長は、書類をかざしたままこれみよがしにため息をついた。

「文句あんのか?会社のノルマはかわんねえんだぞ。どうせおまえ一人じゃ何にもできないくせに」

「はい」

 部下は蚊のなくような声で返事をした。

 そこで部長に電話がかかった。

「ちょっと待ってろ」

 部下に言ってから部長は電話に出た。部長は部下から目線を外し電話で話しこむ。

 すると部下はポケットから蓋のついたジャムの空き瓶を取り出した。そして蓋をはずし、小さな瓶の中に部長には聞こえない声量でなにやらぶつぶつと呟く。瓶の中に白い息がかかる。

 部長は話おわり横柄に電話を切った。そこではじめて部下の様子に気づいた。

「何してんだ!」

 部長はどなった。部下はあわててから瓶を後ろにかくし、こっそり蓋を閉めながらへこへこ謝った。

「すみません」

「遊んでる暇があったらこいつを早く仕上げろ。徹夜でな」

 部長は書類を投げ捨てるように部下の前にばらまき、どすどすと自分のデスクへ戻っていった。部下は体を丸めながら部長の背中を見ていた。

 

 真夜中。部下以外だれもいないオフィス。電気はほとんどついておらずくらかった。

 部下はニタニタしながら空き瓶をまじまじを眺めた。

 あの人の下で働いて3年。この瓶もいっぱいになってきた。そろそろかな。

 部下は静かに笑い声をたてた。そして瓶に手を当ておまじないをかけた。

「アブラカタブラブチョウノバカ……」

 この世の中には、実は魔法や呪いなんてものが実在するのだ。かれがどうやってそれを知ったのかはわからない。だがとにかく存在する。


 気がつくと部長は真っ暗な空洞の中にいた。

 ここがどこなのか、まったく見当がつかなかった。

 部長は困惑して上に向かって叫んだ。

「おーい、誰かいないのか?」

 返事はなかった。部長はさらにとまどった。

 だが突然、どこからか聞き覚えのある声がした。

「部長のバーカ」

 部長は唖然とした。ほぼ毎日のように聞いている部下の声だった。だがいつもの部下の声よりやたら大きくてはっきりしていた。

「アホ!デブ!ハゲ!変態!クズ!」

「はあ?おい、どこにいるんだ」

 部長は周りを見渡した。しかし誰もいない。

「仕事できないくせに態度だけは偉そうだよな。あの計上だってあんたのミスじゃん」

「てめえ、そんなこと言って許されると思ってるのか?」

「お前は会社の全員から嫌われてるんだよ。自覚しろ」

「ふざけんな!ここから出せ!」

 部長の怒鳴りにもいつもとちがってものおじせず、部下の声はケタケタと笑った。

 部下の罵詈雑言の声はえんえんと続いた。はじめは怒鳴り声を上げていた部長も、自分の悪口を聞き続け、しだいに嫌気がさしてきた。

「ここから出せ。出してくれ。頼むから」

 とうとう部長は耳を塞ぎそう懇願した。だが、罵詈雑言のやむ気配は一向になかった。

    

 真夜中のくらいオフィスで、部下は蓋のついたジャムの空き瓶を自分の目の高さまでかざしていた。瓶底には小さな部長が耳を塞いでうずくまっていた。

「3年間ためたんですよ。じっくり堪能してください」

 部下は陰湿に笑った。

 しばらくこのまま閉じ込めたままにしておこうか?

 それとも一晩たったら一旦出して後悔と反省の機会を与えてやろうか?

 今や部長の運命は部下の気まぐれの手のひらの上にあった。

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